憲法(3)最高裁判事:資格より「出身枠」の重視はおかしい!

北村 隆司

どんな立派な憲法でも、それを活かすか殺すかは、司法官と国民の「腕」にかかっています。その関係は、食材と料理人の関係と変わりませんが、日本では料理人の「腕前」が劣るのが問題です。


先ず、最高裁判事の選任では能力や資格より「出身枠」が優先され、裁判官出身6人、弁護士出身4人、検察官出身2人、行政官出身2人、法学者出身1人の職域代表で構成することが、1970年代頃からおおむね固まって仕舞った事が、最高裁判事の質が一般に悪い一因です。

憲法第七十六条は裁判官に「本人の良心に従った独立した判断」を求めていますが、職域を代表した最高裁判事に「独立した判断」を求める事は酷な様に思えます。

「剣なき秤は無力」「秤なき剣は暴力」と言う「剣」と「秤「を手に持った「正義の女神像」は、司法の象徴として最高裁にも置かれているそうですが、この像に示された「公正な判断力」は司法官に求められる最も大切な資質です。

然し、40年近くも自分の出世を天秤にかけて最高裁判事に上り詰めた方々には、この様なバランス感覚は出世の邪魔になると教えられてきたに違いありません。

この事に関して、初代の最高裁判事を務めた真野毅判事が「判事の中には沈黙を守ってなかなか自分の意見を述べず、ひたすら多数意見のおもむくところを狙ってそれに追随しようとする者が多くなった。

保身の術と思わざるを得ない。私は、これでは最高裁が十分な機能を発揮することはできないと思った」と嘆いたそうですが、全くその通りです。

戦後初代の最高裁長官に就任された三淵忠彦判事は若かりし頃、生計のために皇室の御料林の盗伐をした木こりたちを裁いた辛さに悩み、裁判と政治の融合を理想としたと言います。

三淵長官の下に、食糧管理法違反で起訴された被告人を担当し、闇米を取り締まる自分が闇米を食べる訳には行かないと闇米を拒否し、栄養失調で死亡した山口良忠地裁判事がおりました。

山口判事の餓死を耳にした三淵長官は「山口君のストイックな精神は尊いが、食糧管理法がなければ、もっと多くの餓死者が出ていた筈だ。」と述懐されたと伝えられていますが、この言葉は「剣「と「秤」に挟まれた判断の難しさを物語っています。

日本の最高裁に「偉い人」は居ても「立派な人」が集まらないもう一つの理由に、法曹の一元化が実現していない事があります。

法曹の一元化を前提として作られた戦後の司法制度は、当初こそその一環として、東京弁護士会会長を務めた谷村唯一郎氏が司法省入りし、司法次官として数々の法改正を手がけ、最高裁判所判事となりましたが、その後は司法官僚の抵抗を受けて、法曹の一元化は未だに実現していません。

この縄張り志向が、最高裁判事の候補者の選考を全て非公開で行い、選考の過程を国民に一切知らせない密室選考の弊害を生んだのです。

秘密のヴェールに閉ざされた最高裁判事の選任方式の愚かな例の一つが、不祥事の宝庫として悪名の高かった社会保険庁の長官経験者で、法曹資格を持たない横尾和子氏を判事に起用した事例です。

そもそも最高裁判事に行政官を起用する事は、行政訴訟を多く抱える最高裁判事の職務との利益相反を起こす事は当然で、行政官出身者が、行政庁(国、又は公共団体)が被告となるケースを裁く事は、公平性の見地からも妥当性を欠きます。

どうしても行政にかかわる専門知識が必要であれば、最高裁調査官を増やしたり、専門性を高めさせればよい話です。

年金記録漏れ問題や強制加入の制度で、強制徴収もせずに未納を放置してきた事実を始め、数々の問題で責任を追求された過去を持つ横尾和子判事が国民審査の対象になった年は、その直前の国会で何人かの大臣大臣や野党でも当時の菅民主党代表が、同じく年金未納で党代表を辞職するなど、年金で国会が大荒れになった直後でした。

それにも拘らず、横尾氏は問題なく信任されてしまいましたが、国民の司法にたいするこの無関心振りは、民主国家の国民としては落第です。

戦前の行政裁判所評定官時代に軍部を批判して禁錮10ヶ月の有罪判決を受けたことのある澤田竹治郎判事は、初代の最高裁判事に就任し国民審査で承認された後、この制度を「意味がない」とし廃止を唱えたことがあります。

最高裁判事の国民審査は、無記入は「承認」と見做すスターリン時代顔負けの体制保護の悪しき制度ですが、この制度の廃止にも憲法の改正が必要です。

TPP問題でも話題になりました様に、主権国家の壁は今後も益々低くなる傾向が続くと思われ、世界共通の価値観で判断しなければ国家も国民も生きていけない時代になりつつあります。

政治ばかりが注目される日本ですが、日本の骨格を決めるのは司法制度です。ここで述べました様に、現憲法のままではしっかりした骨格は持てません。

憲法の改正に当たっては、透明性を高め、国民が親しめる憲法の番人を持つ事も重要な課題の一つだと思い、最高裁の職域代表制と閉鎖性の弊害を取り上げた次第です。

2013年5月14日
北村 隆司