「歴史」をHis Storyにしてはならない

松本 徹三

韓国の朴槿恵大統領らが盛んに「過去の歴史と向き合おうとしない国には将来はない」という趣旨の事を言っているが、これは全くその通りである。但し、その事を肝に銘じて、行いを正さなければならないのは、日本以上に現在の韓国であろう。本気で歴史的事実を追求し、これに立脚して色々な物事を考えていたならば、「従軍慰安婦」等に関連する自国の活動家の一連の愚かな行いに、追随するような事はしなかっただろうからだ。


歴史を意味する英語のHistoryは、 ”His Story”、つまり「時の権力者が自分に都合の良い形で過去の出来事について語るもの」であるという事をいみじくも示唆している(司馬遷も同じ事を言っている)。この為に行われる事は、先ず、歴史的事実の中から自分に都合の良いものだけを選び出し、都合の悪い事実については「なかった事にする」事であり、次に、都合の良い事実については、たとえ不確かなものであっても、紛れもない事実であったかの様に「断言」し、更に都合良く「歪曲」し、更には、全くなかった事実も「創作」して追加する事である。

「従軍慰安婦」のStoryは、もともとは済州島在住の吉田清治なる「とんでもない日本の旧軍人」が、自らの売名の為に「創作」したものである事は既によく知られているが、これを「拡散」した「とんでもない朝日新聞」は、何故か未だにその非を認めておらず、後は、「これをネタにして日韓の間に摩擦を起こし、何等かの目的を達成しようと企図している」と見られる韓国人のグループによって、いいように「歪曲」され「誇張」され続けている。

「売春行為」の当事者の中には、「ビジネスとして割り切って従事している人たち」もいるが、「自らの意には反するが、両親らの為にやむなく納得した人たち」や「騙されたり脅迫されたりしてその境遇に身を落とした人たち」もおり、多くの悲劇がそこに生まれているのは事実である。しかし、これを「人間性にもとる許されない事」と断じて、感情的に反発して声を大にする人たち(女権運動家やピューリタンはこの典型例)に比し、これを「止むを得ない事」と考える人たちは、普通はこういった「人類共通の恥部」を公に口にする事を避ける(橋下大阪市長は、敢えてこれを口にした為に、ご本人の予想を遥かに越えるバッシングを受けるに至ってしまった)。

という事は、「こういう事をネタにすれば、反撃は受けにくい」と考える卑劣な人たちに、絶好の「策謀」の場が提供される事を意味する。これらの策謀家たちは、ニューヨークのど真ん中で ”Sex Slave” という禍々しいネオン広告まで出したと聞くから、とても尋常とは言えない。

この人たちがもし「正義感を持った誠実な人たち」であったなら、先ずは歴史的な事実を検証する事から始めただろうから、この人たちがその範疇に入らない事は間違いない。それならば、一体何の目的で、彼等は膨大な金を使ってまで、躍起になってこのような異常な「反日宣伝」行動に挺身しているのだろうか?

このようにして作られた異常な “His Story” の被害者は、先ず「米国等で不当に名誉を傷つけられた一般の日本人」だ。次に「日本と韓国にまたがる仕事をしているが故に、日韓関係の悪化で仕事が縮小する恐れのある多くの日本人と韓国人」だ。それ故、 “His Story” 拡散の仕掛人たちは、「虚偽の風説の流布によって、直接的、間接的に不当な損害を被ったこれらの人たち」から、損害賠償の請求を受けても然るべきだ。

韓国側によって宣伝活動のターゲットにされている米国も、「愚かな東洋人同士の意味不明の争い」に、恐らくは内心辟易しているであろうし、国連の事務局の中にも、潘基文事務総長が不用意な発言をしたばかりに、自分たちもこの愚かな争いに巻き込まれるのではないかという懸念が芽生えているかもしれない。

潘基文氏の発言の本来の意図が、仮に「安倍首相の一連の国家主義的(復古的)発言に対する牽制」であったとしても、彼が韓国人である限りは、それだけを韓国の他の反日宣伝活動から切り離して貰えると期待するのは難しいだろう。よく考えてみると、潘基文氏のあの発言は、彼の「国連の事務総長」という立場を考えると、殆ど常軌を逸したものだった訳で、日本は「十分な議論をする事もなく一方的に我国の名誉を傷つける発言をする人物が事務総長である限りは、我が国の国連への分担金を再検討せざるを得ない」という事ぐらいは言っても然るべきだったと思う。

「在日」の人たちも、恐らくは相当の迷惑を受けているだろう。私がもし仮に「在日」だったら、これまでなら「かつての日韓併合を未だに肯定的に見ている日本人」に対し、大いにその「歴史認識の不当性」を論難出来ただろうが、この様な状況下では、もはや一般の日本人に対して「歴史認識」の問題を持ち出すのは難しい。立場の異なる人たちが「歴史認識」の問題を真摯に語り合う為には、お互いのHis Storyではなく、客観的な事実と普遍的な価値観をベースにしなければならないのに、既に「典型的な悪しきHis Story」が、韓国側の手で舞台に乗せられてしまっているからだ。

しかし、突き詰めれば、これまでは韓国に親しみを持ち、それ故に、北朝鮮の問題等も共に解決したいと考えてきた普通の多くの日本人こそが、もしかすると、実は最大の被害者なのかもしれない。今や、多くの一般の日本人が、「突き詰めれば、韓国も北朝鮮とあまり変わらない国のようだ」と考えるに至って来ているし、「原爆は日本人に対する天罰だ」という記事が「中央日報」に掲載されるに至っては、「韓国の方が北朝鮮より酷い」と感じ始めた日本人も多いだろう。そんな状況下で、「韓国と手を結んで共通の目標の達成を目指すべき」等と主張する事は,実際上不可能に近いからだ。

さて、ここでニンマリと笑っているのはどういう人たちなのだろうか? 「今のような姿勢で対日非難を繰り返していれば、やがて日本が折れてくるだろう」と考えるような能天気はまさかいないだろうから、この人たちは、当然「日本からは何の見返りも得られず、関係が悪化するだけ」という結果は読んでいることだろう。この人たち、つまり「日韓間の経済活動が停滞し、この結果として韓国の経済自体にもマイナスが生じ、現政権の人気が落ちる」事をむしろ秘かに狙っている人たちは,一体誰なのか? 一般の日本人が「韓国と北朝鮮はあまり変わらない」と次第に考えるに至る事で得をする人たちとは、どういう人たちなのか?

ここで私は、自分が韓国の大統領だったらどうするかを考えてみたい。私なら、大いなる勇気を奮い、覚悟を決めて「対決」を決意する。「対決」とは「日本との対決」ではない。「国内の極左勢力との対決」である。日本と対決してみても、失うものは多くとも、得られるものは何もないだろうが、国内の過激な反対勢力を押さえ込めれば、政権運営への束縛を緩和出来るからだ。

大方の日本人とは異なり、私は朴槿恵大統領に対しては同情的だ。韓国人なら誰でも、彼女を父君の朴正煕元大統領と重ね合わせて見るだろうし、彼女を支持する人たちの一部がそれ故に彼女を支持しているのも事実だ。しかし、強圧的であると同時に親日的だった朴正煕氏に対して反感を持っている人たちを、そのまま敵に回したのでは、政権を維持出来ないから、父親との違いを際立たせるような何等かの言動は、彼女にとってどうしても必要だった筈だ。

しかし、今となっては、大統領選から既に相当の時間が経っているし、もう十分に「親日的ではない」姿勢はみせたのだから、そろそろ現実路線に立ち戻っても構わないと思うのだが、どうだろうか?

冒頭のコメントに戻ろう。「歴史的事実と真摯に向き合わない国に未来はない」という言葉を、日韓両国とも、もう一度噛み締めよう。しかし、その「歴史」は、”His Story”ではなく、「客観的によく検証された歴史」でなければならない。

両国の近代史学者とジャーナリストは、先ずは彼等の理解する種々の「歴史的事実」を公開のテーブル上に乗せ、それを「間違いのない事実」「不確かだが、もしかしたらあったかも知れない事」「事実ではなかった事」の三つに振り分けてみるべきだ。その分類に際しては、お互いに物的証拠と状況証拠を揃えるべきは勿論の事だ。その上で、その評価(謝罪に値するかどうかを含め)を、両国の為政者同士の真摯な議論に委ねようではないか。

最後に、これまでに再三言ってきた事の繰り返しにはなるが、「かなりよく勉強してき」と自負している私としては、既に歴史的事実は十分把握していると思っているので、「この様な検証プロセスから得られた結論として、日本政府は下記のような言明をすべきだ」と考えている事を、今一度付言させて頂きたい。

「日本による韓国併合」について:

1910年の日本による韓国の併合は、欧米各国が、罪の意識を持つ事もなく、武力を背景とした植民地獲得競争にしのぎを削っていた当時としては、日本にとっては当然の選択肢だったかもしれないが、「民族自決」を前提とする現在の価値観から見れば、これはとても肯定出来る行為ではなかった。これによって当時の大韓帝国の主権が踏みにじられ、国民の誇りは傷つき、権力を背景とした不当な経済行為も一部に横行したのは事実である。

従って、仮にこれが形式上の「任意併合」であり、且つ、多くの分野で韓国の経済建設に実際に貢献した点があったのも事実だったとしても、日本政府は、この事について、当時の大韓帝国民の子孫である人たちに対して、遡って真摯に謝罪する事が必要であると考える。この事は、かつての「村山談話」の意味したところでもあったが、韓国政府の要請もあったので、ここにあらためて確認する。

「従軍慰安婦問題」について:

多くの国で、遠い過去から現在に至るまで、戦場での兵士を対象とする売春行為が組織的に行われ、軍がその運営等に一定範囲(健康管理等)で関与する実態があった(この存在意義については、例えば韓国陸軍が1956年に編纂した「後方戦史(人事編)」等の中で、詳細に語られている)。しかし、この実態は、人類全体として恥じるべき事であり、今後は、これによって女性の普遍的人権がいささかでも害される事がないように、各国は十分な注意を払うべきだ。

残念ながら、第二次世界大戦中の日本軍においても、このような実態があったのは事実であり、また、売春に従事する女性の募集を行った民間業者の中には、詐欺的な手口でこれを行う等の不正が多々あったにも関わらず、それを完全に防止出来なかった事については、軍にも一半の責任があったと認めざるを得ない。

しかし、その事については、日本政府は既に「河野談話」によって遡って遺憾の意を表し、犠牲となった女性がいささかなりとも金銭的な補償を受けられるように、民間の有志による「アジア女性基金」の設立を支援した。従って、この事について、日本政府としてはこれ以上に語る事は何もない。

「賠償問題」について:

金銭的な支払いを伴う二国間の行為は、「恫喝」等のような不当なやり方ではなく、両国間の法的な合意をベースにして行われるべきは当然であるが、日本と韓国の間においては、両国が長期間にわたる真摯な交渉の結果として1965年に締結し、両国で批准された「日韓請求権協定」が存在しているので、この規定に準拠するのが当然である。具体的には、この協定の第2条1項において「日韓の両国間及び両国民の間の請求権に関する問題は、完全かつ最終的に解決された事となる事を確認する」 とされているので、遡及的な如何なる新たな請求も、法的な根拠を持っていないと解釈するのが妥当である。

もしこの協定自体が韓国の憲法と抵触しているというのなら、それは韓国の国内問題であり、現在の韓国政府が自国の憲法に従って日本との再交渉を試みるのは自由であるが、日本としては、国際法の秩序を守る為にも、このような交渉には応じられない事は明らかである。

但し、この「日韓請求権協定」は、当時の大韓民国が「朝鮮半島における唯一の合法的な政府」であるという共通認識をベースにしているので、その時点で「半島の北半分を実質的に支配する国」として既に存在しており、現在も同様に存在している朝鮮人民民主主義共和国が、もし将来、日本政府が歓迎出来るような形で国際社会の良き一員となるような事があれば、同国政府、或いはその後継者との間で、新たな請求権の枠組みについて、日本政府として話し合いに応じる用意はある。