懺悔から始まる変革:黒岩佑治『嫌われた知事』

「いろいろな個性を持った人生がそこにはありました…(中略)…小学生と二人三脚をがんばったあなた」

7月26日の津久井やまゆり園事件追悼式において著者が知事として追悼の辞を述べた際、犠牲者たちの生前の姿がスクリーンに映し出された。凄惨な大量殺害事件の犠牲者19人に対して、末尾で「あなた」と付け加えられた短いエピソードがそれぞれ計19回紹介されたのだ。

しかし、思わず涙した詩的で独創的な式辞が、実は遺族が被害者の実名を公表しないよう求めた上での対応だったことを、私は本書を読んで初めて知った。

「要するに、私自身が障害福祉の世界について、生半可な知識しかなく、本質を分かっていなかったのだと言わざるをえない」

現職知事である著者の作品名が「嫌われた知事」とは、大変に刺激的である。本書は8年前の2016年7月26日の津久井やまゆり園事件を受け、著者本人が「懺悔録」と言う通り、園の再生や障害福祉に取り組む中での失敗も赤裸々に語った力作である。

事件の第一報を受けてからメディアに情報を発信する手法や、指定管理者制度を理由に逃げることなく監督責任を認めた当事者意識あるメディア対応でダメージを最小限に抑えた冒頭部分。著者自身の経験に基づいた危機管理手法が的確であった一方、事件のあった津久井やまゆり園の惨状や職員との意見交換では障害福祉分野での経験のなさを露呈。

これまでの県政で意識してきたスピード感に拘った結果、自ら状況を悪化させてしてしまったことを率直に反省する。経験のなさや経験があった故の混乱が、臨場感もって描かれているのだ。

「刺激のない世界なんて、そもそもこの世の中のどこにもありませんよ」

中盤以降は、著者の自問自答や壁にぶつかって苦悶する様子が赤裸々に描かれる。両親と当事者のうち、誰の声が優先されるべきなのか。懸命に働く職員たちのやっていることは虐待にあたらないのか。そもそも「普通」って何なのか。

本書では、私が議員になる前の議会での攻防も描かれている。そんな戦いの中で肉体的にも精神的にも疲労困憊の中で著者に手を差し伸べたのが、なんと障害をもった当事者たちの激励であったことは大変興味深い。そして議論を繰り返す中で、障害者施設の役割とは、当事者が多様な人々が住む「ごちゃ混ぜ」社会にいずれ自ら入っていくための準備期間である、との考えに辿り着く。

特別支援学校の分離教育をいつか変えていこうという問題意識を持つ著者に対して、県民の理解はどこまで進んでいるのだろうか。

私は進学先の選択肢が用意されていることが必要と考えるが、今年度から始まった海老名市のフルインクルーシブ教育の目指す方向性は、普通科と支援学校の垣根にどう取り組んでいくのか。障害者生徒と普通科生徒が同じ条件下で学ぶ中で、双方が不幸にはならないだろうか。昨年度文教委員として議論に加わった経緯もあり、理念に共感しつつも現場から届く生徒、両親、学校関係者の声にも十分に耳を傾けたい。

私は先輩県議の影響もあり、本書にも登場する「ともに生きる社会かながわ憲章」が制定される経緯に関心を持ってきた。また、書家の金澤翔子氏の揮毫「ともに生きる」が印字された青Tシャツを着用することもある。しかし、これまで津久井やまゆり園事件追悼式に出席したこともなければ、県と議会が障害者福祉について交わしてきた議論の内容を理解していたわけでもなかった。

そんな中、追悼式の帰路に立ち寄った橋本駅の本屋で、即座に手に取ったのが本書であった。著者自身がゼロから勉強した中での失敗談を惜しげもなく披露してくれたおかげで、同じくゼロから勉強し始めた新人県議の私も助けられている。著者が繰り返す「当事者目線」の意味を、これまで以上に意識して議会の中での議論に生かしていきたい。

※ 本書評は評者独自の見解であり、所属会派の意見を代表するものではありません。