デジタル教科書にサンセイのハンタイなのだ --- 中村 伊知哉

アゴラ

というわけで、デジタル教科書への改めての批判と回答、反対論と賛成論からなる一連のやりとりをご紹介してまいりました。

でもかなり錯綜しているので、最後にちょっと整理してみます。


まず、当初、ツイッターで議論を進めるに当たり、現状を6点整理しました。

1)  教育情報化の第一目的は「やる気の向上」。政府調査によれば、一人一台導入後、小学生の9割5分が「授業が面白い」と回答。

2)  第二目的は「学力の向上」。政府調査によれば、一人一台導入後、9割以上が「授業がわかりやすい」と回答。第三目的は「表現力の向上」。同じく7割以上が「わかりやすく伝える・発表したい」と回答。

3)  授業にICTを活用して指導する能力は、一人一台導入前は教員の51%、導入後1年で80%に向上。

4) ただし紙・鉛筆をデジタルに置き換えよというものではなく、紙・鉛筆+デジタル。紙がよい効果のある学習はそれを続ければよく、デジタルが威力を発揮する学習はデジタルで。しかし反デジタルの方々は対立項に持ち込もうとする。

5) 従来、実証の成果を待って進めるというのが国(というか財務省)のスタンスだったが、実証を「進めつつ」推進という政策転換が昨年行われた。実証と推進の同時並行。これはアナログの教育が今も実証と推進を同時並行しているのと同じ。

6) 実証は必要だが、実証の成果を「待って」いたら100年たっても導入はできない。社会全般も、子どもの暮らしも、海外の教育もみなITを利用する中で、導入に反対するかたには「導入しないメリット」を実証する責任が生じていると思う。

そのうえで、ぼくの現状認識も6点加えておきました。

1) 韓国シンガポール始め各国が今年から来年に一人一台環境を整えるのに対し日本は7人に1台が現状。政府目標は2020年。ぼくらが急げと言ってるのはここで、「教材」もそれにつれて拡充していく。

2) 「教科書」はまだ開発・実証段階だが、本格導入するにはデジタルを正規版扱いするよう3法の改正が必要で、もう少し時間がかかる。

3) 情報化の実証は各国で進んでおり、日本では文科省・総務省、海外事例はApple、マイクロソフトらの報告をチェックすればよい。

4) ただし紙・鉛筆をデジタルに置き換えよというものではなく、紙・鉛筆+デジタル。紙がよい効果のある学習はそれを続ければよく、デジタルが威力を発揮する学習はデジタルで。しかし反デジタルの方々は対立項に持ち込もうとする。

5) 従来、実証の成果を待って進めるというのが国(というか財務省)のスタンスだったが、実証を「進めつつ」推進という政策転換が昨年行われた。実証と推進の同時並行。これはアナログの教育が今も実証と推進を同時並行しているのと同じ。

6) 実証は必要だが、実証の成果を「待って」いたら100年たっても導入はできない。社会全般も、子どもの暮らしも、海外の教育もみなITを利用する中で、導入に反対するかたには「導入しないメリット」を実証する責任が生じていると思う。

これに対し、反対意見が寄せられるようになったため、ツイッター上での議論とあいなった次第です。

前回までの議論を3点整理しますと、

1) 賛成派はAのメリットがあるから導入せよといい、反対派はBのデメリットがあるから導入不可、という対立です。

2) 賛成派はBはデメリットではなく、存在も不明なので実証されたしといい、反対派はBのデメリットを解消しろ、というすれ違い。

3) 賛成派はAのメリットを活用すべきといい、それに対し反対派は無回答で、賛成派が検証不足だと批判しています。

そこには根本的な情勢認識の違いがあります。

反対派は、デジタル教育の進展に社会的なコンセンサスがなく、だから社会の了解を得るために賛成派は実証や検証をする義務があると考えているのですが、(賛成派全体ではなく)ぼくは、国際社会や日本政府・自治体はもうコンセンサスに基づいて決定を下しており、逆に反対派が実証や検証で不当性を示さないといけなくなっていると考えているのです。

デジタル教育推進はぼくらの横暴という声がありますが、政府決定にまで至っているのは、世界の先生、研究者、保護者、企業、官僚、政治家らの努力が積み上がったものだと考えます。ぼくはハネ上がりのスピーカに過ぎません。

各国が推進し日本も政府決定した中で、このままでは実証+実現に向かいます。だから反対派は、その理由をデータで科学的に実証して止めるべき状況なのです。が、その努力はみられません。私は本件は賛成派ですが政府の企てに反対したり阻止したりする経験も多く、それが元で役所も辞めました。そこからみて、主張も方法もそれじゃダメだろうと思います。

例えば、4年前の子どもケータイ禁止条例が進められたのは、懸念があったからだけでなく、出会い系など警察の実害データ=実証があったからです。これに対しぼくらは団体を作り、懸念とデータの両方に対応してきました。フィルタリング(技術)や啓発(教育)などの対策です。その後4年で、データはひとまず改善。世間の懸念も下がってきて、むしろ安心や学習のためにケータイを持たせる親が多くなっています。今それがスマホ化。学校でタブレットを、という要請はその線上にある話でもありましょう。

デジタル教育反対派も、タブレット導入するな論にはもう警察が示したような実害データ=実証が要るんじゃないかと思うんですよ。デジタル教育反対論でも、田原総一朗さんの「画一的になる」という意見、田中真紀子さんの「読まなくなる」という意見には明確に反論しました。誤認ですので。でも多くの反対派による「懸念」には反論してきませんでした。それはただの「不安」だから。不安は反証しても解消しません。

デメリットの実証と申し上げているのは単なる老婆心です。賛成派は放置しておいても事態は進むからです。なのに賛成派に実証せよと迫り続けているのは、運動に対し不真面目だなぁと思います。私が反対派なら、そういう行動はしません。つまり、反対派は、ぼくからみれば反対する「ポーズを示す」派に過ぎない。「反対するポーズ派」は、55年体制がいつまでも続くのを望んで体制を維持した昔の社会党のようなもので、ぼくからみれば「形を変えた賛成派」であります。    おしまい。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2013年9月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。