■無罪判決後も続く身柄拘束
東京の大学院に通学していた中国人留学生が殺人未遂で起訴された事件(裁判員裁判)で,同僚弁護士が弁護人を務め,心神喪失1を理由に無罪判決を勝ち取った。検察側の鑑定医が,統合失調症の判断を下し,犯行当時,心神喪失の状態であったと結論づけたことが決定的な理由であった。
しかし,この中国人留学生は,一審で無罪判決となっても,釈放されず,無罪判決から2か月以上経った現在も,未だに身柄は拘束されたままである。一審の無罪判決当日,直ちに精神保健福祉法にもとづく措置入院の決定を受け,その後,医療観察法に基づく鑑定入院命令が出たからである。
ちなみに,この殺人未遂事件は1年以上前に起きており,中国人留学生は,逮捕・勾留開始当時から治療を受け始めたので,検察側の鑑定医も,無罪判決の時点では統合失調症の症状自体が既にコントロールされていることは認めていた。
■医療観察法とは?
医療観察法(正式名称:心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律)は,重大な犯罪行為(殺人,傷害,放火,強姦,強盗など)を行った者で,①心神喪失や心神耗弱を理由に不起訴となったり,②心神喪失を理由に無罪の確定判決を受けたり,③心神耗弱を理由に起訴猶予の確定判決を受けたりした者について,検察官の申立てによって,裁判所が入院決定,通院決定,又は,医療を行わない旨の決定を下すという制度を定める法律である。
なお,決定に先立って,裁判所は鑑定入院命令を下して,対象者を入院させ,検査を行って,医療を受けさせるべきか否か,入院と通院どちらが相応しいのかを判断する。中国人留学生の事案でも,鑑定入院命令が下され,それによって身柄拘束が続いている。
■無罪確定までのつなぎとしての措置入院
ただし,医療観察法による鑑定入院命令は,無罪判決等が「確定」した場合に,初めて下すことができる。中国人留学生の事案でも,一審の無罪判決後,検察官が控訴をしないまま2週間が経過して一審判決が確定した後に,鑑定入院命令が下されている。
では,それまでの間,中国人留学生はどのように処遇されていたのか。一審の無罪判決が出た直後,検察官は,精神保健福祉法(正式名称:精神保健及び精神障害者福祉に関する法律)にもとづく措置入院の申立てを行い,スタンバイしていた2人の指定医が,直ちに診察を行って,措置入院相当の意見を出し,東京都知事の命令により措置入院が決定され,身柄が拘束された。
もし,この措置入院の決定がなされていなければ,中国人留学生は釈放されるか,出入国管理局に身柄を移され,強制送還等の措置が執られることになっていたはずである。
■措置入院とは?
精神保健福祉法に定められた措置入院とは,精神障害者について,入院させて医療を施さなければ自傷他害の恐れがあると,指定医2名以上の診察を受けて判断された場合に,都知事が強制的に入院をさせて医療を受けさせる措置である。
医療観察法が罪を犯した者の更生を目的とするのに対し,精神保健福祉法は犯罪者に限らず,広く自傷他害の危険のある精神障害者の保護を目的としている点で,立法目的に差異がある。
■措置入院によるつなぎの実態
医療観察法による鑑定入院は,罪を犯した者について,刑が確定した場合にしか命ずることができないため,現在の法制度に基づく運用では,無罪判決等が出たら,いったん身柄を釈放するのが本筋のはずである。しかし,実際には,身柄を釈放することは稀で,精神保健福祉法にもとづく措置入院を行うのが通例となっている。
だが,中国人留学生の事案のように,判決が出るまでの間には長期間の公判のための勾留が実施されており,その間に拘置所で医療が施されていて,事件発生当時には生じていた精神障害が治癒していたり,コントロールされていたりするケースも多い。実際のところ,医療観察法にもとづく申立てがあっても,身柄拘束を伴う入院決定が出るのは63%で,通院決定が17%,医療を行わない旨の決定が17%,却下決定が4%,取り下げが1%となっている(平成17年7月15日から平成23年12月31日までの延べ人数。厚生労働省の調査結果による。)。
つまり,医療観察法に基づく申立てがなされた被告人について,ほとんどの場合に措置入院の措置が執られているとすると,そのうち37%は,本来は措置入院が相当ではなかった可能性のある事案であるということである。
■入院ありきの措置入院
確かに,医療観察法の申立てがなされた被告人すべてについて,その前に措置入院がなされているという統計があるわけではない。また,鑑定入院の間に病状が変化するということもある。医療観察法にもとづく入院決定と,精神保健福祉法にもとづく措置入院の要件が異なることも事実である。したがって,無罪判決が出たあとの措置入院のうち37%がすべて誤った判断であったとは言えない。
しかし,措置入院が,医療観察法にもとづく鑑定入院までの間の便宜的なつなぎの手段として利用されている実態を見ると,多くの措置入院の判断の中に,何か怪しいものが紛れ込んでいるのではという疑問を禁じ得ないのも事実である。すなわち,指定医が,検察官の申立てに迎合して,入院ありきで判断しているのではないかということである。
■例外的手段による身柄拘束の危険性
身柄拘束の手段を例外的な手段で強行して重大な人権侵害を招いた事例としては,東電女性社員殺人事件の例がある。このときは一審の東京地裁で無罪判決が出たにもかかわらず,被告人が出入国管理局で強制送還を待っている間に,東京高裁が異例の勾留決定を下して身柄拘束を続けた。そして,最終的には東京高裁及び最高裁で逆転有罪判決が出て,身柄拘束は確定的なものとなった。東京高裁の勾留決定は,一審の無罪判決の資料を見て,わずか数日で出されたものであり,一審が熟慮して決定した無罪判決を,同じ資料にもとづいて短期間で覆して良いのかという重大な疑義のある決定であった。
最終的には,この事件は再審無罪という劇的な展開を辿ることとなり,東京高裁の勾留決定が誤りであったことが事後的に証明された。東京高裁が定石通り勾留を却下していれば,被告人が15年もの間無実にもかかわらず身柄拘束されるという結果にはならなかった。東京高裁が先入観を持って検察官の主張を鵜呑みにし,見込みで異例の勾留決定を下したことは,大きな過ちであった。
■医療観察法の再検討
制度の本来の趣旨に反する目的で,制度を便宜的に利用すると,制度の運用方法が杜撰となり,思わぬ人権侵害をもたらすことは,過去の事例から明らかである。精神保健福祉法にもとづく措置入院も,医療観察法の不備を補うための便宜的措置として用いていると,指定医の判断のブレに繋がり,重大な人権侵害をもたらす危険がある。
無罪判決等の確定を待たず,医療観察法にもとづく鑑定入院を行う必要があるのであれば,医療観察法にそのための制度を設けるのが本筋である。その議論を避けて,他の法律で便宜的にカバーしようとするのは避けるべきであろう。
平岡 敦
弁護士
編集部より:この記事は「先見創意の会」2013年9月24日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった先見創意の会様に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は先見創意の会コラムをご覧ください。