「戦後レジーム」の失楽園

池田 信夫

バカバカしい秘密保護法騒動が終わった。ここ2週間ほどの短い騒ぎだったが、うんざりしたのは朝日新聞の常軌を逸した偏向報道とともに、2000人以上の自称「学者」が反対声明に署名したことだ。その本文は30行足らずで、問題点の指摘は次の部分ぐらいだ。

特定秘密保護法は、指定される「特定秘密」の範囲が政府の裁量で際限なく広がる危険性を残しており、指定された秘密情報を提供した者にも取得した者にも過度の重罰を科すことを規定しています。この法律によって、市民の知る権利は大幅に制限され、国会の国政調査権が制約され、取材・報道の自由、表現・出版の自由、学問の自由など、基本的人権が著しく侵害される危険があります。

これは被害妄想である。今度の法律で秘密の範囲は広がらない。今でも政府の管理している「特別管理秘密」は42万件もあり、それを指定する法的な基準もない。今回はその手続きを定めただけだ。しかも特定秘密を「取得した者」が処罰されるというのは事実誤認である。処罰の対象は「特定秘密を漏らした者」(22条)であり、それを聞いただけで処罰されることはない。一般人が処罰されるのは、意図的に共謀して漏洩した場合(25条)だけだ。

表現人の会に至ってはお笑いだ。今度の法案が「平和で民主的な社会を基盤として成り立つ、音楽・芸能、美術、文学、映画、写真などの創造的な営みや、出版・報道・放送など、さまざまな表現活動の自由を損なうものです」というが、軍事機密を漏洩する音楽・芸能・美術とは何か。世界の歴史上で一つでもいいから例をあげてほしい。

他にも同様の声明がたくさん出ているが、共通点は「憲法に定める基本的人権や平和主義」といった決まり文句が必ず出てくることだ。安倍首相のいう戦後レジームを守りたいというのが、彼らの気分だろう。今までアメリカに守られて「平和主義」の楽園で暮らしてきたが、国境紛争の頻発でそうも行かなくなった。しかしそれを変えるのは恐い、という不安はわからなくもない。

しかし客観的に考えて、安倍政権が日本軍のように暴走するリスクがあるのだろうか。他方で、防空識別圏への対応をみても、中国は国際的なルールを知らない。国際法には法の支配がないので、中国を抑止する方法は軍事力しかない。ネグリ=ハートも言ったように、西洋モデルの主権国家による「国際社会」が崩れて、強者の主張が通る「ジャングルの法則」になる法秩序のグローバル化が起こっているのだ。

軍事・外交機密は、こうしたグローバル法秩序の中でゲームをするときの重要なカードである。その漏洩を放置したまま外交交渉をするのは、牌を倒したまま麻雀するようなもので、絶対に勝てない。好むと好まざるとにかかわらず、もう平和主義の楽園は失われたのだ。