朝日新聞誤報問題を受けて思うこと --- 河原 ノリエ

アゴラ

朝日新聞の誤報問題は、ジャーナリズムへの社会からの信頼を大きく揺るがす事態となっている。その何ともお粗末な経緯に、またか! と思ってしまった。

2002年6月13日、朝日新聞の朝刊に、私は自分のコメントがまったく異なる文脈で使用されていることに我が目を疑った。「日本医師会長本人の了解ないまま連名で英科学誌に投稿」と、3段組の大きな記事である。


私は、英国の科学雑誌『ネイチャー』に「日本の科学にとって個人情報保護は無くてはならない」というコメンタリーを、坪井栄孝(日本医師会、世界医師会、会長)、光石忠敬(弁護士)、米本昌平(科学技術文明研究所、所長)大島明(地域がん登録全国協議会、理事長)(※それぞれ当時の肩書き)の各氏に呼びかけ、5人の連名で投稿したばかりであった。

電子版でこの記事を早々と見つけたという若い記者から、その朝刊記事の前日、突然、ずいぶんと無礼な電話がかかってきた。日本医師会と日弁連の人権派が共同でなにかをすることはありえないから、裏があるのではという記者の憶測からの取材だった。同じことを日本医師会にも聞いたが答えてくれなかったと、何度もしつこく電話をしてくる記者に対して、「あなたのような人に取材を受けることに巻き込んでしまって、会長には申し訳なく思う」と電話を切ったのだが、それがまったく別の文脈で私のコメントとして記事にもなっていたのだ。しかも、このネイチャーは、トップオーサーである坪井会長に無断で出されたものだという記事内容である。

その後、英国のネイチャー編集部からの正式な抗議も入り、若い記者の強い思い込みのフライング記事として、新聞社の編集委員の方からお詫びを頂いた。小さな訂正記事も出た。

2002年は同時多発テロの翌年で、国内ではメディア規制を巡る個人情報保護法案への疑義のみが大きく報道される一方、OECD科学技術部会でも、個人遺伝情報保護のルール整備が進む中、海外から日本の個人情報保護の制度設計の遅れを指摘される研究者の声がよく聞かれるようになった頃だった。国際社会に向けて、日本のスタンスを示すべきではと、以前から、カルテ開示の問題など真摯に先進的に取り組んでおられた坪井会長とともに考えたのがこのコメンタリーだった。

その後、この5人で岩波『世界』で、個人情報保護と日本の医学研究という座談会をした際に、この朝日の誤報問題も取り上げた。座談の中で、私たちはこれをどう見るかを話しあった。「日本の市民派と呼ばれるメディアは、対立の構図でものを見るという世界観に固執してしまっている。旧来の構図を壊して異なる立場で話し合い、それぞれの側面を現実的に評価して共存していくという姿勢を掬い取ることに慣れていないのではないか」というのが我々の見解だった。

12年たっても、この体質はなにも変わっていなかったということなのか。この間、ソーシャルメディアの台頭により、世界の情報空間の変容はすさまじいものがあるが、私は、ソーシャルメディアには、世界の論議を深めるより、均一化する圧力があるのではと以前から危惧を感じており(最近、こういう記事も出始めている Social Media and the ‘Spiral of Silence’)、新聞というメディアが社会から付託されている役割はまだまだ大きいはずであると思う。

この誤報記事が出たあと、私たちは、手分けして各方面に説明の電話をしたが、ある省庁の幹部に「なあーんだ、さすがカワハラさん、世界のネイチャーを手玉にとって、凄いおばちゃんだってみんなで盛り上がってたのに、朝日のほうが誤報だったのね」と残念がられてしまったのには、ちょっとショックだった。

それよりも、せっかく立場の異なるもの同士で問題の共有をしていこうとしてつくりあげた声明文がこうした新聞社のお粗末な憶測記事に巻き込まれたことを悔しがった私たちに、「君たちが伝えていきたいと思っていたことはその程度のことなのかい。そうでないのならその程度のことでうろたえるな」と静かにおっしゃった方がいる。

日本のがん研究の基礎をつくられてきた癌研の菅野晴夫先生である。

今回の朝日新聞の誤報問題はこの国メディアの稚拙さを世界にさらしてしまったが、どんなことがあっても、伝えていかなければならないこと、その本質を見失わないでほしい。

河原 ノリエ
東京大学 先端科学技術センター
総合癌研究国際戦略推進講座 特任助教


編集部より:この記事は「先見創意の会」2013年9月30日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった先見創意の会様に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は先見創意の会コラムをご覧ください。