朝日誤報の激震 ~ 日本マスジャーナリズムの行方 --- 宇和 吾郎

2014年10月29日 09:15

◆「むのたけじ」さんの想い

久し振りに今年99歳になるジャーナリストの「むのたけじ」さんが若かりし頃に書いた「詞集たいまつ」を読み直してみた。

この本は、戦後秋田県横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊し、その紙面づくりをしながら、書き留めたものである。「人間に関する断章604」との副題がついてるようにコトバの成立からとき起こし、人間としてどう生きるかとの視点に立って自然から仕事、恋愛にいたるまで幅広く扱っているが、その根底にあるのは、戦時中、朝日新聞の従軍記者として、戦争に協力してきたという強烈な反省である。

むのさんは、終戦とともに潔く朝日新聞を辞め、地方でほとんど独力で小新聞を起こした。当然ながら、その考え方の基本は反戦平和であり、いまだに優れたジャーナリストとして尊敬されている。


◆戦後最悪の朝日誤報問題

それにしても、そのむのさんがかつていた朝日新聞がおこした誤報問題は、戦後最悪のマスジャーナリズムの汚点といっていい。

すでに周知の事柄になっているが、ことの発端は、8月5日の朝日新聞の紙面に、従軍慰安婦問題を検証と称して、強制連行を裏付けたとした故吉田清治氏の証言を削除したのだ。さらに、9月11日には、木村社長自らが記者会見して、福島第一原発事故の吉田調書について、5月20日付けで一面トップで報じた記事を取り消し、謝罪した。

新聞記者も人の子であるから、事実誤認などミスはあるが、紙面を汚したら直ちに訂正し、読者にお詫びするというのが基本ルールだ。しかし、朝日の慰安婦報道は32年も放置し、その間吉田証言を16回も紙面掲載している。そのこと自体、にわかに信じがたいことであるが、この慰安婦を強制連行したという報道が、慰安婦問題が国際法違反とした国連の「クワラスワミ報告」を誘導し、世界に対し、日本は「性奴隷」の国家だとの印象を植え付けてしまった。

この罪はあまりにも大きい。誠実、謙虚であることが、ジャーナリストの最低の資格である。「むのたけじ」さんは、この朝日の惨状ぶりにどんな想いをいだくのであろうか。

◆止まらぬ新聞の経営基盤沈下

今回の朝日新聞のダブル吉田誤報問題の特徴は、他の大手新聞により、鋭く追及されて、表面化したことだ。これまで新聞業界では、同業他社を叩くことは避けるのが一つの不文律になっていた。非公開だった吉田証言を政府が公開したその日に、朝日が社長会見し、自らの一面トップの特報を取り下げ、お詫びしたのは、他紙に追い詰められ、「逃げ場」を失ったからにほかならない。

言論機関同士が、意見の対立があるのは当然だし、事実確認について相互に徹底的に検証するのは、むしろ健全なあり方でもある。だが、読売新聞などは、新聞紙面だけでなく、販売店に朝日問題の解説パンフレットを大量に配布し、さらに朝日撃墜キャンペーンよろしく、単行本まで緊急出版した。ある新聞人は、その読売の動きに「たしかに朝日の誤報は重大な問題だが、読売は鬼も首をとったかようなやり方で、言論機関として限度を越している」と眉をひそめる。

読売はほかの新聞社より、販売が力をもっているとされているが、そうした異常な行動をとる背景には、実はいま新聞業界が抱えている「紙離れ」による危機的な経営問題がある。

新聞社の収入の根幹は、言うまでもなく、発行する新聞から得られる販売収入と紙面に掲載する企業PRなどの広告収入の二つである。危機的なのはここ数年、この販売と広告の収入が一向に下げ止まらないことだ。

数字をみてみよう。新聞・雑誌の発行部数をまとめているABC協会によると、全国紙の今年1~6月の朝刊部数は約2,470万部と昨年下期(9~12月)に比べ約68万部も減っている。これが朝夕刊セット版だと、1990年には2,062万部とピークをつけたあと、最近は1,200万部強と約40%も大きく減っている。

広告はというと、新聞協会の調べでは、2003年の新聞社全体の広告収入は、7,544億円だったものが、2013年には4,417億円と41%も減少している。

各社ともこうした危機を脱するために、多様なコストカットを実行している。
販売面では、他社販売店に自社新聞の配達を委託する「合販店化」により、販売店コストを下げようとしているし、新聞印刷では膨大な印刷費用を下げるためにやはり他社に新聞印刷を委託したりしている。産経は、大胆にも採算の取れない夕刊を廃止してしまった。新聞販売店は、1999年に全国で2万2,311店あったのが、いまや1万8,000店前後までになった。

読売の行動は、あきらかに朝日の購読を止めた読者を奪ってこようとする狙いだ。減少するパイの食い合いの構図である。

◆オペレーター化する現場の記者

最近のインターネットメディアの目覚ましい台頭も新聞業界の凋落に拍車をかけている。通勤時間の電車の中では、いまや新聞の代わりにスマートフォンを覗き込んでいるのがごく普通の風景になってしまった。確かに、ニュースだけみるならヤフーやグーグルのニュースサイトにアクセスすれば事足りる。特にiPadなどの大画面モバイル端末が登場したことで、若年層を中心に新聞離れが加速している。

新聞自体も電子新聞などでデジタル分野に挑戦しているが、成功と言えるのは、日本経済新聞の電子版だけであって、他紙の電子新聞は採算的に苦しい状況だ。

部数減や新興メディアの台頭など新聞業界を取り巻く環境は厳しいが、実は水面下でより深刻な危機が進行している。それは現場での編集記者の質の低下だ。「今の紙面は面白くない。目先の現象ばかり追いかけ、その背後にある本質的な問題を鋭く突く記事が少ない」という声がいたるところから聞こえてくる。

それを裏付けるのが、記者会見である。テレビに映る記者会見では、大多数の記者がパソコンに向かってパシャパシャとキーをたたいている。異様な風景である。

本来、記者会見は勝負の場であり、そこでは発表者の公式的な発言の隙や矛盾を突いて、相手をたじたじとさせるような質問を浴びせ、本音を引き出すところに記者会見としての価値がある。それには、記者は常に発言内容や表情に全神経を集中しなければならないが、パソコンを叩いていては、そんなことはできない。

かつて新聞記者は、報告だけの「ポーター」ではなく、情報内容を深く咀嚼して再発信する「リポーター」たれと言われていた。ところが、最近はポーターですらない。あるベテラン記者は「若い人たちは記者というか、オペレーターという感じ」と指摘する。

こんなケースもある。ある大手金融機関が、かつての引き受け自主ルールを上回るような大量時価発行増資を実施したとき、ダイリューション(株式価値の希薄化)という視点から批判した記事はすぐには出なかった。その金融機関のOBすらも、一様に「非常識な増資だ」とあきれたにもかかわらずだ。

最近の現場の風潮について、ある現場の記者は「新聞広告を大量に出してくれる企業に批判的な記事を書くと、部長を含めた上司が嫌がるんですよ」という。上司にとがめられるのなら、ごく「普通」の原稿を書こうとしてしまうのも無理はない。これでは気骨があり、牙をもつ記者はたぶん、組織から徐々に疎外されてしまう。

販売・広告の落ち込み─収益悪化─経営陣の営業重視─編集現場の弱体化─紙面魅力低下─さらなる部数低下。いまや大手新聞はこの悪循環に陥っている。今回の朝日の誤報問題は、既存メディアとしての大手新聞の信頼感を失わせ、この悪循環の流れをさらに加速させるだろう。

そして、その行方は……。たとえば、家電産業のように、さらなる衰退への道なのかもしれない。

宇和 吾郎
ジャーナリスト


編集部より:この記事は「先見創意の会」2013年10月28日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった先見創意の会様に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は先見創意の会コラムをご覧ください。

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