一億総中流のツケ --- 岡本 裕明

2014年10月30日 10:05

ソフトブレーン創業者の宋文洲氏の発想はかなり異質で時としてそれは違うだろう、と突っ込みを入れたくなることもしばしばであります。日経ビジネスに「異説異論」という正に氏の発想そのままの連載コラムがあるのですが、先日読んでいた内容はふと考えさせるものがありました。

それは「格差があることは良いことだ、金持ちと貧乏人を連れてこい」。全くもって頭に来るほど過激なタイトルなのですが、この刺激的な言葉の中に日本経済が20年も沈滞したままであるヒントがあるような気がしてきました。


「身の回りの自然現象は差があることで発生する」「気温や気圧の差が大気を動かし風を生み、水は高い所から低い所に流れ、エネルギーが生まれる」。確かにそうです。

ではこれを社会に当てはめるとどうなるのでしょうか?昨日、私は「いつかはクラウン」のキャッチの話をしました。これも遡上する「鮭」と同じで上に向かっている日本人がクラウンのところまで届きたいという頑張りそのものなのではないかと思います。遡上中、当然、振り落とされる「鮭」もいますが、だからこそクラウンの価値があるとすればどうでしょうか?全員にクラウンとなればピンクと水色のクラウンが街に溢れてしまい、異様な光景になります。

皆さんの生活において他人との比較がごく日常に行われていると思います。「あいつが買ったから俺も買う」「あの人の服、かわいいから私も欲しい」「最近あの店、流行っているらしいよ、行ってみよう」…。これらはあくまでも他人との比較の中で出てきた自分の立ち位置です。そしてそれ以上に意味あることは他人がやったことを自分も簡単にまねできる経済環境にあるという事です。これは言い換えれば他人も自分も同じ立ち位置にあるとも言えます。

宋文洲氏はこの点を過激な例えで指摘しているだけでエッセンスだけを取り出せばこれは確かに一考の価値がありそうです。

アメリカでMBAやマスターといった学士より上の高等教育を受けた人間が優遇される理由は何か、と考えた時、MBAという一般より更に一段上の世界に上る努力(遡上です)をしたものが得られる格差を自らの力で作り出そうとしているともいえるかもしれません。面白いことにそれら学生は初めはリベラルなのに社会人になるといつの間にか保守に変わるというのも重要な意味合いがあります。

日本が世界でもっとも完成された社会主義国家と言われるのは本質的にはリベラルなのかもしれません。そしてそれは1億総中流を達成した時、戦後の復興を支えた保守からリベラルに改めて変る転換期だったとすればわりとすっきりしないでしょうか?

国民の本質に変化が生じているのに政治だけがその変化をとらえきれていないから結果として政治不信が起きる、という事でもあります。ここにきて衆議院年内解散説も出てきたのはアベノミクスが作り出そうとしている保守、格差が日本の中流意識に合わない可能性があるのかもしれません。

「今時、一億総中流なんてない」と反論されると思います。ですが、世界水準で見れば日本は上も下も大して差はありません。経済や給与水準は20年沈下しているものの、どんなところに住むか、何を食べているかの差はあっても住めない、食べられないという世界はあまり顕在化していません。

日本経済がマッタリしてしまった理由はひょっとしたらこんなところにもあるのかもしれません。アジア諸国の優秀な若者がこぞってアメリカの大学に行くのは個人能力の「格差」をつけることで国を引っ張り、皆より一歩抜きんでることが究極的にあるはずです。それをみて「俺も、私も」と刺激を受け、食いつく国民と「へぇ、すごいねぇ、別世界だねぇ。」で終わってしまうのか、このあたりが一つの論点になってもよい気がします。

もちろん、私は格差万歳などと主張しているのではありません。ただ、いつまでも壊れかけたこたつの中で「まだ温もりが残っているよね」と言っているのでは日本の将来が不安だという事であります。

そういう意味では「今の若者は…」と口癖にしている我々中年から上の世代にも問題があるのかもしれません。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年10月30日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。

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