橋下維新は嫌いでも、大阪都構想は嫌いにならないで下さい!

2015年05月14日 05:30

前回から続いて、大阪都構想について、「賛成派のカルチャー」と「反対派のカルチャー」の真ん中で仕事をしてきた人間なりの意見を書いています。

前回の記事では、「反対派の意見自体」は少しイチャモン的すぎるところがあるが、「橋下氏的なものが進展しすぎることの不安」については一考の余地があるという話でした。

しかし、その「不安」があるからこそ、今回都構想は前に進めていって欲しいというのが、在住者ではないなりの私の願いであり、それをあなたに伝えたくてこの文章を書いています。

ちなみに連続した記事全体としてのキモは以下の絵(クリックで拡大します)のようになります。
ぼんち


2・”安定性維持”のための反対派の懸念はわかるが、動き出すことでその懸念も吸い上げられるようになる。

で、「反対派」に対して私が一応理解できるのは、「反対派の言ってる内容」ではなくて、「橋下氏的なもの」がこのまま前進していった時に社会の安定性が保てるのかどうか?っていう部分なんですよね。言ってる「内容」はともかくその「危機感の表出」という意味では理解できる。

実際、橋下氏が府政・市政を担うようになってから、「改革」を行ったいくつかの領域で直撃的な影響を受けた人の中には、ほとんど「憎悪」というレベルでの反対を唱えている人がいますし、そういう人たちの反論のうちの”かなりの部分の”意見は傾聴に価すると思います。

そりゃ過去の改革の中には「失敗」も結構あっただろうと思います。

要するに「全体的なガバナンスを利かそうとする動き」が「現場的な安定性を損なってしまう作用」というジレンマは常にあるからですね。

まさに「そういう問題意識」ゆえに、冒頭に書いたような私の「色んな人になんでそんなアホなことを?と言われ続けた模索」はあったわけなので、その問題意識は物凄くわかる。

で、この問題について色々と探求してきた私から、「反対派側の懸念」を共有しているあなたにお伝えしたいことは、

むしろまず一歩動き出すことでその懸念も吸い上げられるようになる。

ってことです。

逆に言うと、どっかで前に進み始めないと永遠に”改革派”は余計に過激にならざるを得ない構造があるんですよ。←これ、凄い凄い大事なことね。

例えば反対派の論調の中に、「それは都構想でなくてもできる」という文言が多くあって、その辺が例えば「都構想による財政削減効果の算出」の時に全然違う数字になることに繋がって来るんですが。

で、まあ「都構想でなくてもできる」のは理屈としてはそうなんですが、それを誰がやるんだ?っていう話があるんですよね。

とりあえず維新がある程度の支持率を得ていて、まとまった方向性が示されている時にやらないと、絶対誰もできないですからね。

だから、「橋下氏の改革が荒っぽいものにならざるを得なかった」責任は、「反対派」の一部にもあるっていう発想が必要なんですよ。なぜなら、「改革のエネルギー」は「橋下氏周辺のエゴ」ではなくて「普段の”見せかけの安定”の裏側で本当は存在している無理」が人の形を取って噴出しているだけという性質があるからです。

セクショナリズムが横行して、全員が自分の身の回りのことだけを見ていて、その「身の回り」についたら凄い責任感もあるけど全体で見ると連携が全然なくて、その結果として末端にヒドイ不幸がシワ寄せされる・・・っていうのが「日本人のよくある過ち」ですよね。(先の大戦の反省を本当にやるならまさにその問題をどうするかを考えないといけません)

その「大きな連携を取ろうとする動き」に対して誰も協力しないでいると、「連携を取ろうとする動き」は、荒っぽくなっても前進せざるを得なくなる。

だから逆に、「やるぞ」という方向で固まれば、「じゃあどうやるか」の中に「反対派の懸念」も入れ込める情勢になるんですよね。

で、「構図」的には実は似たような問題を抱えている大塚家具のお家騒動問題について書いた記事↓

keizokuramoto.hatenablog.com

でも書きましたが、これは例えば「5年前」ならできなかったことなんですよ。

5年前なら、まだ世界全体の情勢的に、「アメリカの一極支配」が強くあったから、「市場原理主義者」的な経済評論家とかコンサルタントは、「現場的なもの」を抑圧しすぎる方向に暴走しがちだった。

その時期には、やはり「アンチ市場主義」的なものの中の原理主義的な人たちにも意味があった。

が、世界情勢が「アメリカvsイスラム国」的な多極化時代に入って、「どっちが完全に正しいわけでもない世界の空気」が強まってきている中で、今の日本は「その次の理想」を描ける理想的ポジションにいるんですよ。

その結果、例えば最近デーヴィッド・アトキンソン氏という元ゴールドマン・サックスのイギリス人金融マンが、小西美術工藝社という日本の伝統工芸の会社を再生させた話などがフィーチャーされるようになってきている。

アトキンソン氏は、小西美術工藝社の社長になってから、文化財の質に関わらないコストを徹底してカットした上で、果てしなく年功序列で上がっていく職人の給料を高齢層の部分である程度抑制した分、若手職人を全員正社員として登用、技術の継承にも力を入れ、また国内の文化財の修復には中国産でなく日本産の漆を使うべきだという運動を起こして実現させたり・・・と、八面六臂の大活躍をされています。

配慮しながら「全体最適」的なガバナンスを通すことで、むしろ「現場的な強み」がちゃんと活かせる構造を生み出すような結びつきが生まれてきている。

「ゴーサイン」がちゃんと出るまでは、お互い絶対譲れないから、改革派も荒っぽくやってしまう部分が出ていたんですよ。

でもちゃんと「前に進むぞ」と決めることで、「あたらしい着地点」へと”より丁寧に動いていく”ことが可能になるんですね。

大事なことやからもう一回言うとくでぇ↓

ちゃんと「前に進むぞ」と決めることで、「あたらしい着地点」へと”より丁寧に動いていく”ことが可能になる

で、一歩ずつ「あたらしい均衡点」が歴史的に近づいてきてる結果、5年前は「市場原理主義的なこと言う人」の方がちょっとイタイ感じだったんですが、最近は「アンチ市場」なことを原理主義的に言う人がだんだん「イタイ人」になって来ているところはあると思います。

金持ち老人の道楽としての「清貧思想の押し付け」とかね。あるいは「じゃあ物凄い巨大な土建国家にするってこと?」っていうようなビジョンとか。

アンチ市場主義者の”懸念自体”は正当なものなんですが、だからといってその先にある「未来」に希望はないですからね。だから「前に進む決断」が公的になされるまでは、永遠に「改革派が過激にならざるを得ない構造」があるんですよ。

だからこそ、とりあえず「前に進むこと」だけは決めた方がいいんですよね。

さて、アゴラでは文字数限界が来ているので、分割掲載されています。次回は、いよいよ冒頭の一枚絵で書いたような、「ダメ人間化スパイラル」と「本当の大阪の魅力」についての話をします。続きを一気読みしたい方はブログでどうぞ→コチラをクリックしてください

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倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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