大阪都構想の投票結果について『分析』より大事なこと

2015年05月21日 05:30

大阪都構想の住民投票は、物凄い僅差で否決されましたね。

個人的には結構ショックを受けて、数日ネットで何かアップするような気持ちにはなれなかったんですが、その後多くの人の分析や論評記事を拝読して、その分析自体には「ナルホド」と思うと同時に、あまりにも「この混乱した大阪の状況自体をどう好転させられるのか?」についての感覚があまり湧いてこない状況は良くないんじゃないかという気持ちを持つようになりました。

コンサル会社では、「分析としては面白いけど、どう打ち手に繋がるわけ?」というような手厳しい(笑)、でも本質的な指摘が上司からよくされます。むしろ混乱が増して前に進めなくなるような分析なら、いくら正しくても無い方がいいんじゃないかというような文化です。

まあ、そういうのはマジなアカデミック的には不誠実な態度ということになるのかもしれませんが、しかし、ただ分断をさらに煽るだけになる方向性しか示されないのは、誰のためにもなってないのではないかというように思いました。

目次は以下のとおりです。
1・データの見かけと「そこにある本質」とのギャップを考えてみよう
2・粗い分析で対立を煽るより「実感」からのポジティブな話を
3・「細雪的調和」のタイミングを両派で睨みながら押し出して行こう
4・みんながええようにいったらええなあ

1・データの見かけと「そこにある本質」とのギャップを考えてみよう

 まず、少し脇道にそれますが、考える題材として非常に重要なことだと思うので、境治氏というコピーライターの方が書かれたネットフリックスというアメリカ企業に関する記事の話をします。

ネットフリックスはアメリカのVOD事業(ネットで注文するとネット配信でその場で映画とかが見れる)の巨大ベンチャーなんですが、彼らはユーザーの試聴履歴を解析して「あんたこういうの見たいんじゃないの?」というオススメを出すことで、既にユーザーの注文のの7~8割がオススメから来ているほどらしいんですが、なんとそれだけの精度のオススメをデータから出しているのに、ユーザーの「属性情報」は一切取ってないそうです。

つまり、男性か女性か、何歳ぐらいか、どこに住んでいるのか・・・というような属性情報を一切取らずに、その”個人”の試聴履歴のビッグデータ解析からだけのオススメによって圧倒的な精度を実現しているわけです。

こりゃあ、なんというか凄い時代になったなあ・・・と、こういう話を聞くたびに私は思います。

つまり、70代の日本人女性でずっと日本に住んでいても長年通訳の仕事をしている人であるために勉強のためにアメリカの映画しか見ない(しかも超グロいゾンビ映画が大好物な)人もいれば、20代男性でニューヨークに住んでいるアメリカ人でも日本の超絶萌え系アニメを日本語で見ることにしか興味ない人もいるわけで、結局属性じゃなくて個人の履歴だけから「純粋に機械的」に検出されたオススメの方がフィットするという時代になったのだということです。

これは間接的に言うと、今回の都構想の結果について、「男女比・年代・どこに住んでいるのか」の見かけの数字だけに引っ張られると結構危ういんじゃないかということでもあります。

と、言うのも、今回の結果は、「属性情報」で切っていくと、どの視点で見てもだいたい「丸めてしまえば半々」ぐらいの差でしかないからです。

傾向として、キタに住んでる方が賛成派が多い、70代以上に反対派が多い・・・という程度のことは言えますが、しかし70代でも「比較的反対が多い」という程度です。

で、より重大なのは、「それほど真剣に確立した立場」をみんなが持っているわけではなさそうだということでもあります。要するに、反対を投じた人も、人生賭けた確固とした持論として反対というより、なんかちょっとした雰囲気の変化で・・・それこそ「地下鉄の敬老パスは絶対維持します!」って最後にもし橋下市長が思いつきで叫んでいたとして、それがニュース映像でちょっと流れてたりしたら「ほんなら賛成でもええか」になってる可能性があるという程度のことである可能性があります。

私はブログでも著書でもあんまり「データ」を提示しない人間で、その辺今の流行とは随分違うモードで書いてるんですが、それはコンサル会社的体験から、「結論ありきでデータって適当に作れちゃうんだよなー」という諦観が染み付いてしまってるからでもあります。で、賛成側も反対側も必死で「自分に都合の良いデータ」を突きつけ合っていても、憎悪がお互いに募るだけで前向きな話にならないということについて結構真剣な危惧を抱いています。

もちろん、「考える素材を提供するブログ記事」として大事だというのは絶対的にありますし、学問の現場や経営の意図決定の現場において物凄くクローズドにプロフェッショナルを集めて密度を高めた人間関係の中でシッカリデータと向き合うチームがいる場合は別なんですが、ネットを介した分散的コミュニケーションのようなフワッとした場においては、常に「データの見かけ」の裏に「現実」があって、それはどの程度このデータのメッセージと対応しているのか?については、一歩引いた目線で考えた方がいいと私は考えています。

(余談ですが、「本当に凄いビッグデータ分析」的なものは、むしろ結構「ぼんやりした人間の直感」的なものに近づきつつあり、「属性情報的な切り口から切っていく人為的な分析」の問題点が徐々にホリスティックに克服されるようになってる時代だなあという感触を私は持っています。)

では次に、じゃあ「対立を煽るだけ」に終わらない現状認識とは何か?どうやって社会を前進させていけばいいのか?について述べていきます。

ちなみに今回の記事の全体としてのメッセージは、一枚絵にするとこういう感じです(クリックで拡大します)

150520_sasame

さて、アゴラでは文字数限界が来ているので、分割掲載されています。続きを一気読みしたい方はブログでどうぞ↓

keizokuramoto.hatenablog.com

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倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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