3400字でも伝わらなかった「安倍首相談話」

3400字に上る安倍首相談(1)を読んで、一種の落胆と苛立ちを覚えた。

この落胆と苛立ちは、卒業生代表の「答辞」のような味気なさと、「誰が、誰に、何のために」書いたのかがさっぱり判らない他人事のような無責任と曖昧さから来たものである。

対象も主体者も判然としない談話に疑問を抱いた欧米のマスコミは、「Abe Echoes Japan’s Past World War II Apologies but Adds None」と言う素っ気ない見出しでも判る通り、一様に「内容の曖昧さ」に首を傾げている。

それに比べ、天皇陛下の全国戦没者追悼式でのお言葉(2)は、330字の短いものであったが、今回初めて「反省」と言う率直なお気持ちを加えられた事もあり、驚きと好意をもって迎えられた。

安倍首相が天皇陛下の10倍もの文字を使いながら、素っ気ない反応しか得られなかった原因は何処にあるのか?

それは文章の長さでも謝罪の有無でもなく、「国政指導者の名誉は、自分の行為の責任を自分一人で負うところであり、この責任を拒否したり転嫁したりすることはできないし、また許されない」と断じたマックス・ウエーバーの言葉が、安倍首相の脳天に命中したからである。

安倍首相談話と時期を同じくして発表された中曽根元総理の「戦後70年 前進の起点」(3)と題する6600字を超える論文は、中曽根元総理と総理を補佐した各分野のアドバイザーの見識の高さを伺わせる傑作であった。

溢れる情熱を込めて首尾一貫した信条を淡々と述べる中曽根元総理の率直な姿は、「東京裁判史観への違和感」とか「憲法に『日本の価値』を入れよ」等いくつかの点で異論のある筆者にも、訴えかけるものがあった。

中曽根論文は政治家の物の見方にも触れているが、中でも、
(1)外交における要諦は、世界の正統的潮流を外れぬということにある。
(2)政治にとって、歴史の正統的潮流を踏まえながら大局的に判断することの重要性を痛感する。歴史を直視する勇気と謙虚さとともに、そこからくみ取るべき教訓を学び、それをもって国民、国家の進むべき道を誤りなきように導かねばならない。政治家は歴史の法廷に立つ。その決断の重さの自覚無くして国家の指導者たり得ない。

と言う二つの指摘は、安倍首相も心して欲しかった。

誠意や謙虚さに欠けるだけでなく、当事者意識も無い寄せ集めの作文に終った安倍首相談話に何の説得力もないのは当然としても、「我が国民が納得する水準に大きく及ばない」と言う韓国政府の不満に取り合う必要はない。

現に、ハーバードのライシャワー研究所やダートマス大学で教鞭を取るアジア問題専門家のJennifer Lind博士なども「日本は何処の国よりも頻繁に、又、率直に過去の過ちを認めて来た国」だと指摘しているくらいである。

それではなぜ、日本だけがくりかえし『謝罪』を求められ続けるのであろうか?

それは、保守政治家を装った右翼政治家が公衆の面前でこれ見よがしに「右手で握手して、左手で殴る」行動を繰り返し、「反省」や「謝罪」を重ねて来た日本の誠意を帳消しにしてきたからである。

しかも、議員による集団参拝に抗議が出るたびに、「私人の立場での参拝に口を挟むことは出来ない」と人格を使い分けて参拝を擁護し続けて来た安倍首相の言い分は、「特別の権力を賦与された国会議員は、その身分にある限り特別公務員としての権力者であることに変りはない」と考える立憲民主制度の伝統に慣れた欧米人には、詭弁としか聞こえない。

今回も、天皇陛下が「反省」と言うお言葉をお使いになって、日本の真摯な姿勢を世界に鮮明にされたその時に、安倍首相に近い右翼政治家は靖国に集団参拝した。

この事を英仏の国営テレビは、天皇のお言葉に反旗を翻した右派政治家が靖国に集団参拝したと伝えている。

この英仏国営テレビの報道は、「第二次大戦は正しい戦いであり、日本人の誇りだ!」とマイクに向かってガナリ立てる帝国陸軍の軍服に身を固めた老兵(4)や礼服に身を正した政治家がぞろぞろと集団参拝する海外では異常に映る姿を放映しただけでなく、長蛇の列を作って参拝の順番を待つ人々の姿も映し出し、これ等の参拝者の大半は戦没者の御霊に参ることを目的にした純粋な人々だと言う解説もつけるなど、両論併記の公正な番組であった。

安倍首相が自分の言葉を使わず、過去の政府の方針踏襲を強調した事から、欧米のメディアの中には日本の政治指導者の歴史観の変遷にまで触れた報道もあったが、その中には安倍首相の「侵略の定義は決まっていない」発言や東京裁判批判、「日本の中国進出は英米の陰謀で物資の補給を絶たれた日本の正当防衛の正しい戦争である」と述べた女性閣僚の発言なども紹介した。

この事が、安倍談話の真意に疑問を招く逆効果を生んだのは皮肉である。

中国では安倍談話への反応より、閣僚3人が靖国神社に参拝し、首相が玉串料を奉納したことに対する反発が強く、中国政府は小寺駐中国大使に「断固たる反対と強烈な不満」と言う抗議を伝達したが、これも「国民は利益の侵害は許しても、名誉の侵害、中でも説教じみた独善による名誉の侵害だけは断じて許さない。『卑俗』とはまさにこういう態度を指す言葉である」と言ったマックス・ウエバーの言葉の正しさを証明する出来事であった。

このように首相の政治的同志が、首相発言を行動で否定する事を繰り返し、首相がその行動を黙認し続ける限り安倍首相の発言は「説教じみた独善」と見做され、何回謝罪を繰り返してもその誠意に疑問を持たれる事になろう。

これでは「3400字」の談話が、当分は何の役にも立なくとも致し方ない。

参照資料:
(1)首相談話全文

(2)終戦の日天皇陛下おことば全文…全国戦没者追悼式

(3)元首相・中曽根康弘 戦後70年 前進の起点

(4)石井 孝明氏、アゴラ記事「こっけいな場に『させられる』靖国神社」                

2015年8月17日 北村隆司