EU離脱は「英国紳士」の判断なのか?

英国は国民投票でEU離脱という判断を下しています。事前の世論調査等では、離脱派と残留派が拮抗していたこと、投票の週には残留派有利との見方もあって、離脱という結果にはEU加盟国のみならず、世界中から想定外の結果として受け止められているようです。そして、金融市場の動揺や将来の経済的なデメリット見込み、政治的な混乱への不安やEU主要国からプレッシャーもあって、国民投票の結果の妥当性やそもそも国民投票に図るべき問題であったのかを疑問視されている状況です。また、世界的なポピュリズム傾向の表れではないかということで、その行き過ぎも危惧されています。結果として離脱派が過半数ですが、ほぼ半数は残留派だったので、事後にも双方の意見が交錯するのは当然と云えます。しかしながら、結果は結果として受け止めなければならず、重要なことは、その結果がもたらされた背景、導いた要因を考察することではないでしょうか。すこしこの問題を紐解いていきます。

まず、両派の支持層からみたいと思います。各支持層はどういう層だったのでしょうか。開票結果でみる地域差やアンケート調査等による年齢層の差をみると、一般的に云われるポピュリズ台頭による離脱という形には見えないように思います。確かに移民による失業を恐れる大衆の離脱支持はあったと思いますが、地域では、北アイルランド、スコットランド、金融都市ロンドンで残留支持が離脱支持を上回っています。年齢層では若年層が残留支持、高年齢層が離脱支持です。この結果からはイングランドを中心とした保守層(保守の定義は難しいですが、欧州共同体を歴史的に革新的な組織と考え、国家主権の元の既得権を維持した考えを保守と考えます)が、離脱を支持したように推測されます。高年齢層の支持ということから、大英帝国のノスタルジー的なイメージがあるようですが、歴史的には、英国の外交政策は、正に大英帝国時代の政策こそが英国の基本的なものではないでしょうか。 大英帝国の起点がどこであるかは議論があるのかもしれませんが、名誉革命から産業革命を経て、その繁栄を確立していったと云えます。そして、それら革命の担い手層が、英国の外交政策に強い影響力を行使してきたと思います。英国は、名誉革命でオランダ国王であったウイリアム3世を国王に迎え入れたことで、当時、海洋国家として繁栄していたオランダの貿易の仕組み、金融システムを取り入れ、その後の産業革命による工業的な発展で世界的な経済基盤を確立しています。そして、その政策は、何よりも経済発展を目指すための政策と云えます。植民地との貿易のためのシーレーン確保、権益維持のための同盟や戦争など、すべては国益、経済発展のためです。もちろん、国家が国益を重視した政策をとることは当然のことですが、英国のそれは非常に巧みかつ周到なものだったと思います。覇権主義的な傾向、形であったということなのかもしれませんが、国力が以前ほどでなくなった第2次大戦後でも、既存権益を維持するための政策が巧みに行われてきた印象があります。

では、今回のEU離脱が英国外交政策の真意なのでしょうか。元来、EUを英国はどのように捉えているのでしょうか。

EUの成り立ちは直接的には第2次大戦後の経済連合ですが、欧州大陸の制覇、統一は、時の強国、支配者が、試みて成し得なかったことです。近くはドイツのヒトラー、フランスのナポレオン、古くはフランスのルイ14世、スペインのフェリペ2世が、大陸の多くを支配下にいれながら、他の強国や小国の連合体などに統一を阻まれています。英国は、時にそれら強国に対峙する側に立って欧州大陸を統一支配するような強国の出現を妨げています。これは、英国と肩を並べるような強国あるいは英国をも飲み込んでしまう大国を創らないようにする巧みな戦略と云えます。このような歴史的な変遷をたどるなら、英国の判断が英国自身の思考に違わないものに見えてきます。

先述のとおり経済的な共同体としてスタートしたEUですが、現在は極めて政治的な要素も含む形、政治的な決断が必要になっています。元々、財政主権をそのままに通貨統一するという無理のある、いいとこ取りの構想には課題があったと思います。だから英国は通貨統合には参加しないという判断をしています。そして、ギリシャ問題の発生でその課題が露呈し、その解決には政治的な判断要素が出てきています。また、人の移動の自由という一見、個人的経済メリットがあるように見える移動の自由も、移民問題、中東からの難民問題、そしてテロへの恐怖という大きな問題となっています。その解決のため、EUはここでも極めて政治的な判断が求められる共同体になっています。

そして、この政治的な判断が求められる共同体を主導するのは、経済基盤のあるドイツです。本来ならEU首脳国と云われる国が合議して判断すべきことも、最終的には経済、財政のしっかりとした国に大きな発言力があるのは道理であり、何ら不都合なことはないように見えます。しかしながら、英国からみると好ましくない状況なのかもしれません。先述のとおりの歴史的な英国の外交政策の思考が踏襲されているなら、ドイツあるいは大陸の一強国が主導し、将来的にはその強国が支配するような共同体に飲み込まれる可能性は、英国の望むところではなく、その行く末を危惧すればこそ、離脱という判断があった推察することができます。

次にEUの抱える問題へのアプローチという視点から考えたいと思います。現在、離脱という英国の判断へは批判的な論調が多くみられます。これはすこし的を射ていないように思います。欧州の共同体の推進という建設的な組織であるEUに対して、英国の利己的な或いは後ろ向きな判断が、経済的な混乱や移民、難民問題などの政治課題への不透明感を招いたという批判があります。確かにEU側からすれば、通貨統合と財政主権の課題、移民・難民問題というものを何とか乗り越えて統合を推進しようとしている中での離脱は、その推進力に水を差すことになり兼ねず、非常に問題であるということになると思います。一方、英国の離脱派からすれば、EUはその課題や問題を先送りしているに過ぎず、これ以上組織に留まるのはどうかということではないでしょうか。このような構図であるなら、これは課題解決へのアプローチの違いであり、どこかに妥協点はあるはずと考えます。当事者間でよりよい方向性が見いだされることを期待したいと思います。

最後に、今回の英国離脱の判断が、金融市場、世界経済においてリーマン・ショックに匹敵するものとの声がありますが、リーマン・ショックはモーゲージ債という金融商品の仕組みの弱点が露呈したことによるショックであり、極めて経済的な側面からの衝撃でした。それに対して英国のEU離脱は、政治的な不透明感や不安が金融市場を中心にインパクトを与えているものであり、まったく種類の違うものと思います。将来的に経済への悪影響はあるかもしれませんが、必要以上に経済的な不安感を煽るようなことこそ、経済への悪影響であると思います。