相模原刺殺事件、私感

2016年07月27日 10:12

とんでもない事件が起きてしまいました。しかし、いろいろ記事を読んでいくうちに日本で最近よく起こる異常な殺人事件と根本的な性格は似ているように思えます。この事件の背景をもう少し考えてみたいと思います。

まず、犯人の家庭ですが、父親が小学校の教諭、本人は大学を出て教員になるつもりだったという点からはごく普通の家庭に育ったものと推測します。入れ墨ですが、個人的にはびっくりしません。かつては入れ墨をするのは「その世界の人」というイメージが強かったのですが、今や海外では入れ墨はファッションの一つでかなり広範に受け入れられています。日本でそれをするのは一定のラインを超えないとできないものですが、かつてのようなハードルはなくなったと思います。

犯人が大島理森衆議院議長に渡そうとした手紙全文が公開されています。その前にまず不思議なのはなぜ衆議院議長なのか、これがよくわかりません。過去、様々な犯罪予告の手紙はあったと思いますが、永田町の衆議院議長の公邸にそれを届けようとした点には興味があります。

手紙そのものですが、思い込みの塊のような内容で「世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれない」と書き綴り、障害者の殺傷予告と世界経済がどうつながるのか理解不能であります。一方で「作戦内容」と称し今回の犯行手順とほぼ同じようなことをこの時点で書き記していることについては犯人がいったん計画したらそこから軌道修正しない思い込みの激しい性格だったことが見て取れます。

さて、性格的に病んでしまった若者が暴走する素地はどこにあったのでしょうか?最近、若者による人を殺傷する事件が多発しています。かつての物取りとか激しい怨恨といった理由ではなく、人を殺したかった、自分が生きていてもしょうがない、誰でもよかった…といった唖然とする理由が並んでいるケースがほとんどです。それこそけんかして「面倒くさくなったから」殺してしまうぐらいの感覚でしょうか?殺傷犯にとって人間の命は虫けら以下なのだろうと思います。

私は現代の若者の孤独感が一つあると思います。若い人は非常に忙しいふりをします。何に忙しいかというと自分にこもる時間に忙しいのかな、と解釈しています。私も若者と様々な話をしますが、彼ら彼女らは往々にして「自分の時間」を求めます。何をするのかといえばネットにはまり込み、外部との接触はテキストを通じて自分の好きな仲間で自分を否定しない心地よい人間としか心を開かないような感じでしょうか?

これは自己満足と自己陶酔そのものであり、他人に批判されたり、議論することを「うざい」という言葉で一切はねつけ、自分の正当性を限りなく突き詰めることにならないでしょうか?

今回の犯人の場合には一般的な単発の殺人犯と違い、用意周到なところがあります。特に上述の手紙は文章としては文法や書き方についてはまともです。ただ、その狂信性が暴走を起こしたということでしょう。

実は私は欧州等で次々引き起こされるテロと称される事件も同様な犯人像を感じています。原理主義とは極論とも解釈できるものですが、それを正とし、世界平和の為と称して自爆テロを引き起こしています。背後にはISが犯行声明を出したりしていますが、実態としてはナローマインドな(偏狭な心)若者を遠隔的に利用しているだけに見えます。

「テロ」とは一般に政治的目的を達成するための暴力的行動を意味しますが、最近のテロや日本で起きる若者による殺傷事件は「自己目的を達成するための暴力的行動」であって本当の意味のテロから外れてきていないでしょうか?そう考えると私の定義する新しいテロは世界各地で起きる事件についてある程度の説明は可能です。残念ながら欧米など海外諸国で起きるこのような事件を「(政治的背景に基づく)テロ」と断定するのは間違っているケースもあるでしょう。にもかかわらず、各国政府高官は理由付けが必要なため、無理やり「テロ」に仕立てあげているとも言えます。

それは背後にいる犯人を作り上げることで国家や政府、市民の正当性を作り上げる巧みな論理でもありますが、そこに落とし穴があるのではないでしょうか?日本でも世界でも悲惨な事件が日々繰り広げられる真相は全く別のところにその理由が存在する気がします。

では今日はこのぐらいで。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 7月27日付より

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