「人は何のために生きているの?」と聞かれたら

2016年11月04日 06:00
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写真は向谷匡史氏。ブログより。

「日に新たに、日々に新たなり」。中国・商時代の湯王の格言で、「今日という日は、万人に、みな平等にやってくる。そんな大事な一日だから、もっとも有意義に過ごさなければならない。今日の行いは昨日より新しく、明日の行いは今日よりもさらに新しくなるように修養に心がけるべき」という意味で使用する。

では、「人は何のために生きるのか」と聞かれたらなんと答えるだろうか。この議論に関しては非常に分かりやすい回答があるのでそれを紹介したい。『考える力を育てる 子どもの「なぜ」の答え方』の著者であり、浄土真宗本願寺派僧侶、保護司、日本空手道「昇空館」館長も務める、向谷匡史(以下、向谷)氏の見解である。

■分かりやすく簡単に伝える

「人は何のために生きるのか」という問いを考えたことはあるだろうか。しかし疑問を感じている人は多いはずだ。日々を生きていくことに漠然と懐疑している人は少なくないだろう。不景気、借金、リストラなど、多くの悩みが私たちの前に立ちはだかる。どうしてそうまで生きていかなくてはいけないのか、という思いを抱いたとしても不思議ではない。

向谷は、浄土真宗本願寺派の僧籍にあるが、何のために生きるのかといったテーマは実に難解で難しいと答える。わかるようで、よくわからない。例えば、お釈迦さまに言わせれば、次のようになる。

「目の不自由な亀が大海を泳いでいて、百年に一度だけ海面に顔を出す。大海に一本の丸太が漂っていて、丸太の真ん中に亀の首が入るだけの穴が空いている。百年に一度、亀が浮かび上がった瞬間に、丸太の穴に頭が入ることがあるだろうか?私たちが人間に生まれることは。この亀が丸太の穴に首を入れることよりも、もっと難しいことなのだ。」(向谷)

これは『盲亀浮木の讐え』というものだ。しかし、これをそのまま話しても腑に落ちて理解することは難しい。そこで、向谷は「人は何のために生きるのか」と問われたら「死にたくないから」と答えるそうである。

「実際、稽古の合間に雑談をしていて、そんな話になったことがあります。私の答えが意外だったらしく、『そんなのつまらない』など、色んなツッコミを入れてきます。その、『つまらない』が説明するときのキーワードになる場合があります。生きたいから生きているのではなく、死にたくないから生きているんだ。どうせ生きるなら、楽しく、存分に、悔いを残さないような毎日でありたいと思っていると説きます。」(向谷)

向谷は、「命の尊厳」といった話はしない。「何のために生きるのか」という正面きった話もしない。難しい話を説明しても、きれい事に聞こえてしまうからだそうだ。

■相手の共感に結びつける

なにか疑問があって質問をされても、相手は、「あっ、そうか!」「なるほど!」といった、共感に結びつかない限り耳を貸してくれることはない。

「死にたくないから生きるということは、わが身に引き寄せて理解できるものです。生きる以上は楽しく、存分に、悔いを残さないような毎日ということも納得できるはずです。その日を頑張って精一杯に生きるということを肯定的に説くことが、何よりも分かりやすいメッセージになると思います。」(向谷)

本書は、子供向け教育に書き上げられたものだが、ケースにリアリティがあることから大人にもお勧めできる。上司のコネタとしても役立ちそうだ。難しいことを簡単に伝えることで、物事の正しい道筋を見つけられるかもしれない。

尾藤克之
コラムニスト

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尾藤 克之
コラムニスト/経営コンサルタント

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