日本人の訴訟嫌いはコスパ重視の現れ

2017年01月09日 06:00
裁判所

日本人の「訴訟嫌い」はなぜか?(写真ACより:編集部)

日本人は「訴訟」や「法律」が昔から嫌いだと言われています。

夏目漱石の「吾輩は猫である」の八木独仙先生の思想は、「金を貸したら、貸して『やった』といって、返済など期待しない方がいいのだ」交通事故で怪我をしたら「これも一定の確率で起きることだ。天災の一種だ」と考え、「法廷に訴へる。法廷で勝つ、それで落着と思ふのは間違さ」と考えます。

松本清張の「自伝」にも、「人が来て玄関先で父と争っていた。そのとき、父は何か法律上の条文を持ち出したらしい。(中略)相手は、なに、法律だって?法律を持ち出されてはお仕舞いですな。そんなら、わたしのほうもそのつもりで出直しましょう」と書いてあります。

つまり、日本で法律を持ち出すのは平和的な解決を断念して、いよいよ本格的な敵対関係に入ること、すなわち宣戦布告を意味することなのです。

宮沢賢治も、訴訟を「ツマラナイ」ことと書いています。

戦後、このような「長いものに巻かれろ」という国民の態度が、結果として権力者のいいなりになって戦争を遂行してしまったのだと非難されます。

そこで、イェーリングの「権利のための闘争」の「人は正義のために闘わななければならない以上、権利のために闘わなければならない。権利があるのに、不正に屈服することは、正義を護る義務を放棄したことだ。権利は自分たちだけの利益(私益)ではない、それは同時に公共的利益・公共的正義である」という主張が、一時期、脚光を浴びました。

とはいえ、イェーリングはその後忘れ去られたのか、10年くらい前にブックオフの店頭で新品同様のピカピカの「権利のための闘争」が100円(税別)で売られていたのを思い出します。

おそらく、今の日本人の間には、権利のためにしんどい闘争をするくらいなら我慢しようという発想が広く浸透していると考えます。

イェーリングだと、無価値な小さな土地であっても自分の権利であれば命がけで守れということになります。ましてや領土となれば、国を挙げて命がけで戦わなければならないはずです。

ところが、竹島を韓国に実効支配されていようが、尖閣諸島に中国船舶がやってこようが、真剣に怒り狂っている日本人はそれほど多くはないでしょう。ニュースになった時だけ盛り上がるくらいではないでしょうか?

多くの日本人は「下手に軍事衝突が起きて万一戦争にでもなったらすごく嫌だな〜。今より不便になるのは勘弁して欲しい」と思っているのではないでしょうか?

今の生活に支障がなければ余計なエネルギーを使ってまで権利のための闘争をしたくない、というのはコストパフォーマンスから考えれば悪くない発想です。無価値な小さな土地のために命をかけて死んだのでは、絶対に割が合いません。身の安全のためにさっさと無価値な土地を捨ててしまった方が間違いなくコスパは高いはずです。

ですから、もし政府やメデイアが「領土云々の重要性」を叫ぶのであれば、現実的にどれだけの損得があるのかを示す必要があるのではないでしょうか?日本人は、司馬遼太郎に言わせると実利的で極めて損得に敏感な国民性だそうですから。

仮に「尖閣諸島と竹島を日本が実効支配したら、その近辺にあるメタンハイドレートで5年後には電気料金が今の10分の1になる」とでも政府が宣言したら、将来不安を持っている中高年層が「自衛隊の人員を大幅に増強してでも奪い返すべきだ」と真剣に主張しだすかもしれません。

何と言っても、自分たちの年齢層は戦いに参加しなくて済むので、極めてコスパは高いです(笑)

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荘司 雅彦
幻冬舎
2016-05-28

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年1月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。

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