人材における資本、債務、資産、費用

仕事と成果の関係が事前にわかるときは、処遇とは、仕事の対価、あるいは、より明瞭に、成果の対価となし得る。つまり、仕事に値段をつけることができるのである。

このような明確に定義された仕事、価格が付された仕事に従事する人材を、費用人材と呼ぼう。人財として、人材が企業にとって資産価値をもつのは、人財には未知数の可能性があるから、即ち、人の無限の成長に伴う無限の価値創出の可能性があるからで、明確に定義された仕事に従事する人材には、そのような意味での資産性はない。故に、費用人材である。その人材に対する処遇は、資産性がないという意味で、費用になるはずである。

資産性のないことは、価値のないことではない。企業会計において、支出が資産性をもつかどうかは、その支出に見合う価値の実現についての時間軸上の判断の問題にすぎない。即時に効果があるなら費用である、時間がかかるなら資産である、ただ、それだけのことだ。価値があるかどうかは、関係ない。逆にいえば、成果を生むまでに時間のかかる人材は、資産人材ということである。

また、企業からの成果期待のもとに働くのが債務人材である。故に、当然だが、債務人材への処遇は、期待への処遇である。期待への処遇とは、将来成果の対価を先に払うことだから、受ける側からすれば、それは債務である。だから、債務人材である。

企業からの期待とは、企業が主体として人材を使うことを前提にしている。その期待のもとで働く債務人材には、企業を変革させることはできないのではないのか。一方、企業は変革し続けなければ、成長し得ない。企業のなかに、企業変革の担い手がいなくてはいけない。それが資本人材である。

なぜ、資本人材か。それは、自発的な創意工夫が要求される人材だからである。資本は、無限に、自由自在に、何物にも転化できるからこそ、資本なのである。そのような自己増殖力と自己形成力がなければ、資本ではない。では、資本人材の処遇は何の対価か。それは、人材価値の対価というほかない。

債務人材と資本人材に、価値において本質的な差があるわけではない。働き方の問題にすぎない。あるいは、企業の成長戦略の次元における人材登用のあり方の問題にすぎない。大雑把にいえば、資本人材は成長の芽を生み、債務人材が芽を育む。そして、費用人材は、債務人材を支援し、資本人材の活動のための環境を構成する。そうした機能の差が、処遇の意味を規定し、何の対価であるかを規定するわけだ。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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