私にとっての読売新聞とは⑩

2017年08月05日 06:00

社説により特派員時代の加藤氏のビザ発給が「厄介」な問題に(写真AC:編集部)

読売新聞の2013年8月15日社説は、今後の日中関係、日本メディアの中国報道を考えるうえで、避けて通ることのできない事件だと思われる。この記事のため、私が務めていた中国総御局長の後任ビザは発給されなかった。だが残念ながら、新聞社の事なかれ主義は貴重な議論の機会を封殺し、国民の知る権利をないがしろにしているので、きちんと経緯を明らかにする必要がある。

同社説は、首相の靖国神社参拝について「どのような形で戦没者を追悼するかは本来、日本の国内問題である。他国から干渉される筋合いのものではない」とした上、安倍首相が国会で「侵略という定義は、学界的にも国際的にも定まっていない」と発言したことについて、「確かに、首相が言うように侵略の定義は定まっていない」と擁護した。首相の靖国参拝に反対していた従来の立場には触れず、中韓による日本の軍国主義化批判について、「こうした態度は、首相が靖国参拝を見送っても変わることはあるまい」と大きく後退する印象を与えた。

同年9月付で申請していた総局長交代のビザは、いくら待っても出なかった。こういう場合、理由ははっきりと伝えられない。数日、あるいは数か月ほど遅れて出る場合もある。だが、あのときは異常だった。私はその年の11月18日、中国外務省の外国メディア担当者から呼び出され、同外務省近くのスターバックスで話し合いをした。旧知の女性幹部は「今日、わざわざ出向いてもらったのは、ビザの手続きでちょっと厄介なことが起きているためです」と話を切り出した。

問題となっているのは読売の8月15日付社説だという。彼女は「これまで読売新聞が首相の靖国神社参拝に反対してきた立場と大きく変わってしまった印象を与え、かなり上層部で強い意見が出された」と打ち明けた。私は、最高指導部の党中央政治局常務委員会レベルで異論が出ていることを感じ取った。中国側の態度硬化として考えられるのは、日中関係の悪化という政治的背景と外交指導者の政治スタンスという人的要因だった。2013年6月、駐日大使を経験した王毅氏が外相に就任していた。中国では知日派が「親日」「媚日」の批判を恐れ、あえて日本に強硬的な言動を取ることがしばしばある。

1年前、読売新聞が報じた大使館書記官のスパイ疑惑報道も尾を引いていた。いずれにしてもビザの審査停止は、私一人の主張によって左右される判断でない。私は中国政府の記者会見で、ビザの早期発給を求めるのが精いっぱいだった。

私は外務省幹部との懇談で、記事内容とビザ発給をリンクさせるべきではないと主張しただけで、内容に関する自分の意見は述べず、聞き役に徹した。だが私も内心は、8・15社説について強い違和感を持っていた。社内の一部にははっきりと、「良心に欠ける」とメールで批判をした。戦争被害者への配慮が全く感じられなかったからだ。読売は本来、首相の靖国神社参拝に反対の立場だ。世論調査でも反対論者の理由で多いのは周辺国の反発に対する配慮であり、「他国の干渉」を排除するのは独善的な印象を免れない。

同年12月26日、安倍首相が就任後初めて靖国神社を参拝したことについて、翌日の読売社説は、米国が「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに失望している」と異例の声明を発表したことに触れ、「誤算」だったと指摘した。米国の異論は素直に受け入れ、中韓の反論は「筋違い」と拒否する社説の根拠は何か。強者にはなびき、弱者には居丈高な態度を取る新聞社に、ジャーナリズムの良心は感じられなかった。弱者に心を寄せるべき記者の良心にもとることだ。

読売新聞は「検証・戦争責任」の最終報告で明確に日本軍の「侵略」を認定している。安倍首相の「侵略発言」に対し、ことさらかばうような社説を掲げる理由は見当たらない。仮に定義に論争があったとしても、安倍首相自身が歴史認識問題は「歴史家、専門家に任せるべきだ」と語っているように、首相には政治家としての責任があり、不用意な発言によって外交関係を悪化させる行為は、学術論争とは切り離して問われるべきだ。政治家としては責任回避の詭弁である。

メディアの戦争責任は、制度的にも商業主義の面からも軍の意のままにコントロールされ、戦争遂行の片棒を担いだ点にある。劣勢であるにもかかわらず、「皇軍は破竹の勢い」と主戦論に加担し、破滅への道を食い止める力を発揮できなかった。それは「検証・戦争責任」にも言及がある。軍による検閲制度という受動的な側面だけでなく、威勢のいい記事は読者に受けるというそろばん勘定が、事実の報道に自主規制を強いた側面は決して忘れてはならない。メディア業界は大きな戦争の代償を払い、権力と距離を置き、時流に流されず、独立した批判精神を持ち続けるべき教訓を学び取ったはずだ。これは新聞社と新聞記者が持つべき最低限の自覚である。それが8・15社説に感じられなかったのは、残念だった。

さらに言えば、社説を貫くのであれば堂々と論戦を挑めばよい。社説に対する不満を記者ビザの審査に及ぼす中国側の不当を指摘してもよい。米国やドイツは政府がメディアの立場に立って、中国における外国人記者ビザの問題を取り上げている。読売も日本政府に働きかけ、日中首脳会談で記者ビザの発行停止問題を提起するやり方もあったはずだ。国家間の相互理解にとって、メディアが重要な役割を果たしていることは、日中両国で広く共有されている共通認識である。

ビザ発給を正面から議論することと、現実的なマネジメントを解決することは別の問題として処理されなければならない。どちらの面においてもあいまいな態度を取り続け、明確な判断を下すことのできなかったことは、今後の課題として問い直されてもよい。こうした事なかれ主義は、「ビザが出ないから中国を悪く書く」といった安易な感情論を生みやすい。公正な真実の報道に責任を負う報道機関として、取材の根幹にかかわる記者ビザ問題であいまいな態度を取ることは、読者に対しても申し開きができないはずだ。

(続)

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!
加藤 隆則
汕頭大学新聞学院教授、元読売新聞中国総局長

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑