危機を見据えたコミュニケーションの作法 --- 昆 正和

2017年08月12日 06:00

少し前に、『メッセージ』というSF映画を見た。ある日突然、世界の主要な地域にエイリアンの乗った謎の飛行物体が現れる。目的は何なのか? 地球征服か? 世界中が疑心暗鬼に陥り、騒然となる中、政府や軍からの委託を受けた言語学者ルイーズ・バンクス博士らがエイリアンとのコミュニケーションを試みる。苦心惨憺の末、エイリアンの書き言葉である表義文字から、かろうじて意味らしきものをくみ取る過程がなかなかスリリングで面白かった。

で、この映画を見た後、コミュニケーション断絶の壁にぶち当たって苦心惨憺する、なんとなく似たような印象の本を読んだ記憶があったなあと思い、家の書棚を漁ってみたら、あったあった。20年以上前に奥日光の山小屋で読みふけった『ニューギニア紀行』(N. ミクルホ=マクライ著、中公文庫)である。

この本は、1871年にパプアニューギニア島北東海岸に上陸して長期間滞在した若きロシア人学術探検家、ミクルホ=マクライの日誌である。雨漏りのする急ごしらえの小屋、不自由な生活、マラリアとの戦い…。言葉が通じず猜疑心の強い原住民の信頼を徐々に得てゆく経緯を、こと細かに記述している。とても印象深かったのは、上陸から半年経っても、原住民とのコミュニケーションがうまくいかないことへの焦りである。「良い」「悪い」という言葉すら分からない。彼はこうした現状に続けて、次のように書いている。

「キリンガ」という言葉に関する話はもっと滑稽であった。この言葉は私との会話中に頻繁に出てくるので私はてっきり「女」のことだと思っていた。ところが四か月後のつい先日、私はそれがパプア語でないことを知り、トゥイ(マクライがかろうじて意思疎通のはかれる原住民の一人)たちはそれがロシア語でないことを知った。この言葉が何処から来たのか、どうしてこんなことが起こったのか、私には分からない。

同じ地球上に暮らす人間でありながら、言語も文化も風習も環境もまったく異なれば、そしてゼロからコミュニケーションを組立てようとすれば、自分の思いを相手に伝え、相手の思いをくみ取るのがいかに困難を伴うことなのかを、この本は教えてくれる。

一方、言葉が通じないということは、お互いに相手が何を考えているか分からない、敵か味方か判別不能ということでもある。とても緊張を強いられることなのだ。しかし、マクライという探検家は非常に理性的というか、大胆かつ冷静で肝の座った人だったらしい。原住民とコンタクトを試みる際は絶対に「銃」を携行しないと決めていたのである。血の気の多い原住民の一人が彼の鼻先に槍を突きつけて威嚇しても、彼は努めて冷静さを装った。彼はこう考えていた。

万一に備えて銃を携行していたらどうなるか。原住民に襲われそうになった時、恐怖のあまり銃を発砲して相手を倒せば、少しの間は自分の身の安全は確保できる。しかし多勢に無勢、すぐに大勢の仲間に取り囲まれて自分はやられてしまうだろう。

何を考えているか分からない相手に対し、コミュニケーションが成り立たないからと言って、恐怖心から先制攻撃を仕掛ければ、マクライが予想するような結果になるのである。やったらやりかえす。これはどんな人種、どんな動物にも共通の防衛本能だろう。しかしこれはあくまで自己防衛のための最後の選択肢だ。間違っても自分から攻撃をしかけてはならない。本当に必要なことは、粘り強い「コミュニケーション」なのである。

話が飛ぶけど、今、日本は北朝鮮の動向に不安を感じている。マスコミはストレートにトランプ大統領と北朝鮮のはげしい言葉の応酬を流し、私たち国民はその板挟みになっておろおろしているように見えなくもない。中にはこうした状況をあおるようなマスコミや専門家もいるが、決して「北はけしからん。一丁ギャフンと言わせなくては」といった感情的な論調を支持することがあってはならないと思う。

北が対話のチャネルを断っているなら、北との国交を持つ他の国々を説得することによって、つまり第三者へのコミュニケーション戦術を通じて、北の輸出入のルートや外貨獲得の手段を断つしか方法はないのではないだろうか。ミクルホ=マクライは自ら銃を放棄してコミュニケーションに徹することで、末永く自らの安全を確保し、現地での学術研究にも没頭できた。これは100年以上前の一探検家の話にとどまらず、今日私たちが直面している事柄にも十分通じるものであると思うのだ。


昆 正和(こんまさかず) BCP/BCM策定支援アドバイザー
東京都立大学(現首都大学東京)経済学部卒。9・11テロでBCPという危機管理手法が機能した事例に興味を持ち、以来BCPや事業継続マネジメントに関する調査・研究、策定指導・講演を行っている。

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