習近平とトランプが並んだ故宮の中心軸

2017年11月10日 11:30

中国が「国賓訪問+(プラス)」の待遇で迎えたトランプ米大統領の初訪問だった。2日間の滞在中、エネルギー、製造業、農業、航空、電気、自動車などの分野で総額2500億ドルを超える貿易契約・投資協定を手土産に渡され、ビジネスマンの大統領はさぞご満悦だったに違いない。

数千年に及ぶ王朝体制の中で培われた接待文化において、中国の右に出る国はない。だからこそ、一つ一つの行事に深い意味が込められている。はっきりとしたメッセージとして伝えられることもあれば、相手に悟られないよう巧妙に仕掛けられることもある。

私が今回注目したのは、習近平国家主席と彭麗媛夫人が11月8日、中国入りしたばかりのトランプ大統領とメラニア夫人を北京の故宮博物院に招いたことだ。同博物館は一般公開されているが、この日は貸し切りとなった。

新華社より引用

両国夫妻は、近代に入って増築された宝物館の宝蘊楼(ほううんろう)でお茶をし、故宮内で京劇の上演を楽しんだ。新華社の公式報道は、習近平がトランプに対し、

「故宮は中国の歴史文化を理解するうえで不可欠の窓だ」

と説明したと伝え、次のように続けた。

「習近平夫妻はトランプ夫妻に同行して三殿を参観した。両国元首夫妻は内金水橋を渡って太和門を越え、壮大で威厳ある太和殿広場で記念撮影をした。両国元首夫妻は故宮の中心軸に沿って、太和殿、中和殿、保和殿を参観し、三つの大殿に込められた“和”の中国伝統文化を体感した」

世界をリードする米中の「和」を世界に発信する手の込んだ演出だ。新華社電の中にあった「故宮の中心軸」との表現が、私の目にとまった。

故宮はかつて紫禁城と呼ばれ、元帝国の初代皇帝、フビライが矢を放って場所を定め、そこを起点に城壁を築いたとの伝承を起源とする。明朝の永楽帝以来、清朝が滅ぶまでの約500年間、皇帝の住む宮殿として引き継がれてきた。天子である皇帝が天下を治める中心である。

南北に延びる中心軸は、左右対称の故宮を東西に分ける座標軸である。王宮の紫禁城で、皇帝が居る権威と秩序の象徴がこの中心軸だった。毛沢東の肖像画も天安門広場の毛主席記念堂も、そして国旗掲揚ポールもこの線上に並んでいる。延長すれば北の鼓楼から南の永定門を貫く旧城のラインだ。地の利を占う伝統的な風水の上からも重んじられ、北京五輪メーンスタジアムの「鳥の巣」は南北中心軸を北に延伸した場所に作られた。

過去から現代に至る時空の中心は、56民族と14億人を束ねる権力と権威を視覚的に示す舞台装置となる。2015年10月1日の国慶節に行われた抗日戦争勝利70年の軍事パレードはまだ記憶に新しいが、あの時、習近平は国家、共産党、人民解放軍の総指揮者として、南北中心軸上にある天安門楼上の演台に立った。

私はその3か月前、新聞記者を辞職していたので、取材パスの待遇を得られなかったが、北京に飛んだ。天安門の式典会場から5キロ離れたホテルで、

「習近平という現代の皇帝が即位し、自ら内外に新たな時代を予告したのだ」

との感想を抱いた。北京を流れる長い歴史の空気を肌で感じながら、身震いがした。

天安門をくぐる南北中心軸上の通路には赤絨毯が敷かれ、習近平は軍事パレードに先立ち、ロシアのプーチン大統領、韓国の朴槿恵大統領(当時)ら49か国の代表や、国連の潘基文事務総長など計10の国際組織の代表を握手で迎え入れた。軍事パレードにこれほど広範な外国首脳を招いたのは初めてだった。私がホテルで見ていたテレビ画面からは、各国代表が大仰な仕掛けに戸惑う様子も見受けられ、皇帝が外国使節に謁見する図が再現されたように感じた。

あれからわずか2年だが、習近平の反腐敗キャンペーンを通じた権力掌握は想像以上に早く進んだ。閉幕したばかりの第19回党大会では、指導部の人事や党規約の改正などに、「一強」を勝ち得た権威が遺憾なく示された。

そして今、米国大統領を天下の中心軸に招き、世界に「和」のツーショットを発信している。習近平は9日の米中首脳会談、そして記者会見でも、「太平洋は十分広い。米中両国を受け入れるのに十分だ」と大風呂敷を広げた。中華民族の偉大な復興を「中国の夢」としてスローガンに掲げる習近平の胸中には、歴代の王朝、そして皇帝になろうとした毛沢東らの軌跡がよみがえったことだろう。

新華社より引用

両国首脳が歩いた故宮の中心軸の中央に建てられているのが太和殿である。明、清朝を合わせ計24人の皇帝が「竜座」において即位の儀式を行い、官吏たちが九跪三拝を行った。最後に即位の儀を挙げたのは後の満洲国皇帝で、清のラストエンペラーとなった宣統帝、愛新覚羅・溥儀(1906-67)だ。

過去の米中首脳会談はどうだったか。

習近平は昨年9月、主要20か国・地域(G20)首脳会議が浙江省杭州で行われた際、それに先立つ米中首脳会談で、当時のオバマ米大統領を西湖畔の西湖国賓館に招き、「ここでお会いできうれしい」と述べた。同ホテルは1972年2月、電撃訪中を果たしたニクソン米大統領が周恩来首相に付き添われて訪れた場所だ。そして米中首脳は、敵対関係を終結させ、国交正常化を目指す「上海コミュニケ」を練った。この地を会談の場にしたのは、米中が初心に戻って、対立を超え、共通利益のために手を結ぶべきだとのメッセージだった。

また、習近平は2014年11月、北京のAPEC首脳会談に訪れたオバマ大統領を、高級幹部が起居する中南海に招待し、瀛台(えいだい)の涵元殿(かんげんでん)で会談をした。そこは清朝末、国内改革を進めようとした光緒帝が西太后の抵抗に遭い、生涯幽閉された場所だ。習近平は中国歴代王朝の歴史談義を披露し、「中国近代以降の歴史を知ることは、中国人民の今日の理想と前進の道を理解するために重要だ」と述べた。

中国の近代史は、国内が分裂して列強の侵略を受け、半植民地となった苦難の歩みだ。それを乗り越え、米国と肩を並べる地位が近づいてきたことへの深い感慨があったに違いない。

中国側の深謀遠慮が、こうした過去の例からもうかがえる。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年11月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。

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加藤 隆則
汕頭大学新聞学院教授、元読売新聞中国総局長

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