なぜ若者とおじさんはこんなにすれ違ってしまうのか?

2018年03月09日 06:00


こんにちは!肥後庵の黒坂です。

「最近の若者はケシカラン」
「若者は何を考えているのか分からない」

年上が若者を嘆くこのセリフ、実はずっと昔から言われていたことで、古くは古代エジプトの象形文字にも書かれていたようです。私も会社員として東京で働いていた頃、上司にこのようなセリフを何度も言われた経験があります。

「自分の仕事が終わったらさっさと帰ってしまうなんてやる気あるのか!」
「飲み会に誘ってもこないなんて社会人失格だ」

こんな具合です。そして私もこれから、「最近の若者は」と嘆くおじさん年代になっていくわけですが、若者もおじさんもどちらかが正しく、間違っているという話に思えないんですよね。ネット上では「おじさんが間違っている」とか「若者が無欲過ぎる」とどちらかを叩く流れが出来上がっていますが、どちらか一方が絶対的に間違っているということではないと思います。おじさんは若者の感覚を正しく理解できておらず、若者もまた然りで、要するに世代間のすれ違いが起こっているだけだと思うんですよね。

仕事が終わったらさっさと帰る、というスタイルは若者にとっては「きっちり仕事を終わらせて、ムダな残業代も発生しないのだから何が悪いの?」と言いたくなるでしょうし、おじさんからすると「スキルや経験を積むのは若い間が良いのに、家に帰ることばかり考えていては将来が心配だ」と言い返したくなるでしょう。

また、若者にとって会社の飲み会は、あまり楽しい時間ではないことが多いのではないでしょうか。上司のお酒を注ぎ、本来はオフの時間に仕事の話を聞かされるので「飲み会にいくなら残業代を払ってよ」と思うのは無理からぬことです。しかし、おじさんから言わせてもらうならば、「飲み会の時間に他部署に顔を売り、会議室では出ない話が聞けるのだから、参加しないなんてもったいないぞ」ということでしょう。

今回はなぜ、このようなすれ違いが起きてしまうのか?を自分なりに考えてみました。

人は自分が理解出来ないものを否定する

人は自分が理解できる世界観でしか物事を見ることが出来ません。つまりこの世界は、それを見ている人間の数だけ存在するのです。そして人は本質的に自分が理解できない世界を否定的に見てしまうのです。

現在の私は会社経営をする立場で仕事をしています。会社員として働いている頃は「景気・不景気」という言葉は、自分にはまったく関係のない話と思っていました。「不景気で失業率が高くなった」とニュースが流れてきても「でも自分は会社員をやっているし、しばらく転職の予定はないから関係ないや」とまったく耳に入りませんでした。むしろ、不景気で中小企業の業績が苦しいとか、会社が潰れてしまう話を聞いて、「景気・不景気に振り回されるなんて、経営者の立場は安定していないから大変だな。自分は会社員をやっていて本当に良かった」と考えていたのです。「経営者」とか「社長」というキーワードを聞いても、まったくポジティブなイメージを持っておらず、否定的でした。なぜかというと経営者という立場を理解できていなかったからです。

しかし、起業してフルーツギフトビジネスの世界に入った途端、その感覚は180度ひっくり返りました。会社員時代には安定性という物差しでしかビジネスを見ていなかったのですが、経営側に立つことで違った指標を持つことになったのです。これにより、世の中がまるで違った見え方をするように感じました。両方経験してみて、私の場合は「会社員より経営者」として生きていく方が向いていたことが分かったのです。

このように「自分が知らない世界は否定から入る」というのは、おじさんと若者の関係についても同じことが言えます。例えばバブルでいい思いをしたおじさんが若者に対して、「酒も車も女もやらない、無欲に生きる人生の何が楽しいのか?」と揶揄するのを聞いたことがないでしょうか?確かにいい思いをした経験を持っている人にとっては、これは正しい感覚なのでしょう。毎日、お金を使って上質な体験をする、確かに楽しそうです(私も一度くらいはやってみたい 笑)。でも、この話を言われても当の若者の反応は冷ややかなものです。「今の時代にムダにお金を消費して酒や車を乗り回して何が楽しいの?」といった具合です。これも正しい感覚です。今の若者が求めているのは消費する楽しさではないことが、意識調査で明らかになっています(後述します)。つまり、若者はおじさんたちが楽しんだ体験を知らないが故に、否定的に見ているということだと思いますね。

「モノ=豊かさ」ではない現代

おじさんと若者の豊かさの指標は全く異なります。

高度経済成長期では「モノを持つことが豊かさ」の象徴でした。洗濯機、テレビ、冷蔵庫は3種の神器と言われ、例外なくそれを持つことを「良し」とされていた時代が確かにありました。しかし、今は所有しなくてもレンタルの方が合理的な場面は少なくありません。洗濯機を持たなくても、コインランドリーはあちこちにありますし、ブランドバッグなども自分用に購入しなくても、結婚式などの大きなイベントの時だけ業者からレンタルする、という選択肢もあるのです。

おじさんは「モノを所有することが豊かさの象徴」とされた人生経験から「豊かさ=モノ」と若者に訴えているのに対し、今の若者はまったく違った価値観を持っていますから、それが伝わらないのです。では、今の若者にとっての豊かさとは何でしょうか?それは「自由」です。

近年の意識調査を見ても「つながり欲求」は、低下のトレンドを見せていることが明らかになっています。「SNSで常時つながりたい」という時代はすでに過去のもの、今の若者にとっては「豊かさ=自由」と考えているのです。近年、「結婚をしたくない」と答える若者の意識調査が波紋を呼ぶことがありますが、あれは経済的な負担や一緒に済む煩わしさから自由になりたいという意思表示に他なりません。また、レンタル事業は盛況であることを考えると、若者は物を持つことからも自由になりたい、と考えているようにすら思えます。

自由を求める若者にとって、郊外にマイホームを持ち、高級車を乗り回す行為が豊かな生活に映らないのは、自由があるようには思えないからです。いくらおじさんにさとり世代だの、消費しないだの揶揄されても、今の若者はモノより自由を選ぶのです。

おじさんと若者とではいわば真逆の価値観(モノを持ちたい、持ちたくないという)を持っているために、お互いに分かり合うのがなかなか難しいのではないでしょうか。

いつも時代を変えるのは若者

「若者はケシカラン」というおじさんがいる一方で、若者を肯定的に見る人もいます。私もその一人です。今の10代・20代を見ていて、若いのに優秀で礼儀正しくてすごいという尊敬の念と、将来ビジネスの大きなライバルに成長するという畏怖の念を持っています。

中学生でもIT事業で稼いだり、世間を驚かせる発明をしたりする話はあちこちで出ています。また、先日読んだ記事では20歳そこそこで六本木ヒルズにオフィスを構え、ビジネスをバイアウトして一攫千金を手にした若者社長が取り上げられていました。つい先日、日本男子フィギュアスケートで金メダルを取得した羽生選手も、マスコミの取材に対して落ち着いた様子でとても謙虚な対応でした。まだ23歳と若いのにとても大人びて見えたものです。こうした世代がこれからの日本を引っ張っていってくれるなんて、とても頼もしいと思う限りです。

その反面、将来のまだ見ぬライバルになってしまう可能性を考えると「うかうかしていられない」という危機感も、またあります。産業構造をひっくり返してしまうような、革新的なテクノロジーを生み出すのは、おじさんではなく若者でしょう。そうしたまだ見ぬライバルの出現に、引き続き気を引き締めてビジネスをしていく必要があります。

結論的には、私は若者を心配して叱るおじさんの気持ちも分かりますし、それに冷ややかな目で見ている若者の気持ちもよく分かります。すれ違いはなんとも切ないものです。相手を理解できない時こそ、否定から入るのではなく自分の持っている価値観や指標を外して見てみるのはすれ違い防止になるのかもしれません。

黒坂 岳央
フルーツギフトショップ「水菓子 肥後庵」 代表

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フルーツギフトショップ「水菓子 肥後庵」 代表

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