立教大書店事案は、労働力がモノから人間になる兆し

酒井 直樹

今、ツイッターのタイムラインを賑わしている立教大学池袋キャンパスに入ってる丸善書店の書店員さんの話。非常に興味深く拝見していました。以下は佐々木俊尚氏のツイートです。

事の真偽や深い事情についてはわからないのですが、少し私の感想を話させてください。

まず、今の書店業界は、Amazonというグローバリズムの旗手の猛攻を受け、かなり深刻な状況にあります。消費者にとって見れば、書店に出向かずともスマホでワンクリックで本が注文可能で、プライム会員ならば送料無料で即日で届きます。だから、米国では、ボーダーズという大型全国書店チェーンが2011年に早々と破綻しました。日本でも、例えばツタヤ書店が最近次々と閉店しているなど書店数が減少しています。

ところが、グローバリズムがコツンと天井を打った2017年から2018年にかけて、時代は逆回転し始めます。5月5日の日経新聞記事です。

ネット通販市場が拡大する米国で、宅配ビジネスを巡る主導権争いが激化している。アマゾン・ドット・コムがコスト削減や宅配の収益化を狙って、自前の配送サービスを拡大。物流大手のUPSは、大型投資で迎え撃つほか新興企業も商機をうかがう。年130億個を超える米宅配市場は社会インフラとして重要性を増す一方、日本同様に人手不足が深刻だ。巨人アマゾンの自社配送拡大で、競争は新局面を迎える。

アマゾンが配送ビジネスに本格参入すると伝わったのは2018年2月。米メディアによると新サービスの名前は「シッピング・ウィズ・アマゾン」。現在も一部都市でアマゾンが宅配する仕組みはあるが、新サービスは商品の集荷から配達まで自前の配送網でまかなうのが最終ゴールだ。すでにロサンゼルスで試験運用を始めたとされる。(出典:日本経済新聞『米アマゾン、物流侵食 」

本家米国でも、そして日本でも深刻な労働力不足が顕在化してます。よく考えてみてください。顧客が、本を求めて本屋さんに出かけていくのと、アマゾンの配達員が一冊一冊個宅に配送するのとどちらが労賃がかかるでしょうか?それは当然配送の方が非効率的ですよね。

でも私たちは、「ヒト・モノ・カネ」が自由に飛び回るグローバル経済の熱に浮かれ、当たり前のことを見誤っていたのではないでしょうか。なんとなく本屋で本を買うより、アマゾンで配送してもらう方が「良き事」なのではないかと感じていたのではないでしょうか。

たまたま日本ではバブル崩壊以降、特にリーマン危機以降、不景気でヒトあまりだったので、安くで高品質な労働力は潤沢にありました。しかも、日本企業が昭和の遺物の終身雇用・年功序列・企業内組合と原理とする日本型雇用慣行に固執し、優秀であろうがなかろうが新卒以外は正規職員にしないという態度を貫いた結果、配送員は最低賃金でいくらでも雇えました。

一方で、迎え撃つ実店舗書店サイドも、人件費切り詰めによるコスト削減という、「労働力」を一山いくらで買う行動に出ます。非正規市場とグローバリズムの環境下では労働力は「時給」で取引されます。就業機会もそうそうない買い手市場がそうさせます。
その結果本屋でんすけさんのような方が、実質的な店長という職責を10年以上もアルバイトというステイタスで最低賃金で働いていてもおかしくはないという状況を作り上げます。以下、本屋でんすけさんの記事の引用です。

3月上旬、本部の営業さんに『店長になってほしい、一度出した(私の)退職届を一旦ひっこめさせた』と言われた。
ベテランスタッフがほぼいなくなって、さすがに限界を感じたらしい。
私は『勝手すぎるし、虫がよすぎやしませんか?』と言った。それは認めてたし、他のスタッフが辞める時に止めたけどみんな辞めてしまった、と。
どんな止め方をしたのかと思ったら、『辞めないでよ』と言ったらしい。
そんなの子供でもできるだろう。部活じゃないんだから。お金の交渉を何故しないのか。
私たちはアルバイトだ。
東京の最低賃金で働いてる。
その賃金でこの傾いた店の店長をやれと?
冗談じゃない。
もっと高額な時給をくれたら店長補佐ならやってもいいと条件を出しても提示された時給は納得できるようなものじゃなかった。

しかし今やグローバリズムは終焉を迎えようとしています。まず、労働力は米国ではトランプ大統領が国境に壁を建てたため、日本にはもともと壁があったため、人口減少とグローバル経済がもたらした好景気によって逼迫し、東京都心部では時給1200円出してもまともな日本人は雇えないという状況が現出しています。完全な売り手市場です。このトレンドは構造的なものです。

次に、個人個人の職務遂行能力や職務経験の蓄積といったものが可視化されていきます。労働者はコモディティではなくグッズとなっていきます。一人一人の能力差が簡単に可視化されていきます。それが、以下のちうけたさんのツイートに現れています。

もともと、書店や飲食など対人接客業は、中央集権的な大企業に向かないのです。なぜかというと現場の人に頼るところが大きいからです。フランチャイズ式コンビニエンスストアのビジネスモデルがなぜ成り立つのかというと、良質で安価な労働力が常に市場に溢れているという前提条件があるからです。でも、少なくとも池袋のような都心では、もはやその前提条件は崩れていきます。

おそらく2018年を境に、アマゾン的ビジネスモデル、あるいはグローバリズム的ビジネスモデルが逆回転を始めることと思われます。まず、アマゾンに代表されるイーコマースは配送料を値上げし始め、コストに敏感な顧客は、実店舗に戻り始めるでしょう。いわゆるオムニチャネル化が進むでしょう。

もちろん、私は0か100かという話をしているのではなくて、アマゾン的世界観がクールだと思う人も、便利さにお金を払うという人も一定数いるでしょうから、そこは住み分けが進むでしょう。

次に、実店舗においても、労働力をコモディティとして扱うような、あるいはやりがい搾取をするような某居酒屋チェーンに代表される類の店舗は相変わらず伸び悩み、本屋でんすけさんのような方がプロデュースするような個性的な店舗が増えていくでしょう。

そのオーナーは必ずしもマニュアル経営に拠らない自営業者になるでしょう。そのような店舗は、食べログやジモティのような画一的な情報プラットフォームを経なくても、近隣に住まう顧客に的確なマーケティングと発信を行なっていくでしょう。やる気になれば、クラウドファンディングでお金を集め、フリーでメディア発信することも可能な社会です。ローカル復権の時代がやってきます。

日本人は皆、会社の正社員だったというようなことは全然なくて、戦後ある時期までは、多くの人間が職人となり、修行をして自分の店を持っていくというロールモデルがあったのです。飲食店や商店などの第三次産業では特にそれが顕著でした。

いわゆる就職氷河期世代が40代から50代に差し掛かり、一方で一つの会社にしがみついても、給料も社会的地位も自動的に上がっていく時代ではないですから、正社員であることの比較優位性は薄れています。だから、今更のように大企業が手のひらを返したように「非正規も皆正社員に」といったニュースを見ても、なんだかなあと思ってしまうのです。

アマゾンのように、自分の事業領域は徹底的に効率化して、社会にフリーライドする。あるいは、某大手自動車会社のように、部品は工場にジャストインタイムで届けられるけど、東名高速のサービスエリアや湾岸道路にトラックが群れをなして待機しているといった、部分最適指向の企業行動は許されない時代になってきています。トラックは部品を運んでいるのでしょうが、トラックドライバーは生身の人間です。

私はイデオロギーでこうした言説を唱えているのではありません。IT革命の当然の帰結として、個人の能力や知見が見える化されて、労働力の取引に関わるコストとリスクが著しく低くなって、社員・非正規関わりなく、その価値が真っ当に取引されるような環境が整っていると言いたいのです。このような時代には、会社にしがみついている社員よりも、常に市場に対峙している非正規の方が優位に立つのはいうまでもありません。