媚中史観は韓国への配慮で生まれたという発見

2018年09月10日 06:00

中華思想に基づく華夷思想で東アジアの国際秩序ができあがっていたなどというのは事実でなく、彼の地の儒学者の唱える宗教のようなものだ。もちろん、日本で儒教に看過されたインテリはそう思っていたかもしれないが、そもそも、儒教が社会を律する思想だという扱いを日本で受けるようになったのは、江戸時代になってからのことだから、古代や中世からの伝統的な歴史観ともいえない。

そして、明治になって近代的な国交を結んだとき、清国はさほど逡巡することもなく日本を欧米諸国と同等ということに同意して朝鮮・ベトナム・琉球とは区別したことは、先に『「日本は対等の国」と清に認めさせた副島種臣』(特別寄稿)で解説したとおりである。

ところが、日本人でも何を間違ったか東アジアの歴史を中国中心の歴史観で理解したがる人がいる。儒教の影響が強かった時代はともかく、最近になっても、一部の日本人がそういう考え方をするのは、まことに不思議なことなのだが、『中国と日本がわかる最強の中国史』 (扶桑社新書) を書いていて謎が解けた。

それは、半島の“媚中人”たちの自尊心を傷つけず、日本の歴史上の行動を批判する彼らの主張を肯定して日本人は謝罪しなくてはいけないというようにもっていくために、媚中史観が必要だったのである。

半島では、新羅が日本・高句麗・百済と敵対して窮地に陥り、唐にすがってその暦・服制・年号・人名の付け方を受け入れて、極端に従属性の強い半独立国家となることを条件に半島を統一することを認められた。それ以来、中国と対等であることを主張せず、親子のようなものであることに甘んじていた。

さらに、李氏朝鮮は、それに先立つ高麗が、元にかわって中国の支配者となった明に対抗して勢力を広げようとしたのを批判して、中国を宗主国として尊重する事大主義という考え方に沿って行動すべきだと反乱を起こした李成桂という武将が建てた国である。

そこでは、王が死んでも世子(王太子)は自動的に王になれず、中国によって任命されて初めて王となれたのである。

中国の皇帝の使者に国王は三跪九叩頭(土下座)しなくてはならなかった。元号も中国のものを使い、せっかくハングルを発明しながら中国に失礼だとして公式文書には使わなかった。

それに対して、日本はだいたい対等の関係、せいぜい兄と弟のようなものと日中関係を捉えてきた。となると、日本の立場からすれば半島国家と対等であることは論理的にありえなくなるし、室町時代でも江戸時代でも半島国家を古代において日本に従属していた国として扱ってきた。

ところが、そういう日本の伝統的な外交的な立場は、戦前の日本による半島支配をなにがしかでも肯定することにつながると心配する人がいる。そこで、日本も中国に対して同じように従属的な立場にあったと虚偽の歴史観をでっち上げて、中国中心の秩序の下で半島国家と日本が対等の関係だったという余地をつくりたいらしいのだ。

つまり、半島の人々の立場をおもんばかって粉飾するために、日本と中国の歴史的な関係を歪めて辻褄を合わせているのである。

日韓関係についても、私が先に刊行した、『韓国と日本がわかる 最強の韓国史』(扶桑社新書)では、日本語による韓国史の研究や著作の多くは在日の人々によるものだったり、彼らを読者として書かれたものであって、日本人の視点は無視されていると指摘した。そして、コリアン視点は、中国史の正しい見方をも妨害しているのである。

明治維新のあと、日本政府は、過去に半島国家が日本の従属国家だったなどという歴史的な主張に封印して、対等の近代的な外交関係を持ちたいと提案した。ところが、朝鮮王国は、日本の天皇が「帝」とか「勅」とかいうのが気にくわないとかいってこれを拒否した。

そこで、日本は彼らが崇める清国が日本と朝鮮の違いをどうとらえているかみせて分からせようということで、清国との外交関係を優先して立てたのである。近代にあって、明治新政府が朝鮮に高圧的に上下関係を押しつけたなどという事実がないことを日本人がまず知るべきだと思う。

中国と日本がわかる最強の中国史 (扶桑社新書)
八幡 和郎
扶桑社
2018-09-04
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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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