AIの時代の悲劇

日経の正月から連載、「新幸福論 TECH2050」。2050年の世界を想像するというもので、今からわずか31年で大きく変わるであろう社会を描いています。AIにシェア、iPS細胞、AIロボットの政治家…と今の社会で将来あるかも、と思っていてもなかなか受け入れられないその仕組みが31年後には当たり前になっている、という点がスリリングでもあり、怖い感じでもあります。

その中に

「AIやロボットが仕事の半分以上を代替する結果、人の仕事は思いっきり減って娯楽や余暇が生活の大部分を占めるようになっていた。」

とあります。そこは想像できます。しかし残された人間は何をするのか、であります。宇宙旅行や狩猟をする、とその後に続きが書いてありますが、これは違うと思います。

現代の人間は、動物からははるかに進化しています。その進化の最大の特徴は高度に発達した頭脳により知識のみならず道徳、精神力、協調性など人としての基本的備えを保持していることであります。ところが最近の人は記憶媒体を頭から取り去ることを覚えました。つまり、外部装置に覚えさせることで自分はそれを操作するだけであたかも自分が不自由することがないと錯覚しているのです。

もう少し時代をさかのぼりましょう。皆さん、紙と鉛筆で計算ができますか?簡単な四則演算ならできると思いますが、案外小学校レベルまで落ちている人も多いはずです。では漢字や英文はどうでしょうか?紙と鉛筆だけで書けますか?漢字は小学校レベルを卒業できない人が続出しているとみています。

つまり、電卓やパソコンが普及し始めた時点で我々の頭脳からせっかく学んだ知識が徐々に消え去っているのです。そして今、スマホに全ての情報と権限を与えているため、大事な電話番号や友人のところへ行く道筋すらわからない人がふえています。

つまりヒトの退化と考えてよいと思います。ではAIが席巻する世の中になった場合、人はどうなるのでしょうか?私の大胆な予想です。さらに退化が進み、原始人化、そして動物化する傾向がより強まるかもしれません。つまり種の保存という水準であり、マズローの欲求5段階説でいう一番下の生理的欲求と二番目の安全欲求まで落ちてしまうのではないかと危惧しています。

もちろん、すべての人が落ちるわけではありません。しっかりした自己統制ができる方は大丈夫ですが、多くの方が問題を抱えることになるかもしれません。

ではその時に働く価値観がどこにあるか、です。ほとんどの仕事をAIがこなすとなれば人はわずかな隙間の仕事をするしかありません。しかもスキルがないので多くは肉体労働かもしれません。その労働もワークシェアで一日4時間だけの労働となれば我々の生きがいはどこにあるのでしょうか?先立つものがなければ宇宙旅行も狩猟もあったものではありません。このままではノイローゼになる人も多く生まれるでしょう。

我々が今、AIの進化とともに考えなくてはいけないのは生きがいとヒトとしての意識の保持ではないでしょうか?年々便利になる世の中に我々は歓喜し、「お前、そんなのもの知らないの?」と自慢げに最新の便利グッズを見せられているこの社会を何か、あまのじゃく的にとらえてしまう悪い癖が私にはあります。

私が私として進化する中でAIは補助的役割をしてくれればそれでいいと思っています。別にIoTの冷蔵庫が中身を検知してスーパーでこれこれを買いなさい、と指示されたくないし、AIスピーカーに電気つけてもらい、エアコンを家に着く前にオンにしてもらい、帰宅すると風呂が沸いていなくてもいいです。便利に甘えたくないのです。面倒くさい、これ、やらなきゃ、という人間が我慢したり、乗り越えるというメンタルを持ち続けることの方がずっと重要だと思うのです。

AIとの付き合い方、私は一歩、距離を置きながらスマートにお付き合いさせてもらう、これが私が生きている限り残りのライフスタイルであります。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年1月6日の記事より転載させていただきました。