米大統領選を左右する「ユダヤの力」とは何か?(特別寄稿)

渡瀬 裕哉

ユダヤ人という名を聞くと、その歴史的な経緯から空想科学読本級の陰謀論を脳裏に巡らせる人もいるかもしれない。実際、巨万の富によって世界を支配する一族云々など、彼らの存在を面白おかしく書き上げる書籍やネット上の噂話も少なくない。それらの大半は何の根拠もないものであるのだが。

AIPAC公式サイトより:編集部

一方、米国大統領選挙においてはユダヤ教徒が勝敗を左右する一定の力を持っていることは疑い得ない。それは彼らの陰謀的な権力などが原因ではなく、現実的な「ユダヤ票」の力によってである。そして、現在米国では2020年大統領選挙に向けてこのユダヤ票を巡る激しい戦いが始まっている。

ユダヤ教徒は全米人口の約2%程度しか存在していない。彼らはNY州やカリフォルニア州などの東海岸・西海岸の中心地などを中心に広く分散しているが、実は大統領選挙の勝敗を左右するフロリダ州やペンシルバニア州などの接戦州に相対的に集住している傾向がある。

米国大統領選挙は各州の選挙人を勝者総取り方式を得る形式であり、特にフロリダ州の勝敗は大統領選挙の勝敗に直結する。フロリダ州には60万人以上のユダヤ教徒が住んでいると想定されているが、同州における大統領選挙の得票差は2012年では約7.5万票、2016年では約11万票程度しか差がない。

2016年大統領選、AIPACで演説するヒラリー(Lorie Shaull/flickrより)

また、一般的にユダヤ教徒の投票率は80%前後と考えられており、これはフロリダ州平均の投票率である47.8%よりも遥かに高い数字となっている。したがって、ユダヤ票のうち10%が共和党・民主党のいずれかに流れたとしても大きな影響を与えることになることは明白だ。

米国におけるマイノリティーであるユダヤ教徒の政治的傾向はリベラルである。言い換えるなら、ユダヤ教徒は大統領選挙においておおよそ70%以上が民主党に得票する傾向があると言っても良いだろう。彼らの多くは2016年大統領選挙においてもトランプではなくヒラリー氏に投票したと回答している。

ただし、1980年の大統領選挙(カーターVSレーガン)のように民主党側が様々な要因でユダヤ票を失うこともあり、ユダヤ票と大統領選挙の投票先の関係性は絶対に変わらないということではない。

トランプ演説で紹介された、ユダヤ教礼拝所銃撃事件の生存者(ホワイトハウスHPより)

トランプ陣営はあからさまに1980年のレーガン大統領のユダヤ票獲得の成功をトレースしようとしている。2019年の一般教書演説のハイライトで昨年のピッツバーグ銃撃事件で生き残ったユダヤ教徒と彼を救うために戦ったSWAT、そしてWW2の時にナチスの強制収容所に拘束されていたユダヤ人と救出に向かった元米兵を招いて、ユダヤ人と米国の絆を強調したこともその布石と見るべきだろう。

また、2018年中間選挙において民主党から当選したムスリム系のオマル下院議員らのアンチ・セミティズム発言に対する強烈なネガティブキャンペーンも、民主党からユダヤ票を切り離すことを狙ったものと解釈するべきだ。

もちろん多くのユダヤ教徒はリベラルな傾向を持っており、イスラエルのゴラン高原の主権を認める行為など、トランプ大統領がイスラエルのネタニヤフ首相を強力に支持することがユダヤ票の大幅な転換に直結するかは不透明である。しかし、上記の一連のキャンペーンによって、トランプ陣営にとってはユダヤ票の10~20%程度の割合が投票先を共和党候補者に変更させることができれば十分な成果と言える。(また、イスラエル支持は共和党支持層であるキリスト教福音派の情熱を喚起する効果も大きい。)

いずれにせよ、2020年大統領選挙に向けた米国におけるマイノリティー票(ユダヤ票以外も)の取り合いは既にスタートしている。大手メディアはAIPAC(アメリカ・イスラエル公共問題委員会)などの親イスラエル系のユダヤロビー団体の影響力を過度に強調した報道をしているが、現実的なユダヤ票の取り合いの観点からトランプ大統領の言動を理解して分析していくべきだろう。

国際政治アナリスト、早稲田大学招聘研究員