桜田氏辞任:学校で英語よりもプレゼンテーション教育を

2019年04月11日 14:00

桜田義孝五輪相が事実上、更迭されました。当然というか、遅きに失したのではないでしょうか?安倍首相も任命した以上、更迭は自分の首を自分で絞めることになりますので苦渋の判断だろうとは思いますが、桜田氏の場合、当初から大臣としての資質に全く欠けていました。

桜田氏Facebookより:編集部

ある意味、「発言爆弾」を抱えていたわけでその爆弾が爆発するまで我慢せざるを得なかったわけです。ならば桜田氏が自分から不適任であるとし、自発的に辞退する算段もあったでしょう。それなのに自民党の年功序列制度のごとく、「いつかは大臣」というキャッチのもと、「ようやくたどり着いた大臣席、死に物狂いで守ってやる!」になってしまいました。

それではそこに座ることにだけに価値を見出し、大臣としての仕事は二の次のようなものではないでしょうか?先日の塚田一郎前国土交通副大臣の忖度発言といい、傍で見ていて恥ずかしさを超えるものがあります。

さて、政治家を含め、失言問題は非常に多く、このような問題になるのは氷山の一角でありましょう。一般社会ではセクハラ、パワハラといった言葉の暴力も多数起きていると認識しています。

なぜ、そんな言葉や発言が出てくるのでしょうか?基本的に人前でしゃべることに慣れていない、語彙や表現力の欠如、しゃべる内容の論理性欠如、スピーチや発言中に感情を抑制できないなど様々な理由が考えられると思います。

まさか、大臣や副大臣まで人前でしゃべり慣れていないというのは違うだろう、というご意見もあるかと思いますが、彼らは普段しゃべることに改善、改革の意識がないのだろうと思います。企業で経営を改善するのと同様、政治家はしゃべることがビジネスですが、その努力を怠っているとしか思えません。

ただ、今更高い地位に就いたそこそこの年齢の方に「スピーチレッスン」などといえば機嫌を損ねるでしょう。ならば若いうちからそれは教育すべきであります。私は学校教育にプレゼンテーションを導入すべきだと強く考えています。

写真AC:編集部

北米では小学校のころから人前で自分の考えを述べ、それに対して議論をすることを学びます。議論ですから当然、自分の主張が否定されることも多々あります。それをどう回避しながら自分の主張を皆さんに聞き入れてもらえるか、自然のトレーニングをしています。これを大学生まで学問の一環として繰り返し、社会人になれば会議などを通じて自分の言葉でしゃべり実績を積み上げます。

一方、日本の場合、とにかく学校の教室は先生の方に全員向き、先生と生徒というラインしか存在せず、生徒同士の議論は存在しません。これが私の見る最大の日本の教育の欠陥であります。

教育界ではゆとり教育の反動で授業のボリュームが増えています。その中で英語が新たに組み込まれているわけですが、英語をクラスの一コマとして使うより朝の挨拶や朝礼などで英語を5分、10分ずつ毎日組み込んだ方が効果的なはずです。英語に親しみを持たせる、これで十分なのです。

それより学校でディベートを行うことの方が重要だと思います。日本人で英語を流ちょうにこなす人でも海外で成功できない人は多いものです。それはどれだけ英語検定の成績が良くてもディベートを通じて外国人を説得できないからです。つまり、英語よりプレゼンテーションを、という意味は英語がいくらできてもプレゼンができない英語は効果的ではないのです。

旅行英語だけなら近未来、自動翻訳になるでしょう。そんなことより人と人がコミュニケーションをするという中でどう伝えていくのか、ごく基本的な部分が欠落しており、英語どころか、日本語でもできないそんな社会になっていることに危惧を感じます。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年4月11日の記事より転載させていただきました。

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