東京の「第三極ロス」の中で。自分の中でブレないもの、変わってしまったもの

2019年06月11日 11:30

こんにちは、おときた駿@参院選東京選挙区です。

昨日は片時も止むことのない大雨の1日でした…。

普段であれば街頭演説は中止する天候ですが、参院選一ヶ月前。さらにこれから梅雨シーズン。そんなこと言ってられる場合ではありません。

組織がない私たちが頼れるのは、この街宣車とマイク一本。雨が降ろうが槍が降ろうが…槍はキツいけど…外に出てお訴えを続ける覚悟です。

昨日も雨の中駆けつけて下さったボランティアの皆さま、本当にありがとうございました!

12日(水)の説明会参加やボランティア申し込みは絶賛募集中ですので、引き続き宜しくお願いいたします。

【12日(水】説明会申込みフォーム】
【ボランティア参加登録フォーム】

さて、昨日も五反田の街頭演説会でご一緒した松本ときひろ区議が、素晴らしいブログを書いてくれました。

おときた駿氏の維新公認について

できれば全文お読みいただきたいのですが、特に私が膝を打ったのはこの部分。

私の第三極についての理解・定義は、業界団体等を後ろ盾とする自民党、労働組合等を後ろ盾とする旧民主党系に対し、組織の後ろ盾がなく、しがらみもない、既得権益を打破し、日本の成長のため(特に将来世代のため)の統治機構改革、各種政策に取り組むという考えの人達の集まり、動きというものです。そこには自民党と旧民主党系の対立関係ではこの国はまずい、何とかしなければという危機感があったのではないかと思います。また、第三極支持者の中には、政策をきちんと論じられる、実行できる政治家への期待があったのではないかと思います。

大阪では維新が市長・府知事選で勝利し、改革が進んでいきました。その間、東京は、みんなの党の分裂、維新の党の分裂により第三極支持層にとって暗黒時代を迎えました

我々は大阪の成長を横目に見て、本当に辛い思いをしました。この渇望は、維新と共にこの10年を歩んできた大阪の皆さんにはご理解いただけないかもしれません。

一部は政治への関心を失い、一部は都民ファーストへの期待に流れました。一方、「維新八策」と橋下徹元市長の鬼気迫る活動に感化された私は、維新の灯を東京で消すわけにいかないと、東京での出馬を決意しました。

おときたさんについては、党を転々としているとの批判もあります。ただ、みんなの党時代から見ている私からすると、彼は一貫して第三極から外に出ていないと思うのです。

(上記ブログより引用。強調・改行筆者)

そうなんです。

「みんなの党」が消滅してから、私はずっと「第三極ロス」の中にいました。


政治を変えるにはこれしかないと思っていた道が、突然目の前から消えてしまったあの感覚。

それをもう一度取り戻すために、私はずっと、あがき続けてきたのかもしれません。

「だったら素直に、無所属になった直後に維新に入れば良かったではないか!」

と思われる方もいると思います。

ですが、2013年都議選で「みんなの党」として受かった7人が分裂した経緯から、私が維新に行くことは政治事情として不可能だったのです(分裂した相手方が結果的に維新へ入党したため)。

なお、その際に当時の「維新」に行った都議たちは、もはや誰も第三極の立場に残っていません…。

自民党でも民主党でもない政治を追い求めていた私は、「しがらみのない政治」を前面に打ち出して自民党を飛び出してきた小池百合子候補(当時)をいち早く支持し、新たな政治勢力「都民ファーストの会」のチャーターメンバーとなりました。

しかしながら、一部メンバーたちの思いとは裏腹に、選挙のために小池百合子知事と都民ファーストの会は利権組織と手を結び、「劣化版の第一極」へと突き進んでいきました。

そして失望のうちに都民ファーストの会を離れた私は、独立独歩路線での苦い敗北を経て、いまここに至ります。

こうした歩みからできるだけ客観的に振り返り、自分の中でブレずにあるもの・変わったものを分けるとこうなるのかなと思います。

【ブレずに大切にしていること】

・将来世代のための政治、小さな政府(既得権打破)、情報公開
・地元選挙区である北区を中心として活動する(※住居は家庭の事情で現在は区外)
・何より、無関心層に「政治を届ける」ことを重視する

【変わったもの】

・所属政党
・挑戦する選挙(都議→区長→国政)

選挙の時の所属政党を見てみれば、

2013年都議選→みんなの党
2017年都議選→都民ファーストの会
2019年区長選→あたらしい党
2019年参院選→維新(予定) ※あたらしい党推薦

と、ものの見事に4回とも違う政党から出馬してますし、3つも違うレイヤーの選挙に出ているのですから、「政治家になれればなんでも良いヤツだ!」と思われてしまいがちなのは、ある意味で仕方ないと思っています。

所属政党についてはそれぞれ、私なりの言い分はもちろんありますが、結果として右往左往することになったのは私自身の力不足と見通しの甘さです。

一方で、挑戦する選挙が違うという点については、私が「政治を一刻も早く変える、そのためにいま打てる最適解」を重視して追い求めていることに要因があるのだと思います(そういう意味では、宇佐美典也さんの言う「機会主義者」な面があるのかもしれません)。

都議になった当初、区長選に出るという選択肢はまったく考えたことがありませんでしたし、国政選挙への挑戦も、区長選に落選したがゆえの軌道修正で取った選択肢です。

愚直に最初に定めた目標に向かって、一つの立場を堅持するのも、もちろん素晴らしい姿勢だと思います。一般的にはそれが「筋の通った」やり方でありましょう。

しかしながら、時代や状況が変わったり、あるいは落選して自分の立場が変わった時に、同じやり方に固執することが果たして最適解なのかどうか…。

民間企業であれば、一度失敗したらアプローチを変えることの方が多いと思います。

政治や選挙を一緒にするなと言われればそれまでですが、特にこの変化の時代、「打てる最善手」は変わりうると私は思うのです。

それは人によって「ブレた」「大義がない」と捉える方もいるでしょうし、私自身いまも実際、白髪が爆増するほど思い悩みながら進んでいます。

「議員になれればそれでいいんだよ!」
「カネのために議員をやっているんだ!」

と割り切れれば、どれだけラクなことでしょう。

実際に世間から「変節漢」と批判をされている多くの政治家も、思い悩みながら所属を変えたり、選挙区を変えたりしているのだと思います。振り切っちゃってる人もいるけど。

ただ、その暗中模索の中で。

先にあげた、将来のための政治や既得権打破などの「ブレないもの」を支えに。

第三極ロスの中で、第三極的なものを追い求めてきたということだけは揺るがさずに。

これからも前に進んでいきたいと思います。

とりとめのない文章になりましたが、自分自身の考えに「変化」が起きた時に説明を尽くさねばならないのは、情報公開を掲げてきた政治家にとって必要不可欠です。

私はいま、自分の意志で、「第三極最後の希望」である維新の会とともに政治を変えたいという強い思いで、ここに立っています。

この決断をできる限り多くの人にご理解がいただけるよう、街頭演説で、ブログで、自分の立場と考えを幅広く伝えられるよう引き続き尽力して参ります。

それでは、また明日。


編集部より:この記事は、あたらしい党代表、前東京都議会議員、音喜多駿氏のブログ2019年6月10日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はおときた駿ブログをご覧ください。

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!
音喜多 駿
あたらしい党代表、前東京都議会議員

関連記事

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑