EU「離脱」と「加盟」どちらも大変

英国は国民投票を通じて欧州連合(EU)から離脱(ブレグジット)を決定したが、それからブリュッセルで離脱交渉を繰り返し、離脱合意書がまとまる度に、英議会(下院)で否決され、離脱の日程も延期を重ね、ようやく今年10月末には離脱することになったばかりだ。そこまで到着するために、英国は2人の首相を辞任に追い込んでいる(メイ首相は6月7日に与党保守党の党首を辞任、次期首相は7月末には選出予定)。

英国は2016年6月23日、EU離脱の是非を問う国民投票を実施した。国民投票の実施はキャメロン首相(当時)の選挙公約でもあった。ただし、離脱派が約51.9%を獲得、僅差で残留派に勝利したことは同首相にとって想定外だった。キャメロン首相は責任をとって辞任、その後任にメイ首相が就任し、EU基本条約(リスボン条約)50条に基づいた離脱申請をブリュッセルに提出。離脱交渉が始まったが、ブリュッセルとの間でまとまった離脱合意書が否決されたことを受け、最終的には引責辞任したばかりだ。

ブリュッセルにとって加盟国との離脱交渉は初体験だったが、離脱が容易ではないことが他の加盟国にも理解できたことは少なくとも貴重な教訓となっただろう。EU離脱を叫んできた欧州の極右政党ももはや安易には離脱と叫ばなくなってきた。それだけでもブリュッセルにとって大きな成果だ。

英国の離脱交渉の行方に目を奪われてきたが、EUに加盟を希望し、ブリュッセルの待合室で加盟交渉の開始を待っている加盟候補国がいる。セルビア、モンテネグロ、アルバニアなど西バルカン諸国だ。その中でニュー・カマーは北マケドニアだ。

▲ギリシャのツィプラス首相(左)と北マケドニアのザエフ首相(2018年6月17日、国名変更で合意した直後、ウィキぺディアから)

▲ギリシャのツィプラス首相(左)と北マケドニアのザエフ首相(2018年6月17日、国名変更で合意した直後、ウィキぺディアから)

ところで、北マケドニアとブリュッセルは本来、6月に加盟交渉を開始することになっていたが、その日程は分からなくなってきた。ブリュッセルは西バルカン諸国に対しては、①紛争の平和的解決、②地域間の協力強化―を条件に挙げてきた。北マケドニアはこの2つの条件を成就し、いよいよブリュッセルとの加盟交渉が始まると期待していたが、ここにきて北マケドニアとの加盟交渉開始に反対する加盟国が出てきたのだ。独週刊誌シュピーゲル電子版によると、その国の一つにはEUの盟主ドイツも含まれるという。

マケドニア議会は2018年10月19日、国名変更に関する憲法改正手続きの開始を決め、今年1月11日、国名変更のために必要な憲法改正案を承認し、同25日にはギリシャ議会で改名合意が承認されたことを受け、呼称問題は一応決着し、2月12日に改名が発効した経緯がある。

マケドニアは1991年、旧ユーゴスラビア連邦から独立、アレキサンダー大王の古代マケドニアに倣って国名を「マケドニア共和国」とした。ギリシャ国内に同名の地域があることから、ギリシャ側から「マケドニアは領土併合の野心を持っている」という懸念が飛び出し、両国間で「国名呼称」問題が表面化した。

ギリシャ側はマケドニアが国名を変更しない限り、EUと北大西洋条約機構(NATO)の加盟交渉で拒否権を発動すると警告。そのため、マケドニアはギリシャ側と国名変更で協議を重ね、昨年6月17日、ギリシャ北部のプレスパ湖で両国政府が国名を「北マケドニア共和国」にすることで合意した(通称プレスパ協定)。

ドイツのメルケル首相は北マケドニアのザエフ首相との会合では加盟交渉の開始を支持表明してきたが、その行方に暗雲が漂ってきたのだ。そこでブリュッセル訪問後、北マケドニアのステボ・ペンダロフスキ大統領は24日、2日間の日程でドイツを訪問し、同国の加盟交渉の促進のために外交を展開中だ。EUに加盟できないとすれば、北マケドニアにとって何のために国名を変更したのか、という問いが国民ばかりか政治家の間でも聞かれる。

ペンダロフスキ大統領は、「ドイツを含むEU加盟国は我が国との加盟交渉開始で基本的に合意している。ただ、ブリュッセルの技術的な問題があるだけだ。この秋には加盟交渉の日程が決まるだろう」と楽観視している。

ただし、ここにきて新たな問題が浮かんできた。アルバニアと北マケドニアの加盟交渉を一緒に始めようという考えだ。アルバニアは与野党間の紛争が絶えない。そのアルバニアと一緒に加盟交渉を始めることは「不必要な重荷」という声が北マケドニア側には聞かれる。北マケドニアの約25%はアルバニア系住民だ。アルバニア系住民の間には大アルバニア主義という思いもある。北マケドニアとしてはブリュッセルと単独で加盟交渉を始めたい、というのが本音だろう。

最後に、ブリュッセルの立場を考えてみたい。英国との離脱交渉でブリュッセル側にも疲れが目立つ。英国ケンブリッジ大学国際関係史のブレンダン・シムス(Brendan Simms)教授は独誌シュピーゲル(昨年12月15日号)とのインタビューで、「離脱する英国の未来より、英国を失った欧州の未来の方が深刻ではないか」と指摘していた。英国は世界第5位の経済大国(米中日独)であり、第4の軍事大国(米露中)だ。英国がEUに占めてきた経済実績は全体の15%、EU人口の13%だ。その大国が抜けた後はEU全体の国際社会に占める存在感、パワー、外交力は弱体せざるを得ないことは明らかだ。ブリュッセルも英国の離脱の日が決定した頃から、「英国なきEU」の行方を深刻に考えざるを得なくなってきた(「英国離脱後のEUは本当に大丈夫か」2018年12月24日参考)。

一方、北マケドニアなど西バルカンとの加盟交渉が控えている。ブリュッセルにとって新規加盟交渉は短期的には財政負担が増えるだけだ。すなわち、英国を失う一方、財政負担が増えるというわけだ。それだけではない。EUでは移民対策で加盟国間の結束が乱れる一方、対ロシア、対中国政策で加盟国の独自行動が目立ち始めてきた。米国とは貿易戦争の様相を深めてきている。EUの顔といわれたドイツのメルケル首相の政界引退も迫ってきた。EUは現在、大きな分岐点に立っているわけだ。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年6月26日の記事に一部加筆。