将来の日本人ノーベル賞への悲観論に違和感:日本の論文の被引用度は昔から低い --- 水口 進一

寄稿

ノーベル賞受賞者が発表される季節になると、今はノーベル賞が取れていても将来的には昔ほど研究開発費が使えないので日本人のノーベル賞受賞者は減るだろうという悲観論が出てきます。また、ゆとり教育で日本の自然科学のレベルが下がることを批判する学者も少なくありません。現在は経済が低迷していてなんでもかんでも衰退したように報道されがちですが、論文の被引用度で見る限り昔から日本の論文の被引用度は低いまま放置されてきました。

今年のノーベル化学賞に選ばれた吉野彰氏(NHKニュースより:編集部)

論文の被引用度の長期の国際比較が平成22年科学技術白書 03論文の被引用回数に関する国内外の状況 図5 で示されていますが、米国は1980年代から高いレべルで横ばいをキープし、欧州や中国・韓国は被引用度が改善しているものの、日本は競争力があったとされる80年代から引用されるより引用するほうが多いという低いレベルで横ばいが続いてきました。景気が良かった80年代は日本が技術で特別に優れていたと思いがちですが、論文の被引用度で見る限りそうでもなさそうです。

主要国等における相対被引用度の推移(文科省サイトより:編集部)

また、ゆとり教育で日本の学問のレベルが下がると批判する学者もいるようですが、むしろゆとり世代が世に出るようになった頃になってようやく論文の被引用度で引用するより引用されるほうが多くなっています。

これまで日本人が継続的にノーベル賞を取っていることを見ても個人のレベルは低くないはずですが、それでも日本の論文の被引用度が低いのはレベルの低い大学や学者がたくさんいることが原因ではないかと思います。

日本では90年代の半ばから18歳人口が減り始めたにも関わらず大学の数は増え続け、そのぶん短大の数は減っています。ゆとり教育でレベルの低い大学生が増えたと言われますが、それはゆとり教育のせいでなく単に子供の数が減っているのに大学の数が増えたため、短大にしか行けなかった学生が大学に行けるようなっただけです。

ゆとりなのはむしろ子供の数が減っているのに安易に補助金に依存して大学を増やしてきた大学の運営のほうで、研究開発費が必要な優秀な学者は日本にたくさんいるのですからレベルの低い学者や大学はリストラすべきでしょう。

水口 進一 個人投資家
京都大学経済学研究科卒。経営指標や資本効率に基づいた経済・経営記事を投稿しています。