森ゆうこ問題:日程闘争の檻に住む55年体制の亡霊(後編)

2019年11月20日 06:00

>>>【前編】はこちら

参議院インターネット中継(11月7日)より

「森ゆうこ的議員」という55年体制が生んだ「異形の亡霊」

本論については、私が考える結論を先に述べる。

野党において、まっとうな政策論より、敵失を騒ぎ立てワイドショー映えするスタンドプレーばかりが得意な議員が党内で重宝される原因を生み出しているのは、ほかならぬ自民党である。

また、既存メディアもその一翼を担っていると言っていいだろう。

その理由を、それぞれの視点から詳述する。

1. 与党自民党の思惑と分析

政権与党である自民党は、野党を本格的な政策論を戦わせるライバルではなく、「日程闘争」という馬鹿らしい檻に閉じ込めておきたい。自民党の考えは、この一点につきる。

つまり、選挙に行く知性を持つ国民へのアピールとして、「日程闘争ばかりで、政策論争ができない野党」に対して「責任与党」として対峙する構図を壊したくないのだ。

この文脈でみると、本件で自民党の森山国対委員長が野党にみせた一定の譲歩も、簡単に説明がつく。

これは、ご案内のとおりいわゆる「55年体制」と呼ばれる、自民党と社会党が永遠に演じていたプロレス状態を説明する一類型だ。

こうした状況を勘案すると、自民党には今回の「森ゆうこ議員通告遅延問題」を契機に状況の改善に努めよう、などという殊勝な考えは毛頭ない。よって、国会改革に関する議論は、本質的には前に進まないだろう。

2. 既存メディアの思惑と分析

新聞、テレビといったマスメディアの政治に対するスタンスは

(1)政策論争の深堀りは「危険」であって「金にならない」との認識のため、「野党が騒いで審議日程を遅らせた」といった、「政策」ではない「政局」、もしくはワイドショー的な「おもしろ報道」に偏りがち。

(2)そもそも政治部の予算が十分ではないうえ、政治家との長年のもたれあいから、与野党それぞれの「大本営発表」を垂れ流す結果となり、緻密な分析力を持つ必要がない。

というあたりに落ち着く。

既存メディア全体におけるこのゆるいコンセンサスは、実は55年体制発足(?)当時と本質的には変わっていない。よって、巷間で言われている「メディアの劣化」ではなく、もともとそうなのだ。

ここまで見てきたいわゆる「55年体制」の構図は、一時中断はあったものの、野党の名前がすげ変っただけで、当時からそのまま続いていると言える。

3. ネットメディアの出現

当時と今とで違いがあるとすれば、ネットメディアという「一次情報の流通による言論の可視化」ができるようになったことだろう。

「与党と野党と既存メディア」という構図に「ネットメディア」という第四極が加わったことで

(1)かつてのように、与野党の政治家が裏金や談合による解決をしづらくなった。

(2)政治家を含む議論の当事者が、既存メディアを通じず、自らの言葉でタイムリーに議論に参加できるようになった。

という点が、大きく変わった。

上記(1)によって生じた「政治家に求められるスキル」の変化が、野党側に森ゆうこ議員をはじめとする「異形のカオス政治家」たちを生んだ背景だ。

つまり、日程闘争という馬鹿らしい「55年体制」的な現場において、(1)を得意とするような腹芸や、清濁併せ呑む系の政治家の出番が激減し、表舞台でとにかく騒いで日程闘争を有利に運ぶ議員が野党側の「ゆがんだ花形」となったわけだ。

上記のとおり、彼らは「日程闘争」を有利に運ぶことに血道をあげて取り組む。そのためには、官僚を深夜まで居残りさせることも、私人の名誉を踏みにじることも、国会で根拠のない攻撃を繰り返すこともいとわない。それが、彼らの存在意義だからだ。

しかし、ネットメディアは(2)の特性も併せ持つ。つまり、議論の当事者や言論の力を信じる国民たちが、リアルタイムに発言することができる状況を生み出しもしたのだ。

この(2)の特性が、逆に森氏ら「異形のカオス政治家」たちを追い込むことにもなっている。

今回の例でいえば、アゴラをはじめとするネットメディアの言論人たちによる論考、官僚や原英史氏や高橋洋一氏等の当事者による反論、音喜多議員等による同じ立場の議員による情報提供、などがいわゆる「森ゆうこ的議員」達への淘汰圧としてのしかかることになった。

4. 結論

以上をまとめる。

  • 野党は、55年体制が始まった当初から続く「日程闘争という檻」から脱出できていない。
  • 「日程闘争という檻」に野党を閉じ込めておきたい自民党の思惑が、その状況を永続させている。
  • 危険で金にならない政策論争を取り上げず、見栄えのする政局報道を取り上げがちなメディアもその状況を続ける片棒を担いでいる。
  • 他方、ネットメディアの出現が「森ゆうこ的」な他を顧みないパフォーマンス議員を生み出すと同時に、それら議員の淘汰圧としても機能している。

以上を俯瞰すると、この55年体制的な構造を抜本的に変える覚悟を持つ野党が現れない限り、野党における「森ゆうこ的議員」の需要は存在し続けると考えてよいだろう。

ならば、言論を武器として戦う者の役目は何だろうか?

彼らの不条理を、しっかりと言語化して伝えていくことだ。

さらに、この件でいえば「日程闘争という檻」といった根本原因を探り出し、それを解消する方向に世論を振り向ける努力をすることだ。

その営みの連続が、亡霊を生まない政治を実現する土壌を作ることになると信じる。

高橋 富人
千葉県佐倉市議会議員。佐倉市生まれ、佐倉市育ち。國學院大學法学部卒。リクルート「じゃらん事業部」にて広告業務に携わり、後に経済産業省の外郭団体である独立行政法人情報処理推進機構(IPA)で広報を担当。2018年9月末、退職。出版を主業種とする任意団体「欅通信舎」代表。著書に「地方議会議員の選び方」などがある。

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