伊方原発運転停止仮処分を機に考える「社会通念」と「声なき声」

2020年01月22日 06:00

17〜18日の報道各紙は、広島高裁の森一岳裁判長(20年1月25日に定年退官予定)が17日に下した四国電力伊方原発3号機の運転差止の仮処分決定を挙って報じた。同原発の50キロ圏内に住む山口県東部の異なる島の住民3人が申し立てた運転停止仮処分の即時抗告審での原告勝訴の決定だ。

NHKニュースより

各記事には決定文で使われた「社会通念」という語句が溢れる。その一方、翌19日のTVニュースでは60周年を迎えた日米安全保障条約の成立当時の映像が映され、字幕には当時の岸信介首相が記者会見で述べた「声なき声に耳を傾ける・・」が繰り返し流れた。

岸元首相の「声なき声」の話を先にすれば、それは記者の「(安保闘争の)デモには一般大衆からの批難の声がないが、どう思うか」との質問に対し、声を上げないものの多くの国民はこれを支持しているはずだ、との意味を込めて次のように述べた。

声なき国民の声に我々が謙虚に耳を傾けて、日本の民主政治の将来を考えて処置すべきことが、私は首相に課せられているいちばん大きな責任だと思っています。今は「声ある声」だけです。

そこで本稿では、伊方原発決定のいう「社会通念」について、この「声なき声」、すなわちラウドマイノリティーに対するサイレントマジョリティーという補助線を引いて考えてみた。

伊方原発3号機が運転差し止めを裁判所から命じられるのは17年12月以来で、今回は2度目。同機は福島地震後に定期検査に入り、15年7月に国の安全審査に合格し翌16年8月に再稼働した。

その後、広島地裁(17年3月)、松山地裁(17年7月)、大分地裁(18年9月)、山口地裁(19年3月)と、都合4度申し立てられた住民からの運転差し止め仮処分申請は全て退けられた。が、17年12月、広島高裁が3月の同地裁決定に申し立てられた異議を認め、運転停止の仮処分を決定した。

当時の野々上友之裁判長(17年12月21日定年退官)は、阿蘇山の大規模噴火リスクについての原子力規制委員会の判断の不合理性を決定理由に挙げた。阿蘇山の大噴火に伴う火砕流が海を渡って伊方原発に到達する可能性が否定できない、というのだ。

その後、18年9月の広島高裁異議審がこの野々上裁判長の判断を覆して決定を取り消したものの、今回の決定は、18年9月の決定をまた覆し、再び運転差し止めを命じたのだ。判断のポイントは「阿蘇山の破局的噴火」と伊方原発の沖を通る「中央構造線に関連する活断層」の評価だ。

この20年1月の差し止め決定は、「破局的噴火」について「原発以外の分野で特に対策がとられていないことを理由に“社会通念上、容認されている”とした」(18日朝日社説)。つまり、17年3月の「火砕流が伊方まで届く」との判断を、18年9月の取り消し決定と同様にしなかったということだ。

だが、同高裁は「破局的噴火には至らない最大規模の噴火について検討。火山灰などに関する四電の想定がその数分の1に過ぎないとして、対策の不十分さとそれを認めた規制委の判断の不合理さを指摘した」(同朝日社説)。つまり、森裁判長は規制委の「火山影響評価ガイド」を、その何倍かの火山灰が降るかも知れない、として否定した。

一方の活断層については、「四電は詳細な海上音波探査の結果“原発のすぐ近くに活断層はない”として対策を進め、規制委もそれを認めたが、高裁は中央構造線に関連する活断層がある可能性を否定できないと判断。活断層が至近距離にある場合の評価作業を欠いているとした」(同朝日社説)。これまた専門家の知見を素人が否定した格好だ。

そこで「社会通念」の話になる。これを辞書で引けば「社会一般に通用している常識または見解」ということになるが、そもそも伊方原発3号機の一連の裁判では「社会通念」からして首を傾げること、すなわち「声なき声」が声を上げたいと思うであろうこと、が少なからずある。列挙すれば・・

イ)50キロ圏内とはいえ、本州の住民3人の訴えが四国375万人の電力事情を左右して良いのか

ロ)国の安全基準を満たした原発の差し止めが、仮処分という緊急を要する暫定処置に馴染むのか

ハ)極めて高度な科学技術などの知見を要する原発の安全性の判断を裁判官が行うことは妥当か

ニ)科学に素人の定年間際の裁判官の置き土産が、国の重要な原発政策を二転三転して良いのか

ホ)規制委は、原子力利用における安全確保の施策策定と実施を一元的に司る独立組織のはずだ

と、まあこういった疑問が湧く。不特定多数が読むネットのコラムに実名で投稿する筆者の声など、到底「声なき声」とはいえない。が、同じように思う方も少なくないようで、法律や原子力工学が専門の大学教授らがほぼ同様の問題提起をしている。もっともこの決定に否定的な産経報道だが。

イ)について、筆者は訴えたお三方の権利行使をとやかく言うものではない。が、おそらくはダイバーシティーやらポリコレやらを標榜する支援者らに支えられているように思う。だが、多くの「声なき声」は、他の何十万何百万の近隣住民が容認しているのに・・、というものではあるまいか。

ロ)は「仮処分」というものの性格。そもそも時間のかかる訴訟などで、権利の実現が危険に瀕している場合、その保全のために暫定的に裁判所が下すのが仮処分。これに対する多くの「声なき声」も、「原発以外の分野」(クレカを落としたとか)なら解かるけど・・、というものではなかろうか。

ハ)とニ)はいわゆる徴用工判決とも通底する問題で、ホ)も絡む。規制委は同委員会設置法に基づく環境省の外局で、「専門的知見に基づき、公正中立な立場で独立して職権を行使する」組織。ということは、もしも規制委の判断等に誤りがあれば、その責任は最終的に総理大臣にまで及ぶ。

徴用工判決の最たる問題は外交という高度に政治的な事案に司法が関わったこと。同様に国のエネルギー政策に係る優れて政治的な事案で、かつ高度な専門的知見を要する原発の安全性を、政府の独立組織である規制委を差し置いて裁判所が判断するとは何事!しかも二件とも定年間際の裁判長の最後っ屁。

原発と地震に係る裁判では、筆者には忘れがたい判決があるので紹介したい。それは17年3月17日に前橋地裁が出した原発避難者訴訟の有罪判決だ。翌日の毎日新聞は判決要旨をこう報じていた。

事故原因・・津波が到来し、6号機を除く各タービン建屋地下に設置された配電盤が浸水し、冷却機能を喪失したこと。

回避可能性・・給気口の位置を上げるか、配電盤と空冷式非常用DGを上階か西側の高台に設置する-などいずれかを確保していれば事故は発生せず、

判決は、あの未曾有の大地震による原発自体の破壊には全く触れず、津波は予測できたとし、給気口や配電盤などを高台に置けば事故は起きなかったと断じた。筆者は、被害者を救済せんがための偏った判決だが、これで日本の原発再稼働に時間は掛からないと思ったものだが、そうはならなかった。

「社会通念」ではむしろ少々変わった人々、と思われている裁判官にそれを云々して欲しくないと思うと同時に、ラウドマイノリティーや反日マスコミが「社会通念」を覆そうとあることないこと声高に叫ぼうが、「声なき声」の主たる日本人伝統の「社会通念」は容易くは揺るがない、と改めて感じた次第。

高橋 克己 在野の近現代史研究家
メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。

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