カルロス・ゴーンと日本検察の「罪と罰」

池田信夫さんの「有罪率99%」という誤解を読んで、「大陸法」特にその元祖であるフランスの刑事司法制度で、日本の特捜同様に刑事事件の捜査・起訴に関して大きな権限を託されている司法官僚である予審判事(juge d’instruction)に思いが至りました。

その連想の先をたどっていたら、おそらく世界文学のなかで一番有名な予審判事、ドストエフスキーの「罪と罰」で主人公ラスコーリニコフを追い詰める予審判事ポルフィーリィまでいきついてしまいました。

ラスコーリニコフが金貸し婆さんとその妹の殺害犯人であることを確信するポルフィーリィは、心理的にラスコーリニコフにプレッシャーをかけ続け、ついに(ネタバレ注意)自白においこむという重要な役回りを演じています。

「罪と罰」主人公とゴーン氏の共通点

「罪と罰」に思いが達したところで、気がついたのは、貧乏が祟って大学の授業料が払えず、除籍処分の憂き目に会うラスコーリニコフと、今回のカルロス・ゴーン氏の共通点でした。ちょっと回りくどいロジックですが、お付き合いください。

ラスコーリニコフは頭がいい自分の前途をひらけさせるために、みんなから蛇蝎の如く嫌われている金貸しババァのアリョーナを殺して、その財産を社会のために役立てようと決意します。彼は自分の犯罪を正当化するために、頭脳明晰な自分のような人間は、選ばれた特別な人間であり、そうした特別な人間が大善をなすためには罪をおかすこともゆるされるのだ、というある種の選民思想にとりつかれているのです。。

結局、自分の思想の中では許されるはずだった罪への呵責と、逮捕への恐怖、そして周囲の人々とのやりとりから気づかされる自分の人間性の喪失とに苛まれ、ラスコーリニコフは罪を自白してしまうのです。

ゴーン氏にかけられた容疑が日本の法のもとで犯罪と呼ばれるに値したのかどうか、今となってはおそらく知る由もありませんが、いままでの行状や、特に今回のレバノンまでの逃走始末から窺い知れるのは、同氏が自分を「特別な人間」だと思っていたということです。

同じようなたぐいの人間は、近頃失脚したWeWorkの創業者お兄さんや、シリコンバレーのGAFA、ベンチャーの界隈にウヨウヨいますが、その多くはさまざまな場面での毀誉褒貶を経て、その人間性を取り戻していくように見受けられます。

France 24より引用

今、イランの対シリア・対イスラエル工作の最前線の一部として、世情が不安化しているレバノンに閉じ込められたゴーン氏が、日本で失った何を取り戻しているのか、わかりかねますが、裁判のもとで無罪の判決を得るという勝利のチャンスは永遠に失われたのでしょう。

「罪と罰」のエンディングは、シベリア流刑になったラスコーリニコフが、娼婦ソーニャの献身的な奉仕により、その正気と人間性を取り戻していくという、彼の「救済」を暗示させる結末でしめくくられているのですが、心清らかかつ優しい娼婦などというキャラは、ドストエフスキー先生には失礼ですが、男性の妄想の中にしか存在しないもので、ゴーン夫人には荷が重い役回りかもしれません。

「救済」が必要な日本の司法官僚

一方、すっかり株の下がった日本の検察・警察の方々も、自分たちを「特別な人間」と考えていた驕りのツケが回ってきたということでしょう。社会において正義がなされているということをしっかり人々にアピールするという重要な役割を忘れ、捜査の可視化という問題を回避し続け、政策議論を駆け引きの場となし、交換条件として司法取引をもちこんだと思ったら、いざそれを利用する段になって世論の反応に怖気付いてすっかりへっぴり腰の対応になってしまいました。

以前の検察には「新聞社のおごりで銀座で飲んで一人前」などという恐ろしい話があったようですが、オハコのリーク以外はまともなメディア対策、ましてや満足のいく国際メディア対応もなく、無為無策のあいだに目と鼻の下から容疑者に逃げられたとあっては目も当てられません。2010年の大阪特捜部証拠改竄事件以来、なにをしていたんでしょうか。

ゴーン氏も、日本の検察も、謙虚に自らを省みることが必要なのでしょう。もっとも日本の検察は関係者の善意と努力次第で改善されるでしょうが、ゴーン氏に「救済」が訪れるかどうか。他人事ながらお気の毒なことです。

刑事司法にも、世の中一般にも、特別な役割を託された人はいても、特別な人はいないのですから。

矢澤 豊  英国法廷弁護士 コンサルタント
慶應義塾高校卒 ロンドン大学ロンドン経済政治学院(LSE)卒業。イングランドでの法廷活動、外資系金融会社社内弁護士、大手国際法律事務所での勤務を経て、2014年よりクロスボーダー・ビジネス・コンサルタントとして独立。ブログ
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