日中のはざまで感じた新型ウィルス問題④習政権の核心はここだ

加藤 隆則

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日本では今やあまり関心が持たれないだろうが、中国国内ではこの数日、明るいニュースが目立っている。まだ2万人以上の感染者が残っているものの、昨日は武漢以外の湖北省で新たな感染者がゼロ、湖北省以外の30省・自治区・直轄市でもゼロ(海外からの渡航者感染例3人を除く)を記録し、これまで完治退院した患者は5万7065人に達した。

私の大学がある汕頭市でも一昨日、市センター病院に隔離治療されていた12人がすべて完治、退院し、ゼロ目標を達成したとのニュースで盛り上がった。ようやく学生たちも大学に戻る時期を気にするほど、正常化に近づいている。



当初の混乱を乗り越え、厳格な管理を徹底させ、短期間で、感染拡大を一定程度コントロールした中国の対応は評価されてよい。こうしたさなかに、自分たちの無策を棚上げにし、「武漢肺炎」だと吹聴する国会議員は、当人だけでなく、それを放置放任している政界、社会全体を含め、大いに反省すべきである。

目前の困難から目を背け、自らを欺いたところで、最後のツケは自分で背負うしかない。陰謀論にでもかぶれていない限り、私たちが向き合っている現実は、世界が手を携えて取り組まなければならない課題なのだ。困難にあたって政治が自己都合ばかりを主張し、庶民がデマに振り回されている日本は、世界からどのように見えているかを想像してほしい。

この間、情報隠しの失態や低い衛生水準や医療水準などのあら探しに奔走し、対岸から他人事と決めつけて高みの見物をしていたメディアにも大きな責任がある。さらに、「習近平政権が動揺している」「一党独裁の弊害だ」などとお決まりの発言を繰り返していた人たちも、いい加減目を覚ましたほうがよい。色眼鏡を外し、より多面的に物事をとらえないと、健全な世界観は養えない。

日本メディアによる多くのいわゆる「報道」は、オフィスの机に座って、ネット情報を加工しただけで量産されている。そうした記者たちの作文に踊らさることなく、人間社会の常識をもって、生活者の視点から真相を見極める努力をしなければならない。

情報統制のなかにあっても、現場に出向いて取材を貫いた中国メディアの記者は多数いる。いまだにSNSを使って個人で情報発信を続けている人たちもいる。まだ外に一歩も出られない人々もいるが、一日も早い正常化を願い、ひたすら困難な状況に耐えている。正常な想像力を働かせ、こうした隣人の状況にもう少し目を向けられないものか。

全国でオンラインの授業が始まっている。混乱も多いが、それを教訓として改善し、模範的な授業の実例も共有が進んでいる。学内メディアの学生記者が、教師にオンラインで取材をし、授業の現状をリポートしている。いたるところで、困難の中から学ぼうとする姿勢が強く感じられる。科学技術振興の側面からみれば、今回のオンライン授業が5Gを含めたインターネット環境の有効活用を促進していることは間違いない。AIの活用にも追い風になるだろう。

2019年8月、甘粛省の農村を視察した習近平首席(新華社より編集部引用)

一方、浮き彫りになった農村地域の劣悪なネット環境は、いずれ政府の重点政策になるに違いない。

というのも、習近平政権が2020年、確約していることの核心が農村にあるからだ。2016年からの第13次5か年計画で国民の一人当たり可処分所得を2010年比で倍増させ、なお数百万人いる貧困人口を解消しなければならない。これは、いわゆる「二つの百年」目標――2021年の中国共産党創立100年までに小康(ややゆとりのある)社会を全面的に築き、2049年の建国100年までに近代的社会主義強国となる――を実現させるためのステップとなる最重要課題である。カギを握るのは春の全国人民代表大会で、延期されたものの、何としても責任ある態度を明確に示さなければならない。

わかりやすく言えば、共産党政権の誕生を担った農民が今や社会の最下層に追いやられ、格差社会の中で不当、不公正な扱いを受けている現状を改め、腐りきった党幹部にかつての初心を思い出させ、党支配の正統性を再び取り戻す任務である。習近平が香港デモのさなかでも、足繁く農村を視察して回っているのはそのためだ。共産党政権を打ち立てた革命世代の二代目「紅二代」から授かった使命でもある。

感染問題が長引き、十分な医療を受けられない貧困層の生活、健康、生命が脅かされる状態になれば、その時こそ、政権の是非が問われる。だからこそ多少の荒療治をしてでも、それを食い止めなければならない。習近平はそこをみているし、心ある中国ウォッチャーもやはりそこに目を向けなければならない。

民主主義のシステムでは、政治家への評価は選挙によって下される。失策や失言をしても、再選されればみそぎを済ませたことになる。だが、官僚機構と人脈を通じた複雑な選抜システムを生き抜いてきた中国の指導者は、失策はすなわち失脚に直結する。

敗者復活がないからこそ、政治生命をかけた激しい政治闘争が起きる。過去には暗殺クーデター計画まで明らかになっている。その緊張感を理解できなければ、中国政治を理解できない。

(完)


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2020年3月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。