脱株主第一主義を考える:ミルトン・フリードマンと渋沢栄一

2020年03月13日 14:00

渋沢栄一(国会図書館HP)、M.フリードマン(Wikipedia)

偶然のことなのか、何らかの調整があったのかは全くわからない。3月12日の日経新聞と朝日新聞で非常によく似た特集を組んでいた。いわゆる「脱・株主第一主義」についてである。企業のあり方を 「株主の利益の最大化を図る」存在から、株主、従業員、顧客といった全てのステークホルダーを重視する存在へと変化させるという試みについてである。

日経新聞で取り上げていたのは バンク・オブ・アメリカCEOのブライアン・モイニハン氏。

彼の主張はアメリカでも「株主第一主義」から「ステークホルダー主義」への変化が起こりつつあるというもので、具体的には「ビジネス・ラウンドテーブル」が「企業の目的」を「全ての利害関係者を重視しなければならない」と宣言したこと、「ダボス会議」で「ステークホルダー主義」の理念が再確認されたことを紹介していた。

資本主義を社会主義といった制度に変化させるのではなく、資本主義自体を時代にあわせて変えるべきだという主張だ。

朝日新聞で取り上げられていたのは、関経連会長の松本正義氏。「株主優先の経営 社会の格差広げる」との題で、アメリカのフリードマンを批判する。企業が株主利益の最大化に専念することが社会のためになるというのが、フリードマンの思想だというのだ。そして、こうした思想が国内における格差を拡大し、ポピュリズムの台頭を許したというのである。

さらに「ステークホルダー主義」に関しては、面白いことを説いていた。

関西に根付いている近江商人の売り手よし、買い手よし、世間よしの『三方よし』の根底にある経営哲学と合致する。

私はフリードマンの熱心な愛読者ではないが、『資本主義と自由』を読んで、その国家観に興味を抱いた。勿論、興味を抱いたというのは、それを評価しているわけではない。そういうものの考え方をするのだと面白く思ったのだ。彼は国家とは、自由人の集合体に過ぎないと考えるのだ。だから、共同体への愛情もなければ、責務も感じないというのだ。

一方、ステークホルダー主義とは若干異なるかもしれないが、株主の利益を最大化するだけが企業ではないという主張に関しては、渋沢栄一の『論語と算盤』を思い出した。

渋沢は次のように主張している。

如何に自ら苦心して築いた富にした所で、富はすなわち、自己一人の専有だと思うのは大いなる見当違いである。要するに、人はただ一人のみにては何事もなし得るものでない。国家社会の助けによって自らも利し、安全に生存するもできるので、もし国家社会がなかったならば、何人たりとも満足にこの世に立つことは不可能であろう。これを思えば、富の度を増せば増すほど、社会の助力を受けている訳だから、この恩恵に酬ゆるに、救済事業をもってするがごときは、むしろ当然の義務で、できる限り社会のために助力しなければならぬ筈と思う。

国家社会という共同体の中で生かされている自分が財をなしたのだから、国家社会に恩返ししていこうという発想だろう。

どちらの経済哲学の方が優れているのかを私が判断することは出来ない。だが、少なくとも国家という共同体を重んずる渋沢栄一の国家観、経済観に私自身が惹かれてしまうのは事実である。

皆様はどうお考えですか?

下記の動画でも詳しく解説しているので、ご笑覧頂ければ幸いです。

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