新型肺炎で死去した聖職者は殉教者?

バチカンニュースが24日、報じたところによると、ローマ・カトリック教会総本山、バチカン市国で4人の新型コロナウイルス感染確認者がいる。バチカン博物館の2人の職員などが含まれている。その一方、フランス通信(AFP)によると、イタリアではこれまで67人のカトリック聖職者が中国湖北省武漢で発生した新型コロナウイルス(covid-19)に感染して死去したという。そのうち、22人はベルガモ教区の聖職者だ。

▲「新型コロナの伝染病を終わらせてください」と、祈るフランシスコ教皇(イタリア放送協会公式サイトから、2020年3月21日)

▲「新型コロナの伝染病を終わらせてください」と、祈るフランシスコ教皇(イタリア放送協会公式サイトから、2020年3月21日)

そのニュースを読んだときは驚いたが、世界でも稀に見る高齢者集団、カトリック教会関係者に新型肺炎で亡くなるケースが多いことは理解できる。65歳以上の高齢者で基礎疾患のある人が新型コロナでは最も致死率が高いリスクグループに属するからだ。

南米出身のフランシスコ教皇は83歳だ。生前退位した前教皇べネディクト16世は92歳だ。前現教皇とも幸い、重い病の持ち主ではないが、健康体からは程遠い。日常の聖職と教会運営によるストレスが重なり、表現が不適格かもしれないが、いつ倒れも不思議ではない状況だ。

ここで問題とするのは、なぜイタリア人に新型肺炎による死者が多いかではなく、なぜ聖職者に死者が多いかだ。バチカン・ニュースを毎日、フォローしてきたが、AFP通信が報じるように多くの聖職者が犠牲となっていたとは知らなかった。

同通信の記事によると、フランシスコ教皇が新型コロナの感染者を訪問し、激励しなさいと語ったというのだ。その記事の内容が事実とすれば、フランシスコ教皇は聖職者の死に責任が出てくる。新型コロナの感染源は、接触感染と飛翔感染が最も多い。聖職者が新型コロナに既に感染した信者たちを訪問すれば、その動機が如何に素晴らしくても新型コロナウイルスはお構いなしに聖職者の肢体に侵入しようとするだろう。

イスラム教世界でも感染の危険が高い金曜礼拝(サラート)のためにイスラム寺院に集まるべきではない、という声が聞かれる。もちろん、イマーンの中には礼拝はイスラム教徒の聖なる5行の一つだから、いかなる場合でもそれを実践すべきだと主張するイマーンもいる。直径100nm(ナノメートル)から最大200nmの新型コロナウイルスを恐れて聖業を中止できない、という聖職者としての威信も理解できるが、やはり危険な冒険といわざるを得ない。

一方、ユダヤ大ラビが、「信者がシナゴーグに集まらなないように」閉鎖したというニュースが流れていた。安全問題を体の細胞一つ一つにまで体験してきたユダヤ民族の指導者らしいアドバイスだと、感動した。

問題は、世界のカトリック教会最高指導者フランシスコ教皇の檄を受け、新型コロナ感染者を見舞い、その結果、自身も感染し、最終的に死去した聖職者は果たして教会でいう「殉教者」といえるだろうかだ。亡くなった聖職者は教皇の言葉に従った結果、不幸にも犠牲となった。教皇や教会の方針を無視した謀反の結果ではない。批判を受ける立場ではないが、果たして殉教者といえるだろうか。

カトリック教会だけではなく、新教徒の中にも多くの殉教者がいる、ローマ教皇が腐敗、堕落していた時も、イエスの教えに従い、殉死した聖職者は少なくなかった。アウシュヴィッツ収容所で他のユダヤ人に代わって亡くなったマキシミリアノ・コルベ神父もその中の1人だ。

最近では、イスラム過激派テロリストに2016年に殺害されたフランス教会北部のサンテティエンヌ・デュルブレのカトリック教会のジャック・アメル神父はその1年後、フランシスコ教皇に聖人に拝された。イエスの教えを殺される直前まで遵守した聖職者の場合、「奇跡の証」の審査はなく、即聖人になれる。それほど、教会ではイエスの教えのために犠牲となった聖職者は評価されるわけだ。

上記の設問に戻る。67人の聖職者は殉教者だろうか。残念ながら、犠牲者であることは間違いないが、殉教者とはいいにくい。病人を慰め、神の教え伝え、終油を注ぐ行為は通常の場合は聖業だが、新型コロナが席巻している今日、教会が最も避けなければならない信者との直接接触を犯してしまったという意味で、無謀な冒険だ。

67人の聖職者を殉教者と見ないほうが賢明かもしれない。67人が殉教者となれば、他の聖職者にも殉教の道を選ぶ者が出てくるからだ。自殺防止という観点でも、67人は殉教者ではなく、犠牲者と受け取るべきだ。

フランシスコ教皇は第266代教皇に就任して以来、悪魔について頻繁に語ってきた。「悪魔に近づくな」、「悪魔は君より頭がいいから、気をつけろ」と語ってきた。なぜならば、悪魔は不可視の存在であり、知恵があり、人間を巧みに惑わすからだ。フランシスコ教皇は長い信仰生活を通じて悪魔の恐ろしさを身にしみて体験してきたのだろう。

そのフランシスコ教皇は、残念ながら、中国武漢発の新型コロナウイルスの恐ろしさ、感染力を過小評価しているのではないか。悪魔と同様、新型コロナウイルスは肉眼ではキャッチできないし、感染力は悪魔を凌ぐほどだ。昨年11月末に発生してからまだ4カ月余りしか経過していないが、世界120カ国以上にウイルスをまき散らしている、パワーは悪魔もタジタジだろう。

繰返すが、フランシスコ教皇は聖職者に、「新型コロナに近づくな」とアドバイスするべきだ。時には、英雄的な行為も必要だが、新型コロナウイルスに近づく行為は本人ばかりか、周囲の人々にとっても危険だからだ。

参考までに、67人の聖職者の中で、ベルガモ教区の神父は信者が彼のために用意してくれた人工呼吸器を、「私の人工呼吸器を自分より若い他の患者に使ってほしい」と述べたという。コルベ神父を想起させる行為であり、苦境下のベルガモ市民を感動させた。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年3月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。