新型肺炎後の世界

未だ止まる様子のない新型肺炎に関して「新型肺炎後の世界」などというと不謹慎と思われるかもしれませんが、人々の行動規範が大きく制約されている今回の事態を通じて今後、どんな変化が予想されるのでしょうか?

世界的に航空便は利用者が激減(3月中旬、バンクーバー空港/flickr)

ジョンズホプキンス大学が今回の新型肺炎が起きる以前である2018年にまとめた報告書に「最大の脅威に挙げたのが呼吸器系に悪さをするRNAウイルスだ。インフルエンザウイルスに比べ、コロナウイルスなどには十分な注意が向けられていないと警鐘を鳴らした」(日経)とあります。医学業界でも医薬品の開発が十分ではなかった、いざ発生した時の行動規制などについて各国政府なども十分な理解と準備をしていなかったということなのでしょう。

今回のCOVID-19がいずれ収まったとしてもその次のコロナがやってくる可能性は大いにあります。その時、私は世界の行動は見違えるほど早い展開をすると思います。つまり、過剰なぐらい「閉じてしまう」のです。

人の行動とは一度苦労し、その解決策を見出すとそれを模範する傾向があります。例えば経済の世界では景気が悪くなれば金利を下げればよいという学習に基づく反復行動があるのと同じです。(それが毎回正しいかは疑問があるのですが実績があるという安直さはあります。)

とすれば経済活動や社会行動においては同じようなことがまた起きるかもしれないという先読みが常に起こるでしょう。これは保守的行動を意味します。

例えばグローバル化でモノ、ヒト、カネはほぼ自由に動き回ることがこの20年の間に作り上げられた地球規模の成長でありました。それが無限に広がると予想したケースは枚挙にいとまがありません。日本政府は訪日外国人が2019年3000万人を超えたことを受け、20年は4000万人を目標としました。2020年の予想をするのは難しいですが1000万人前後まで激減してもおかしくないでしょう。

世界で飛び回るLCC(格安航空)は数万円で海外旅行の往復航空券がゲットできる世界を作り上げました。ホテルもどんどん作り、インド発でソフトバンクGが出資しているオヨは客室数では世界第2位に躍り出ていますし、APAグループも鼻息が荒い展開をしていますが、グローバル化の右肩上がりがずっと続くという前提のビジネスモデルであるといえるのです。

それは薄利多売にほかならず、質より量で稼ぐという流れを強く打ち出しました。20年前ならそれでよかったと思いますが、今後、その立ち位置は変貌するかもしれません。なぜか、といえば私は今の子どもたちの遊び方にヒントがあるとみています。

子どもは外では遊ばない、だけどゲームを通じて繋がっています。つまり、ネット上での友人との付き合いが彼らにとっては新常識の世代になっています。この子たちが大人になってくると飲み会はネット上でやるのが当たり前になる気がします。「俺、あの店嫌い」「わたし、ビール飲めないし」「魚より肉だよな」といった幹事泣かせの会話はなくなり、家で飲み食いしながら延々とネット宴会するのです。

はむぱん/写真AC(編集部)

これは危機対応のために国家がいつでも国の門扉を閉じられるように人々の行動規範も閉じることが前提になるとみています。「コンサートも別にネットでいいじゃん、そうすればチケット代メチャ安だし、何人でも参加できるし、どこに住んでいても参加可能だし」ということになります。とすれば今まで全国ツアーで10回公演していたのが1-2回で終わるかもしれません。効率は上がりますが、社会の活気は落ちるのでしょう。

一方、人々が家を活動の拠点とする場合、何が起きるかといえば家が心地よい場所である必要があるのです。まず、家族がそれぞれ個室やプライバシーが保てる空間が必要です。次に自分だけのガジェットがいるでしょう。例えばコンサートをネットで楽しむのはスマホやタブレットではなく、圧倒的没入感があるゴーグル型になるかもしれません。自分のだけのソファといった商品も生まれるでしょう。

私は国も人々ももっと我儘になってくるとみています。大阪と兵庫の知事同士のやり取りをみていてもすでに我儘が始まっていると思っています。常に自分が中心であるミーイズムの復活です。

その世界は正直、私は好きではありません。しかし、今回の新型肺炎に伴う様々な経済活動の休止で少なくとも団塊の世代(当地のブーマー族)にリタイアせよと背中を押したと思っています。数多くのその世代の経営者は店や事業をたたむでしょう。その時、「あぁ、時代が変わったな」と実感させられることになるかと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年4月5日の記事より転載させていただきました。