「アベノマスク」4つの論点 〜 公共調達の視点から

2020年04月29日 14:01

政府によるマスク調達が連日テレビや新聞で報じられている。安倍晋三首相が4月1日に全世帯向けに布マスクを配布することを表明し、自ら布マスクを付け始めたことから、「アベノマスク」などと呼ばれるようになったこのマスク、予算規模の大きさや要不要について様々な議論を呼び起こしている。

編集部撮影、官邸サイト

そして、ここ数日は(既に発注されていた)妊婦向けマスクについて不良品が多数見つかったことなどが報道され、その品質管理の杜撰さが批判されるようになった。どの対象の調達についてどの業者がいくらの量をいくらで受注したか、という情報公開の声が強まり、その対応が遅いとさらに批判されることとなった。

数百億円にものぼる政府によるマスク調達は公共の契約であり、公共の契約は国であれば会計法(地方自治体であれば地方自治法)という法律によって、そして関連する規則、指針等によって、その公的支出が厳格に規律される。各種報道を見ていて、この「公共契約の適正化」からの議論が極めて少ないことに気付く。

そこで、以下、公共の契約という観点からの論点整理をしておきたい。報道によれば不良品が多数見つかった妊婦向けの配布マスクは緊急随意契約とのことであり、全世帯向けのそれも同様であろうから、ここでは随意契約を前提に話を進めることとする。

第一に、随意契約の適用場面である。これは会計法、地方自治法(その施行令)に厳格に定められている。一般には特定の業者しか提供できないという供給源の唯一性のケースだが、マスクの場合は緊急性の高さがその理由になっているといってよい。緊急随意契約の典型は災害等における緊急復旧工事である。

競争入札には(公告等)手続に係る一定の時間を要することとなり、それが待てない場合には随意契約が採用される。マスク配布の必要性が真にあるという前提で、そのための時間的制約が厳しい以上、そこに競争を求めることはできないということになる。

しかしマスク配布の必要性を見出さない人にとっては(緊急だと思っていないので)議論の前提自体が欠如してしまい、適用場面に係る会話が成り立たない。今さまざまに展開している議論は、もしかしたらそういう段階の違いを無視したレベルの応酬になっているのかもしれないが、そこは論点を分けて冷静に論じるべきである。

第二に、価格面の問題である。緊急随意契約だからといって「どんぶり勘定」でよい訳がなく、できる限りリーズナブルな価格に収めることが必要である。緊急性と唯一性が混在する場合には「説得する」しかないが、複数の業者が選択し得る場合には価格に関する精査をし、より低廉な方(そしてより品質上の問題のない方)を選ぶことが求められる。

本件において政府はどのような状況に置かれ、どこまで選択可能な業者を射程に入れていたのであろうか(必要枚数入手の見込みが立たず焦っていたのかもしれない)。

ここで、会計法上のルールとして「予定価格」という概念が出てくることに注意したい。一般的には獲得した予算を反映するもので随意契約の場合、実際の契約額に合わせて予定価格を組むことが多いので、落札率が100%となることが多いのだが、随意契約の正当化のために、予定価格を高めに設定して実際の契約額をそれなりに低くすることで「安くなった」(だからこの業者にした)という印象を作るというやり方もしばしば見かける。

最初に高めの見積りを出しておいて、競争がない状態では、後から安い額を提示し契約を獲得する(実際には「言い値」なのだが)というやり方をする業者もいる。「見込み額より安い」といってもそれだけでは何も判断できない。競争という要素がない随意契約において価格の妥当性の評価は最も悩ましい問題の一つである。

第三に、業者選択である。業者選択の問題は品質の問題と言い換えてよい。公共契約の契約相手はリスクの低い業者に任せなければならず、安ければ誰でもよいという訳にはいかない。緊急随意契約の場合は「失敗は許されない」調達なのであるから、特にそうである。

実はそこが難しく、緊急復旧工事の場合には、信頼できる地元業者が存在しているのが前提になっている(だからこそ、公共工事、建設業における担い手育成・確保が国土交通省の最大の政策課題になっている)が、そもそも経験のない(乏しい)物品調達、製造委託の場合、時間との戦いの中、品質を見極めなければならないという困難に直面することになる。

政府のマスク輸入業者の選定については厚生労働省以外の省庁も関わったとの報道もあり、それが本当だとするならば、その辺りの経緯も重要な検討対象となる。

第四に、そして最も重要なものとして、透明性である。なぜ随意契約にしたのか、なぜその価格なのか、そしてなぜその業者なのか。これらの疑問に対しては、透明性の徹底によって応えていくしかない。

競争入札であれば、その公告された内容から手続としての適正さが評価でき、競争の結果が公正な結果であると評価することが制度上可能となっているが、随意契約(特に競争性のないそれ)の場合はそのようなフィルターがない。それだけに「説明責任を尽くすこと」でしかその適正さを担保することができないのである。

価格面でいえば、当初の見込額の妥当性と実際の契約額の妥当性である。見込みよりも下がったという事実は、その見込みが高過ぎれば意味のない事実である。価格の精査方法、実際のやりとり、交渉の有無等、価格決定に至るまでのプロセスはどうだったのか。

業者選択については、どのような経緯でその業者になったのか。過去の実績がない、乏しいところと契約をしたのであれば、説明責任の度合いはさらに高まる。品質管理体制も不明な点が多い。どこの業者がどうして大量に不良品を出したのか。なぜそれを防げず、見抜けなかったのか。

ただ迅速であっても不正確であればそれは拙速であり、多少時間がかかっても正確な情報の方がよい。だからこそ随意契約の情報公開は「一定の期間内」になされるというのが実務なのである。

しかし批判が強いケースの場合、正確性と迅速性と通常以上の丁寧さが同時に求められることになる。発注機関は大変だろう。だからこそ準備段階で、契約段階で適正化への意識を先鋭化させておくことが重要なのである。急にどこからか降って湧いた緊急随意契約で、現場はパニック状態だったのかもしれない。現場の苦労は察するに余りある。

行政は「無謬性」の体裁に拘る傾向が強い。情報を出さないという形でそれを維持しようとしているのかもしれないが、それがますます疑問を深める結果になっているとはいえないだろうか。

筆者は、政策として政府が必要なマスクを調達し、必要な人に配布することそれ自体を批判するつもりはない。不良品がなく、支出も低廉に抑えられて、目的に対して一定の成果が期待できるならば、批判されるべきものではない。そして場合によって随意契約が必要だという考えは当然だ。公共工事における緊急随意契約は人々の命を守るために必要なものだから競争入札のメリットを捨てて、「時間を買う」のである。それを否定する人はいない。誰もを説得できる自信があるから、発注機関はその調達の必要性も含めて徹底した情報公開に努めるのである。

随意契約にとっては透明性がその生命線である。随意契約への国民の不信感が高まり、今後必要な場面において発注機関が躊躇して随意契約を利用できないような事態になれば、それは政府にとって不幸な話であるし、それは延いては国民にとって不幸な話だ。あれこれと批判される中、政府にとって必要なのは先手先手の透明化なのではないだろうか。

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楠 茂樹
上智大学法学部国際関係法学科教授

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