「9月入学」は総力を挙げて実現せよ

4月30日のブログで「降って湧いた9月入学議論」を書いた時は入学時期の変更が今年の9月の可能性もゼロではないという感じでしたが、あれから数週間経ち、圧倒的話題にはなっていないものの議論は進んでいます。今年の9月実施議論というのはやはり、時間的問題がありますので可能性はすぐに消えましたが来年の9月の移行を軸に様々な議論が進んでいくことになりそうです。

(写真AC:編集部)

(写真AC:編集部)

19日には官邸で関係官庁(文科、厚労、経済産業各省)の次官級協議が開催され、問題点の整理を6月上旬ぐらいまでに行うこととなりました。現在、主流の案は来年9月の全面移行と「生徒数のしわ寄せ問題」を解決するため、来年9月から5年かけて段階的に行うというものであります。

少なくとも議論が進んでいるというのはありがたいことで今度こそは実現させてもらいたいものであります。

明治時代は9月入学であったのですが、徴兵制の関係で4月入学に強制的に変えさせられたという歴史があります。その点では4月入学は戦争時代の名残ともいえる「悪しき記憶」と言ってしまえば詭弁ですが、日教組などは飛びついて9月入学に賛意を示すのではないでしょうか?

その後も「中曽根康弘内閣の1987年、当時の臨時教育審議会は秋季入学について『大きな意義が認められ移行すべきだ』としながらも、『意義と必要性が国民一般に受け入れられているとはいえない』と先送りを提言。その後議論は立ち消えとなった」(日経ビジネス)とあります。

87年と言えばバブルの盛りで当時は天動説ならぬ日本中心主義的な発想がなかったとも言えず、「意義と必要性が国民に受け入れられなかった」というのは国際化とは何ぞや、学びたい者があれば日本のスケジュールに合わせよ、ぐらいの超強気姿勢であったと推測します。(私のバブル時代の経験からはそんな風潮が世の中一般で見られました。)

そんな強気一辺倒の姿勢が一気に崩れたのが90年代でそのあたりから教育に関する国際ランクは下落を開始します。特に2000年代初頭あたりからの読解力などの下落が顕著になっていますが、これはバブル後に生まれた子供たちとIT化の普及、更にマニュアル文化の社会的浸透(=コンプライアンス重視社会)あたりが強く影響してのだろうと思います。個人的にはそれ以外にメンタル面でのバブル後遺症が大きく、一種の「5月病」的状況が続いているのではないかと察しています。

私のブログのタイトルは「外から見る日本、見られる日本人」で海外で生きる日本人の目線で我々がどう立ち向かっていくのかを書き続けてきています。「日本の国際化」は私の中心軸でありますが、そんなものはいらぬというご意見も確かにございます。しかし、人口減で高齢化が進む日本に於いて片意地を張っていても仕方がないわけで日本が本当に良い国であるならばもっと多くの人に啓蒙し、日本的発想を広げられる「インフルエンサー」を一人でも多く輩出する必要があるのです。

そのためには世界の主流である9月入学に移行し、世界の若者に学校の門戸を開け、競争し、切磋琢磨する刺激と衝撃を子供たちに与えられればよいと思っています。私は中学、高校で外国人のクラスメートから受ける刺激があればよいと思っています。「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」(ブレイディみかこ著)は英国の田舎にある元最底辺校に通う自分の子供を通じたクラスの国際色とその刺激を記した興味深い本で、国際化するクラスのイメージにはとても参考になります。

今必要な教育とは子供たちが議論をして考え、自己主張することすることなのですが、どうしても議論の切り口が日本人だけだと偏りがちになります。9月入学になるとこのような変化もいつか実現するのかもしれません。

9月入学に向けた各方面の姿勢は前向きだと思います。今は時の風も吹いています。できない理由を挙げるのではなく、どうやったらできるのかを考え、総力を挙げて実現に向けて踏み出してもらいたいものであります。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年5月20日の記事より転載させていただきました。