アヤソフィアのモスク化:背景に世界8億人視聴のTVドラマ成功の自信

2020年07月14日 06:00

Naval S/Flickr

トルコの最大都市イスタンブールにある歴史的なアヤソフィアを博物館からモスクに戻すことを決めたが、アゴラ上ではすでに八幡和郎さんが「聖ソフィア寺院のモスク化は世界史的大事件か」と指摘しているので概略は省く。歴史の多くが重なるキリスト教世界では、ビザンチン帝国の東方教会の総本山、現世界遺産のアヤソフィアのモスク化には複雑な受け止め方で、現在も多くのメディアがこれを批判的に報じている。

このアヤソフィア博物館をモスクに戻すという動きは、エルドアン大統領という独裁志向のトルコの最高政治指導者が行うものだが、現状のトルコ政情とは別に、トルコがかつてのオスマン(トルコ)帝国のような「ゆるやかな統治の世俗大国」再現へと向かっているように、わたしには思えてくる。

浮上しているその背景には、オスマン帝国高官(パシャ)の末裔が英国のジョンソン首相ということ、さらに日本を含め、世界8億人が視聴したというトルコ制作TVドラマの成功作、「オスマン帝国外伝(原題 壮麗なる世紀)」での自信があるのではないか。

欧米で、オスマン帝国高官の末裔が英国のジョンソン首相と騒がれ始めたのは、ジョンソン首相がロンドン市長時代。欧州亡命貴族の子孫が英国政治家になった例は数多くあるが、アジア・欧州にまたがった歴史的なオスマン帝国大臣の子孫というジョンソン首相は別格だ。トルコにとっても誉れというものだろう。

同時に欧米における現代トルコのとらえ方には、このTVドラマシリーズ「オスマン帝国外伝」により、大きな変化を生み出している背景を踏んだようにもみえる。「オスマン帝国外伝」は、オスマン帝国の最盛期を築いた第10代皇帝スレイマン1世(在位1520 – 1566)の治世を描いたもので、2011年から2014年までトルコで放映された。

その後、世界80か国で放映され、約8億人が視聴したとされているこのTVドラマは、西欧が野蛮で侵略的で専制的としてきたこれまでのオスマン帝国の見直しを迫る結果を与えた。もっともエルドアン大統領は当初、このTVドラマには極めて批判的だったが、世界8億人視聴となっては態度を変えたようだ。

欧米にとってオスマン帝国は歴史的には東欧をも支配、オーストリアから地中海はイタリアまで迫り、イスラム化を目指したいわくのある国だ。さらにオスマン帝国崩壊後は、欧米に子孫も多く移住しているから関心はなおさらだろう。一例を挙げれば、アメリカ東部の金管楽器製造業者の多くはトルコ移民の子孫。トロンボーンの管の精緻さ、またシンバルの製造技術は、一子相伝と言われる。

しかし、これまで西欧が見るオスマン帝国は、第一次大戦における中東が舞台の名作「アラビアのロレンス」が象徴的だ。英国貴族の庶子で冒険家トーマス・E・ロレンスを、ひたすら英雄として描き、そこに悪役として登場するのが、アラブをしいたげる残虐なオスマン帝国軍隊。それを率いるのが好色なオスマンの将軍という西欧好みの構図だった。

この映画の公開当時、石油という国家エネルギーに中東アラブ世界が欠かせない存在であることを示したものだった。石油という資源戦争でアラブ諸国の顔色をうかがう欧米のスタンスが見事に見えた映画。一方、英雄ロレンスは単なる砂漠の冒険家だった、との見方もいまだ根強くある。

第一次大戦でドイツ側についたオスマン帝国は、その敗戦と同時に約600年続いた歴史とともに解体し、世俗イスラム国家として再生した。アヤソフィアを博物館としたのも、当時の国家指導者ケマル・アタチュルクによるもの。第二次大戦では中立国の地位を守ったが、戦後の冷戦時代、このトルコというアジア欧州にまたがる、地政学的な戦略国家であることをアメリカは見逃さなかった。

アメリカは1952年、対ソ戦略上からトルコと、歴史的にはオスマン帝国に支配され、現代は激しい憎悪をみせる隣国ギリシャともども、北大西洋条約機構(NATO)に同時加盟させた。旧ソ連には、のど元にあいくちを突きつける役目の二つの国家だからだ。そのNATOにからみ、わたし自身もトルコ親日気配りの体験があることは後述する。

ところでTVのオスマン帝国外伝は遠い日本でも反響は大きい。隠れた根強い番組として、いま人気を集めている。チャンネル銀河、BS日テレ、Huluなどが放映している。それに加え、日本でも改めてトルコという国のとらえ方について、オスマン帝国外伝によるプラス変化が起きているともいえる。オスマン帝国は宗教的にも寛大で、異民族の存在も寛容し統治した事実があるからだ。

もともとトルコの不倶戴天の敵は歴史的にはロシアだ。オスマン帝国周辺領土だった黒海クリミアを奪ったのがロシアだった。1890年、和歌山県沖でのオスマン帝国海軍エルトゥールル号難破では日本が懸命に救助した。その後の日露戦争での日本勝利は、トルコにとって、歴史的にロシアにしいたげられた北欧フィンランドと並んで、さらなる親日の基盤となっている。

わたしの欧州駐在時代、冷戦崩壊後のNATO東方拡大問題が話し合われたNATOパリ首脳会議のことだった。NATO加盟国のジャーナリストが集うプレスセンターで、場慣れしない動きを見せたのがトルコ記者団。すでに予約したわれわれ日本人記者の席に乗り込み、我が物顔で占拠してしまった。まるで騎馬民族の襲来の様子そのものだった。

ところがNATO首脳会議終了後、パリ駐在トルコ大使館スタッフとみられる美人女性がわれわれに「どうぞ」と一言語り、明らかに源流はトルコの菓子と思われる大きなオーストリア・ウィーン名物のチョコレートケーキ「ザッハトルテ」を差し出した。

わたしはザッハトルテより、この女性の異国的な目鼻立ちのあまりの美しさに見とれ、言葉も出なかったが、彼女は騎馬民族の末裔的な狼藉を働いた自国記者への許しを乞うため、トルコ大使館から派遣されたものと解釈、親日の気配りをみた思いがした。

ところでNATO本部はベルギーの首都ブリュッセルにある。NATOメンバー国民として、トルコ人はこのブリュッセルでは大手を振っている。商業界に地盤を持つ人も多い。NATO本部出入りのタクシーはタクシー運転手にはトルコ人もいる。乗客が日本人と知ると片言の日本語をしゃべるので、思わずチップをはずむことになるものだ。

そのトルコの悲願は欧州連合(EU)加盟だ。オスマン帝国はかつて欧州一の大河ドナウの中流、黒海につながる下流域を支配した。ドナウ川の源流はドイツであり、戦乱と交易の歴史を平和裏に再現する構想がEU加盟だ。でもこれは、いわば他力本願だったNATO入りとは違って、その道のりは険しく長いものとなるだろう。

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