21世紀の列島改造(首都移転・道州制・三百市)

2020年07月19日 11:30

通産省時代に「朝生」に出演した筆者(朝まで生テレビより)

新型コロナ騒動を機に、久々に国土政策が注目されている。私は通商産業省から二度にわたり国土庁に出向し、草創期の『朝まで生テレビ』などで東京一極集中反対を取り上げ、『国会等移転に関する法律』やその後の移転候補地(東濃・那須・畿央)の決定の過程で、村田敬次郎、堺屋太一氏らと仕事をしていた。

首都機能移転は、バブル崩壊で緊急性が減じて橋本龍太郎内閣のときにうやむやになったのだが、最近、新しい議論も出ているので、おさらいをしたい。

まず、国土政策を論じる上でいちばん大事なポイントは、1970年ごろまでは、大都市集中が問題だったが、それ以降は、東京一極集中が問題なのである。

本社機能の大阪から東京への移転が東京一極集中の最大の原因であった。ところが、霞ヶ関における国土政策の主導権をとっていた下河辺淳氏は、重厚長大時代の発想から脱することができず、日本の土地と水資源の半分は東京と新潟を結ぶ線の東側にあるのに、人口は三分の一しかおらず、不均衡だから、西日本から東北日本に人口や産業活動を移すべきだといい、西日本の衰退をむしろ歓迎した。

そのために東京一極集中でなく大都市集中排除、つまり、関西や名古屋圏は移転促進の対象になったままだったのであり、東京一極集中は政策的に促進された結果なのである。

堺屋太一氏(官邸サイトより)

それに対抗していたのが、堺屋太一氏で、若い頃には、丹下健三のメガロポリス(東京から関西までをひとつの都市圏として再編成する)に対する堺屋太一の「メガネポリス」とか言われたこともある。

戦後における首都移転論は、1960年代に河野一郎氏のもとで盛り上がり、筑波学園都市、京都国際会館、明石・鳴門ルートでの本四架橋と並んで浜名湖周辺遷都案が練られた。

しかし、河野氏が急死すると、田中角栄とそれと意図は違うが、下河辺氏による工場の地方分散を優先する思想が幅をきかし、中枢機能の移転は下火となり、辛うじて村田敬次郎(通産大臣・自治大臣)が孤軍奮闘していた。

ところが、中曽根内閣のもとで東京一極集中が進み、それに対抗する様々な動きのなかで、私や東海銀行調査部、堺屋太一氏、武村正義氏らが中部地方への首都移転論をとなえた。

それに対して、下河辺氏らはもともと仙台第二首都論、つまり東京の被災時の対応が可能なように仙台に首都機能のバックアップ機能を持たせるという構想を出していたのを、対抗上、那須・阿武隈地域への首都移転論を持ちだした。

こうして、1990年代の首都移転論争は、中部派と東北派の呉越同舟で進んだのである。

B Lucava/flickr

しかし、そもそも、東京ですら日本の人口分布の現実から著しく被害に偏っているのに、さらにそれより東北へ持って行くという案が国民の多数の支持を得られるはずもなく、那須・阿武隈案などは、いってみれば、首都移転を妨害するために出された案だったといえる。

そもそも、国内最大都市が首都では一極集中は不可避で、18世紀からワシントンのような国土の中心で政治行政機能に特化した都市に首都を置く方向で世界は進んでいる。

その趣旨からすれば、日本も人口分布の中心は岐阜県で、そこから遠くない地域が常識的だ。幸いリニア新幹線構想もあり、その沿線が理想だと考えていた。

ただ、そのなかで、東濃と畿央(三重県北部)とふたつ候補地があったのだが、これは、都市規模についてのふたつの考えを反映していた。堺屋氏は東濃を推していたが、これは、ワシントン程度の規模の完結した機能をもつ100万都市のイメージだった。

それに対して、私などは、ボンのように人口30万人程度で、関西や名古屋の都市機能を利用すればいいという考え方で畿央を推していたのである。

一時は、15年ほどで新首都建設をやってしまおうということだったのだが、いったん勢いを失うとそういう分けにもいかないことは分かっている。

そこで、首都移転までのつなぎの構想として大阪都構想などによる関西の強化がいちばん即効性もあるし、堺屋氏が大阪都構想に賛成していたのもそれが故である。

大阪城天守閣からの眺望(写真AC)

西日本の人口減少は国防上も由々しき問題であり、その意味でも関西の副首都機能の回復は国家にとって不可欠なのである。

また、道州制と全国を300程度に分割した基礎自治体が将来方向として適切だという意見が当時から強かった。それなら、リニア沿線に新行政首都をつくり、そこには霞ヶ関の公務員の半分以下しか連れて行かず、残りは新しい道州庁、全国各地へ分散した一部省庁等へ再配置する、さらには、都道府県と市町村を300~500の基礎自体に再編成することをワンセットでしたかったのである。

ところが、財務省からはリニアには言及するな、自治省は道州制は自分たちの専管事項だとから一緒にするなという話もあって、一体化した構想として議論できなかったことは残念だった。

そこで、畿央高原までリニアを使わずにどうしたら一時間半で東京から着けるかとかいう案を、近畿日本鉄道の技術屋さんの協力を得て、米原で分岐してつくるとかいう青写真をかいたこともある。しかし、いまとなっては、リニアを前提にした案でいいわけである。

明治維新ののち、東京遷都・廃藩置県・市町村制の設立という改革から行われたわけで、それから、一世紀半が経過したし、しかも、日本の主要都市は大部分が信長・秀吉・家康の時代に、当時の土木技術を前提に地点が選ばれた城下町だ。

ポスト・コロナのリーダーに名乗りを上げるなら、防災性も高い国土大改造と首都機能移転も含めた地方制度の再構築のチャンスだととらえられるくらい気宇壮大であって欲しいと思う。

竹下政権以来の村おこし的自助努力に頼る里山資本主義では結果が出ないのはもう明白なのだ。そのあたりの詳細については、回を改めて論じたいと思う。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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