ウイルスは「社会の分裂」を生み出す

中国武漢発の新型コロナウイルスが感染拡大してから間もなく1年目を迎える。累計感染者数は27日現在、約4323万人、死者数は115万人を超えた。戦後最大の難事といわれ、世界の政治、経済は停滞し、依然、その感染症の終焉は見えてこない状況だ。

▲新型コロナの感染問題で「怒りと不安は善きアドバイサーでない」と話しかけるファン・デア・ベレン大統領(オーストリア大統領府公式サイト、2020年10月26日=建国記念日)

▲新型コロナの感染問題で「怒りと不安は善きアドバイサーでない」と話しかけるファン・デア・ベレン大統領(オーストリア大統領府公式サイト、2020年10月26日=建国記念日)

欧州では夏季休暇後、第2波の感染が広がり、アイルランドとチェコは2回目のロックダウンを余儀なくされる一方、英国、スペイン、フランス、イタリア、ドイツなどでは地域ロックダウンが実施され、国民経済活動の破綻を懸命に回避する努力が見られる。本格的な冬の到来を控え、新型コロナ対策と経済活動の継続のバランスが一層、難しくなりつつある。

ここにきてコロナ禍による「社会の分裂」を指摘するメディアが増えてきた。オーストリア国営放送のHPでは「社会の分裂をもたらすウイルス」というタイトルの興味深い記事を掲載していた。以下、同記事を参考にしながら、新型コロナがもたらした社会の分裂(gesellschaftlicher Spaltpilz)をまとめる。

先ず、第1の分裂は、新型コロナのcovid-19を「深刻な感染症」としてシリアスに受け取る派と「毎年繰り返されるインフルエンザと同じ」として楽観視する人々で社会は二分された。特に、感染初期にはこの分裂が目立った。

感染者が増加し、死者数が増えるにつれ、前者が支配的になってきた。政治家たちの間では自身が感染することで新型コロナの恐ろしさを体験し、前者に転向するケースが出てきた。

欧州の政治家はこの段階では国民に相互の連帯を呼び掛けた。「規制、強制、隔離は誰にとっても快いものではないが、乗り越えていかなければならない。そのためには、国民は結束しなければならない」というトーンだ。政治家は、新しい生き方のチャンスとして、連帯と共存、そして責任を訴えた。ちなみに、マスク着用は欧州社会の文化でも伝統でもないが、欧州の政治家は「感染を防止するためにはマスクの着用が重要だ」として国民を説得。その結果、多くの欧州の国はマスクの着用に踏み切った経緯がある。

「連帯」、「責任」といった言葉が人々の心を捉えてきたことは新型コロナがもたらしたポジティブな面とすれば、ネガティブな面としては「世代の分裂」がある。具体的には、感染危険の大きい高齢者と感染しても症状が出ない若い世代との亀裂だ。各国政府はコロナ規制を強化する一方、高齢者の感染防止のために若い世代に連帯を求めてきた。

欧州を襲う第2の感染拡大の主因として、「若い世代が感染を広げている」といった批判の声が聞こえる。若者たちは週末、コロナ規制にもかかわらず、深夜までパーティを開き、ディスコに興じているというわけだ。社会学者は「若い世代は高齢者より社会的コンタクトが不可欠だ。だから、夜間外出禁止や接触禁止は彼らにとって大きな痛みとなっている」と分析する。

次に、深刻な「社会の分裂」として、「経済的格差」の拡大だ。政府は失業者の増加を防ぐために短期労働制を提案し、通常の給料分に足りない分を政府が支援するシステムを奨励している。実際は労働者にとっては30%前後の給料カットとなるが、雇用は確保できる。ただし、短期労働制はコロナ禍が長期化すれば、政府も会社側にとっても次第に負担となることが予想される。

ある労働者は「給料日の10日前にはわが家の冷蔵庫は空になる」という。子供を抱える労働者にとって短期労働制はやはり給料減をもたらす。冬の期間、建築分野の季節労働が減るため、失業者が増えることは避けられない。

仕事の環境状況では、ホームオフィスが可能な人と、感染の危険が高い地下鉄に乗って毎日職場に行かなければならない労働者で分かれてきた。ホームオフィスで仕事が出来るホワイト・カラー族は早朝に起きて混んだ地下鉄に乗る必要はなく、給料は変わらない。ただし、家にいる時間が増えたため、“コロナ離婚”と呼ばれる社会現象が見られる。24時間、夫婦が顔を合わせていると、これまで知らなった面が見えてきて衝突する機会が増え、最悪の場合、離婚ということになるわけだ。

そしてコロナ禍が長期化することで、政治家と国民の間で亀裂が深まってきている。野党は政府の対コロナ政策を批判するし、超法規的なコロナ関連規制法に対し、国民の基本的権利を蹂躙しているといった声が一部国民の間で聞かれ、規制反対の抗議デモが欧州各地で行われ出した。

それだけではない。感染症やウイルス専門家もコロナ対策では一枚岩ではない。マスクの効用問題だけではない。例えば、集団免疫の促進派と規制強化派で専門家の意見が分かれている(「『グレートバリントン宣言』の是非」2020年10月21日参考)。

新型コロナ感染の初期、国民間の結束と連帯を強める面も見られていたが、コロナ禍が長期間し、国民の間で“コロナ疲れ”が見えだしてきたこともあって、ネガティブな面、社会の分裂現象が表面化してきているわけだ。

ワクチンが出来、コロナ対策で大きな前進がもたらされるまでは、「社会の分裂」をこれ以上深まらせてはならない。新型コロナ対策では、「連帯」重視の初期から、国民の「各自の責任」が問われる段階に突入してきた。政治家も国民も自身の責任領域で貢献しなければならない時だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年10月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。