AIG賞与課税問題に見る米国の本質 - 松本徹三

2009年03月25日 11:47

公的支援で破綻を回避したAIGが経営幹部などに、膨大な金額の賞与が支払われていたことが明るみに出て、米国民は憤激しました。当然のことです。

AIGに公的資金を投入したということは、国民の税金をAIGに対して分け与えたということですから、「このような事態を招いた大失態の張本人である経営幹部にその一部がまわる」などということは、何人といえどもとても看過出来ることではないでしょう。のうのうとその金を受け取った恥知らずの経営幹部が仮に襲撃を受けたとしても、国民は心の中でひそかに快哉を叫ぶことはあっても、同情することはないと思います。


明るみに出るまでは誰もこのことに気がつかなかったということ自体、行政の管理能力の低さを示すことであって、米国としては恥の上乗りだったわけですが、下院本会議が、異例の速さで、「特定の賞与などに対し90%の緊急課税をかける」ことを可決したことで、民主主義のシステムがちゃんと機能していることを、米国は辛うじて世界に対して示すことが出来ました。この辺はやはり米国の低力といえるでしょう。

勿論、法律上は、一旦なされた賞与などの支給契約を途中で破棄することは出来ません。また、如何なる事由があるにしても、民間の契約関係に政府が介入したり、個人財産を直接没収したりすれば、憲法上の疑義を招くことにもなるでしょう。しかし、新たに法律を作って、国民が納得できるような課税を行うことなら、このような問題はクリアできます。なかなかよく考えた便法であったと思います。

勿論、「周りの空気を読んで敢えて口をつぐむ」日本と異なり、いつでも誰でもが自由に異論を唱えるのが慣わしになっている米国のことですから、色々な異論も出ています。この異論を色分けすると、大体下記の三つに色分けできます。

1. あまりに拙速に「一部の特定層を狙い打ちにした」かのような今回の措置は、大衆迎合的で、本当に国民のための最適解だったかどうか疑問である。

2. 過大な課税が行われる可能性があるとなれば、金融機関は公的資金の導入を忌避し、貸し渋りによってその場をしのごうとするだろう。

3. 経営幹部がこのような形でリスクを負うということになると、各金融機関は、今後有能な人材が獲得しにくくなるだろう。

これらの異論の全てが極めてアメリカ的で、好意的に見る人は、「このように多角的にものを見られるところがアメリカの底力」と評価するでしょうし、批判的に見る人は、「懲りない連中だ。この期に及んでまだそんなことを言っているのか」と眉をひそめるでしょう。私は、普通ならその中間に位置しているように思うのですが、今回の件に限っては、これらの異論の全てに対して、真っ向から反論する立場です。

1. に対する反論: 

本来、政治というものは「大衆の心理」と無縁では存在し得ないもの。今回のようなケースでは、たとえ一部に拙速という批判が出ると分かっていたとしても、敢えて「電光石火の対応」をすべきである。そうしなければ、未曾有の危機に立ち向かうために必要な「国民の結束」は期待すべくもないだろう。

2. に対する反論:

高額の賞与欲しさに公的資金の導入を忌避し、結果として貸し渋るような金融機関が、果たして生き残れるのだろうか? 生き残るのは、「公的資金の導入がなくとも、きちんとやっていける、まともな金融機関」と、「過去の過ちを認め、恭順の意を表して公的資金を導入する金融機関」だけで十分だ。

3. に対する反論

かつて大金を費やして獲得した人材は、本当に有能だったのか? 実は無能だったからこそ、このような事態を招いたのではなかったのか? 如何なる企業であれ、もし今回の教訓にもかかわらず、「同じような手法」で、「同じような人材」を将来とも獲得し続けようと考えているのであれば、むしろそのことの方が問題なのではないのか?

実は、私が一番強調したいのは、この最後の一点です。そもそも、そんな法外な大金をコミットしなければ雇えないような高慢な人間には、もともと健全な経営判断は出来ないのではないでしょうか? 各企業は、そんな人間を、経営の責任者として雇うべきではなかったのではないでしょうか?

上がったものは下がり、下がったものは上がるのが常です。永久に拡大し続ける経済などはあり得ず、バブルはいつかは弾け、花見酒はいつかはなくなるのです。こんな単純なことが分かっていなかった人がいたとすれば、その人は単なる馬鹿だったのであり、分かっていながら客を騙し続けてきた人がいたとしたら、その人は悪人だったのです。各企業は、もうそんな人達の獲得競争に血道をあげることはやめ、普通の頭脳を持った「良心的な人達」だけを雇って、普通の競争を行うべきです。

蛇足ですが、このことに関連して、私は多くの企業が無意識のうちに踏襲している「人間の評価方法」についても、この際一つの苦言を呈しておきたいと思います。

私もこれまで、何人かの外国人の経営幹部の採用に関係し、過去の実績を誇らしげに書き並べた彼等の「欧米流の履歴書」を数多く見てきましたが、「数字上の実績だけで人間を評価するのは間違いのもとだ」と痛感してきました。「実績」として申告されている数字は、その達成を支えた「環境」のファクターと、それが包含した「リスク」のファクターを差し引いた後で、初めて意味のある数字になるのです。ここまで深読みせず、初期のノイマン型コンピュータに大雑把なデータを打ち込むだけで、性急に結論を求めるかのような「人間の評価方法」は、もういい加減に願い下げにさせてもらいたいものです。

経済は、結局のところ人間が動かしているのですから、「人間の評価方法」が間違っていれば、経済もどんどん歪んでいく可能性があります。今回のことで一番反省すべきは、実はこの「人間の評価方法」だったのかもしれないと、私はひそかに考えている次第です。

松本徹三

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