「子育て支援」が社会政策なら「地域主権」とセットで考えるべきでは?!  ―前田拓生

2009年12月19日 17:21

社会政策として「国(政府)」が「何か」を行える時代はすでに終わってしまっているのではないでしょうか。経済成長期であれば、中央集権的で、しかも、予算や補助金を云々することで、ある意味「社会を良くする(つまり、「金銭的な豊かさ」を享受できる社会にする)」ということもできたのでしょうが、経済規模がある程度の水準になり、価値観も多様化している現状においては、今までのやり方では対応できなくなっているものと思われます。


確かに現状、景気が悪く、失業率も高くなっていて、貧富の差も広がっているように感じます。したがって、生活困窮者へのセーフティネットは必要であり、そのための(金銭的な)手当ては「国」として行うべきではあります(国民生活の保障という意味で)。それは「失業保険」であったり、「生活保護」だったりするのだと思います。

しかし、これは福祉政策であり、「みんなで子供を育てる」などという場合の政策は「社会全体で何とかする」ということが重要になります。そういう意味で「子育て支援」の資金は「全員に」という話が出てきているということのようです。ただ、「おカネを配れば良い」ということが、どうも私としてはしっくりきません。しかも、その資金を作るために「扶養控除を削る」というのは、強引で、単純発想であるように思えてなりません。

おカネを配ることが「みんなで子供を育てる」ということになるとは思えないのです。「国」として行う場合には、実働隊としての「手」がないので、「おカネ」に頼ることになるのでしょうが、「子供を育てる」というのは「おカネ」ではない部分の方が多いように思われます。

つまり、子供を育てるのは、やはり「(子供にとっての)環境」ですから、地域・コミュニティを活用するべきなのではないでしょうか。地域・コミュニティとして、例えば、NPO法人やNGOを活用するというような政策のために「必要な資金を付ける」ということが大切であり、そこに「地域主権」という話が関係するのではないでしょうか。

現状、国も地方公共団体も財政的に厳しい状態です。したがって、新たな「資金」といっても難しいのは確かです。なので、今、拙速に「子育て支援」のためにおカネをばらまくことには反対であり、経済政策や福祉政策であれば、「所得制限を必要とする」と思っています。でも「子育て」というテーマは国家戦略的に大切だというのであれば、拙速に「何か」を行うのではなく、もっと広く議論をすべきだと思っています。そして、私は、その議論の中に「地域主権」というキーワードを入れるべきだと思っています。

「ここをこうしたいから、この部分を切って、ここにはりつけよう」というのは、自民党主導の政権下で行われてきた悪い慣習であり、それでは税制などの国家的な制度が複雑になるだけで、誰にとっても「良くない」ということになってしまいます。

「子供を育てる」「地域を活性化する」「(CO2などの)環境問題に取り組む」というのは、「国」が一つの方針を出して「これを行えばよい」という問題ではなく、地域・コミュニティで責任を持って行うべきであり、そうしないと国全体で「良くする」といっても、調整がつかない問題だと思います。そのために国家戦略室があるのではないでしょうか?

国家が何をし、地域・コミュニティを軸とした地域主権を持った「道州」が何をするのか、などを議論し、その中で「子育て」などを考えてほしいと思います(「道」「州」の位置づけや「基礎自治体」というものがどのようなものかなどを考えることが大切になります)。

※「地域主権」についての私の考え方は、以前、アゴラにも投稿しました。

<http://takuo-maeda.spaces.live.com/blog/cns!5B28A768188640AA!275.entry(これは私のブログです)>

また、NPO法人やNGO、または、「社会的企業」といわれる団体などが、地域・コミュニティにとっては重要な役割を演じることになると思っています。とはいえ、現状の金融システムや法制度は、当該団体にとって問題が多く、活動を阻害するものが多いと考えています。「だから、社会的企業などを保護しろ」といっているわけではなく、むしろ、国や法律が社会的企業等の活動を「邪魔をしない」というような改正なり、新たな法律などが必要だと思っています。つまり、そこにも「自治」という考え方が重要となります。

この辺りの調整を、国家戦略室で練り上げ、広く議論をしていただきたいと思っています。

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