社会政策として「国(政府)」が「何か」を行える時代はすでに終わってしまっているのではないでしょうか。経済成長期であれば、中央集権的で、しかも、予算や補助金を云々することで、ある意味「社会を良くする(つまり、「金銭的な豊かさ」を享受できる社会にする)」ということもできたのでしょうが、経済規模がある程度の水準になり、価値観も多様化している現状においては、今までのやり方では対応できなくなっているものと思われます。
確かに現状、景気が悪く、失業率も高くなっていて、貧富の差も広がっているように感じます。したがって、生活困窮者へのセーフティネットは必要であり、そのための(金銭的な)手当ては「国」として行うべきではあります(国民生活の保障という意味で)。それは「失業保険」であったり、「生活保護」だったりするのだと思います。
しかし、これは福祉政策であり、「みんなで子供を育てる」などという場合の政策は「社会全体で何とかする」ということが重要になります。そういう意味で「子育て支援」の資金は「全員に」という話が出てきているということのようです。ただ、「おカネを配れば良い」ということが、どうも私としてはしっくりきません。しかも、その資金を作るために「扶養控除を削る」というのは、強引で、単純発想であるように思えてなりません。
おカネを配ることが「みんなで子供を育てる」ということになるとは思えないのです。「国」として行う場合には、実働隊としての「手」がないので、「おカネ」に頼ることになるのでしょうが、「子供を育てる」というのは「おカネ」ではない部分の方が多いように思われます。
つまり、子供を育てるのは、やはり「(子供にとっての)環境」ですから、地域・コミュニティを活用するべきなのではないでしょうか。地域・コミュニティとして、例えば、NPO法人やNGOを活用するというような政策のために「必要な資金を付ける」ということが大切であり、そこに「地域主権」という話が関係するのではないでしょうか。
現状、国も地方公共団体も財政的に厳しい状態です。したがって、新たな「資金」といっても難しいのは確かです。なので、今、拙速に「子育て支援」のためにおカネをばらまくことには反対であり、経済政策や福祉政策であれば、「所得制限を必要とする」と思っています。でも「子育て」というテーマは国家戦略的に大切だというのであれば、拙速に「何か」を行うのではなく、もっと広く議論をすべきだと思っています。そして、私は、その議論の中に「地域主権」というキーワードを入れるべきだと思っています。
「ここをこうしたいから、この部分を切って、ここにはりつけよう」というのは、自民党主導の政権下で行われてきた悪い慣習であり、それでは税制などの国家的な制度が複雑になるだけで、誰にとっても「良くない」ということになってしまいます。
「子供を育てる」「地域を活性化する」「(CO2などの)環境問題に取り組む」というのは、「国」が一つの方針を出して「これを行えばよい」という問題ではなく、地域・コミュニティで責任を持って行うべきであり、そうしないと国全体で「良くする」といっても、調整がつかない問題だと思います。そのために国家戦略室があるのではないでしょうか?
国家が何をし、地域・コミュニティを軸とした地域主権を持った「道州」が何をするのか、などを議論し、その中で「子育て」などを考えてほしいと思います(「道」「州」の位置づけや「基礎自治体」というものがどのようなものかなどを考えることが大切になります)。
※「地域主権」についての私の考え方は、以前、アゴラにも投稿しました。
<http://takuo-maeda.spaces.live.com/blog/cns!5B28A768188640AA!275.entry(これは私のブログです)>
また、NPO法人やNGO、または、「社会的企業」といわれる団体などが、地域・コミュニティにとっては重要な役割を演じることになると思っています。とはいえ、現状の金融システムや法制度は、当該団体にとって問題が多く、活動を阻害するものが多いと考えています。「だから、社会的企業などを保護しろ」といっているわけではなく、むしろ、国や法律が社会的企業等の活動を「邪魔をしない」というような改正なり、新たな法律などが必要だと思っています。つまり、そこにも「自治」という考え方が重要となります。
この辺りの調整を、国家戦略室で練り上げ、広く議論をしていただきたいと思っています。
コメント
少子化対策は、この国の内政の「最優先課題」です。地域主権だとか、財政問題だとかは、それよりもはるかに優先順位が低い問題です。少子化対策がうまくいかなければ、この国に未来はないのですから。
なぜ、子育て支援の話に、地域主権の話を絡めようとするのか、その真意を全く理解できません。(本音を言えば)むしろ悪意すら感じます。
disequilibriumさん、コメントありがとうございます。
少子化対策が重要である旨は理解できるのですが、だから「おカネをばら蒔く」というのが良いとは私には思えません。
「悪意がある」とのご指摘ですが、地域で子供を育てるという理念は重要なのではないでしょうか。そのための方策は、まさに国家戦略だと思います。
>NPO法人やNGOを活用するというような政策のために「必要な資金を付ける」
寄付減税が良いと思います。
もしどうしても、国からの助成金や補助金が必要というのなら、
国民のあずかり知らぬところで、政治家や官僚や一部の人たちが決めるのではなく、インターネットで公開し、お金の流れを透明化して欲しいです。
aoi700aoiさん、コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、寄付減税も良いと思います。
>国からの助成金や補助金が必要というのなら、国民のあずかり知らぬところで
これは当然問題ですね。
誤解があるかもしれませんが、。私も少しですが、市民活動に参加をしているので、私が言っている「NPO法人やNGO」は市民設立の団体を意味します。
決して「虎ノ門」系の団体に資金が流れるようにというような話ではありませんので、その点、よろしくお願いいたします。
子供手当ては十分シンプルで、(というかこれ以上シンプルにできますか?)現状で十分優れた制度だと思います。
民間団体を使うと何か効率が上がるんでしょうか?
親がお金をもらう、親が子供を育てる。これ以上シンプルで素晴らしいシステムはないと思いますよ。
余計なことをしても、余計なお金と時間がかかるだけで、何もいいことはないと思います。
少子化対策に、「地域主権」云々というのは、「地域活性」のことですね? スローライフ、ロハス という生活スタイルのことでしょう。
農作業でなら機械化しても、必然的に人手が要ります。
いまの、「東京市民」生活を国民皆にさせるつもりならば、『現金』を支給する方法しか、思い浮かばないのは当然でしょう。
養老先生の言うところの「脳化」した、給与所得生活者「東京市民」には、そういう発想になるのでしょう。
現金支給と高校無償はいつまでも継続でき無いはずなので、カンフル剤としてしか、きかない、ゆとり教育と同じで、支給時期の子供たちは成人になり、就職期や出産適齢期になったとき、なにかしらの蔑称が付けられ報道されるんでしょう。「養殖」とか「○乞い」とか。
disequilibriumさん、再度、ありがとうございます。
>親がお金をもらう、親が子供を育てる。これ以上シンプルで素晴らしいシステムはないと思いますよ。
ということは、景気が良くなってくれば問題は解決するというスタンスなのですね。そんなに簡単なことではないように思います。問題があれば「おカネを配ればよい」と考えている限り、議論はかみ合わないでしょう。
現在の日本は根本的に制度を変更していかなくてはならないと思っています。
海馬1/2さん、コメントありがとうございます。
>現金支給と高校無償はいつまでも継続でき無いはずなので、カンフル剤としてしか、きかない
私もそう思います。しかも、一旦支給してしまうとなかなかやめられないという欠点もあります。
したがって、政策を実行する前に、大いに議論をしてほしいと思うのです。単に「マニフェストに書いたから」ということではなく・・・。
民主党は,国がダイレクトに国民を金銭支援することで,いわゆる“中抜き”を排除して効果を上げることが目的のはずです。子供手当ては,子供を育てている親を,直接に金銭支援することです。それを地域だか,NGOだか,NPOだか知りませんが,そんなところにお金を流すことは,巧妙な“中抜き”に他なりません。さらに,それを監視する団体など作るのは中抜きの中抜きという最悪の方策だと思います。
年金は,国がダイレクトに高齢者に金銭を支給するものですが,年金を“地域,NGO,NPO”とやらが中抜きして,老人会館みたいなものを建てることに他なりません。
少子高齢化と言う問題。
デフレ、そして雇用危機と言う問題。
とにかく今の日本には解決しなければならない問題があるのはハッキリしているじゃないですか。
で、今は選択と集中の考えから子供手当てが良いのかなと思います。
貧乏人の子供も、金持ちの子供もみんな一緒で大事。
だから、所得制限しない。社会が大人が子供を守り育てていこうと社会全体でコンセンサスを持つ事が大事かと思います。
jit19850726131431さん、未来さん、コメントありがとうございます。
お話の主旨は理解しているつもりです。ただ、「中抜きだから」、または、「選択と集中だから」といって、拙速に「おカネで解決する」というものではないと思っています(「そのようなことを言っていない」と思われるのかもしれませんが・・・汗)。
市民設立の“非営利”の団体が、その地域・コミュニティに即して、「子育て」なり、「地域活性化」なりを行うということ”も”、大切であり、現実に活動をしている方も多い状況です(当然、これが“最良だ”といっているわけではありません)。
「今、その流れを作ることが大切」という意味もわかりますが、つぎはぎだらけの日本の制度を、これ以上、パンチワークにするのは問題ですし、ここで「一気に抜本改革」ということを考えるべきだと思っています。
すくなくとも「社会政策」として考えるのであれば・・・
>8. 前田拓生 さん
私は景気の話なんてしていないのですが・・・。
私の考えとしては、子供を産んだ場合と、産まない場合の経済格差がなくなれば、子供を産まない理由が1つ減るというだけです。
設立者が市民なのか非市民なのか、非営利なのか営利なのかということに、どんな意味があるのか分かりません。
何れにしても、どんな活動を行うにせよ、お金はかかるのであって、結局お金の問題じゃないですか。
特殊な枠組みを作っても、非競争的で腐敗し、無駄にお金のかかる使い勝手の悪いシステムが出来上がるだけです。
同じお金を使うのなら、直接支給は極めてシンプルで、これ以上効率的な仕組みはないと思います。
それを批判するのは、それこそ中抜きができないことを嘆いているようにしか聞こえないです。
持続性と再生産の無い「現金支給」を都市市民が選択するのは当然でしょう。小泉・竹中改革の「米100俵」に騙されたのですから。
目先の現金に目が眩むほど、逼迫しているということですね。
受給うけた我が子が成人したとき、「徴兵」されても異議を言わない覚悟があるなら、(実際には増税だろうが、職業選択権や保険医療での制限等で)受給すれば良いと思います。
いずれにせよ、地方再生がなければ、人口が都市部に集中化して
スラム化(格差化)がますます進むことでしょう。それでも、都市で暮らした方が楽であることはが、厄介なんですけどね。
ひつこく言いますが、都市部現金支給しても所得制限の有る無しにかかわらず、教育格差ひいては、就職・所得格差は縮まることはありません。 それより、とっとと、ロハス・スローライフで生活できるように意識改革することです。
>貧乏人の子供も、金持ちの子供もみんな一緒で大事。
だから、所得制限しない。社会が大人が子供を守り育てていこうと社会全体でコンセンサスを持つ事が大事かと思います。
こども って、十数年もすれば、就職年齢になるし、出産適齢期はそこから、20年程度ですよ。そのときの対策はどうします?
その時点で、「ゆとり」を選択した者には、ニート・ひきこもりで、
現金受給するしか、都市部で生活できない可能性が非常に高いんですけど。その扶養手当ては誰がひきうけるんですか?
強制的に、老人介護に労働力として回しますか?
そのときには、介護師・看護師は、厭々就職する、「労働者」ですよ。
disequilibriumさん、再度ありがとうございます。
ただ・・・
>設立者が市民なのか非市民なのか、非営利なのか営利なのかということに、どんな意味があるのか分かりません。
分からないものを批判するのはどうかと思いますが・・・汗
おそらく市民活動にはご興味がないのでしょうね。今、世界は「第三の道」を全力で模索しています(菅副総理も「模索している」だけで何も案を出してくれないのが問題ではありますが)。その流れをお話しているのであり、「シンプルだから良い」ということであれば、議論が食い違うだけです。
何が「良いのか」は人それぞれなので、「私が話していることが正しい」と言っているわけではありません。議論のたたき台を提示しているまでです。その点、よろしくお願いいたします。
海馬1/2さん、ありがとうございます。
>地方再生がなければ、人口が都市部に集中化して、スラム化(格差化)がますます進むことで
>とっとと、ロハス・スローライフで生活できるように意識改革することです。
非常に重要ですね。特に「意識改革」が大切だと思います。でも、ここが一番難しいのでしょうね。将来の財政を考えないで「子育て支援」といっても、その借金を返すのは、当の「子供さんたち」なのですから・・・
地域主権というのが、いま一つ分かり難いのですが、互助会みたいなものなんでしょうか?
監視が効きやすく、ムダに使われ難い(不正受給が起き難い)とか、そういう方向なんですかね?
個人的には、中抜きを排して市場システムを使う的な方向に賛成なのですが、子供手当てに関しては、財源の問題があります。ムダを省いて捻出するといいながら、公立保育園の補助金(市場システムを活用するのであればここを変えないのはおかしい)にメスを入れないのは納得いかないところです。
もう少し、メリットデメリットを具体的に知りたいです。
>17. 前田拓生さん
意味があるのか分からないというのは、ただの言い回しでして、はっきり言えば、特殊団体は要らないということです。
何度も言いますけど「非競争的で腐敗し、無駄にお金のかかる使い勝手の悪いシステムが出来上がるだけ」です。
「シンプルだから良い」というのは、前田さんの論でも触れられていることで、共通認識ではないかと思います。
前田さんの論では「地域主権」だとか「市民・非営利」だとかの言葉だけが聖域のようなものになっている印象があります。
「第三の道」を模索されるのは結構なんですけど、非現実的な「模索中の理論」を、現実的で極めて深刻な「少子化問題」と絡め、その解決策を「拙速」といって待ったをかけるのは姑息な戦術ではないかと思います。
それと、「議論が食い違っている」わけでは決してないと思います。ただ、同意できないだけです。
aoi700aoiさん、コメントありがとうございます。
地域主権については本文にあるURLの方に書いたのですが、少し内容が違うように感じます。内容が込み入っているので「レス」の形での回答は難しいです。
ただ、URLの内容以外にも、社会政策として行うということなので、総合的に考える必要があると思っています。つまり、「ここを削って、あそこに」というパンチワークのようなものではなく、根本的な改正が必要だと思っているわけです。その件も含めて、地域主権については、またの機会にアップするかもしれませんので、その時にお願いいたします。
disequilibriumさん
>「議論が食い違っている」わけでは決してないと思います。ただ、同意できないだけです。
了解です。ありがとうございました。