あえて、HowよりWhat ぼくのノマド論 --- 中村 伊知哉

アゴラ編集部

「ノマドばやり」です。ビジネススタイルもライフスタイルも、遊牧的な行き方が脚光を浴びています。ぼくも十数年ノマド的で、自分のIT環境を適合させようと苦労してきました。(「ぼくのデジタルノマド」)。ここんとこ牢獄に定住しているホリエモンも以前はノマドでしたし、チームラボ猪子さんも家を捨てるほどのノマドだったりします。


でも、今のノマドばやりには違和感を覚えます。ハウツーばかりで中味がないから。ホリエモンも猪子さんもアウトプットあってのノマドです。ぼくにしたってノマドがステイ型よりアウトプットが1/10に落ちるなら話になりません。ノマドで「何をするの?」が大事。

同じ違和感を「社会起業ばやり」にも覚えます。社会に貢献する活動を起業すること自体にあまり意味はありません。もちろん、それが活発になることは素晴らしい。そのための環境も整えるべき。ぼくはそのために汗をかいています。でも、起業はあくまでアクションであり、ハウツーです。大事なのは、What。それで何をするのか。社会をどう変えるのか。その中味とボリューム。あくまで成功したかどうかが肝心です。起業家個人は業績で評価しないとね。

例えばぼくはNPO、社団、会社、コンソーシアムなど10個以上「社会起業」してますが、子どもワークショップ、デジタル教科書、デジタルサイネージ、メディア融合など、成功したのもあればトホホな失敗もあり、それをスッ飛ばして起業したこと自体だけで評価されるのは困ります。ところが風潮は、社会起業ドヤ顔で、オール礼賛なのが気味悪い。

松下幸之助さんやジョブスさんがビジネスを通じて社会を明るくした、それは大いなる社会貢献。 世界の衣生活を一変させたユニクロ柳井さんや、ぼくが社外取締役を務める保育園経営のJPホールディングス山口代表の功績を社会起業の観点で正当に位置づけたうえで、NPO立ち上げましたドヤ顔の坊ちゃん嬢ちゃんを可愛がるぐらいの評価軸がほしい。

ベンチャー起業にしろ、社会起業にしろ、経済社会へのインパクトが乏しい段階で、自伝や啓発書が出版されて注目を浴びる、その評価法ってのは健全じゃないなぁと思う、というか、そういうのがあっても賑やかでOKなんだけど、そういう言説が社会の真ん中に居座るとジャマだなぁと思うわけです。肝心なところでパワーが出なくなりますんでね。これはそのプレイヤーの問題じゃなくて、それを持ち上げてトレンド稼業を企む大人の側の問題です念のため。

端的に言えば、虚言が跋扈してると思うんです。

ボリュームのある中味、現実世界に影響を与えるアクションが伴わない口先三寸や自己プロデュースがウケてることに対するじれったさ、WhatよりHowに重きが置かれることへの年寄りの貧乏ゆすりです。

ITが広がり、引きこもっていても社会との接点が多くなり、実名でも匿名でも口を出せるようになった。社会学や思想書が注目されている。社会ヒエラルキーが崩れ、就職して叩き上げられる人生スタイルの価値が急落した。参加するコミュニティや帰属する組織を流動的に変えられるようになった。こうした社会変化と軌を一にするものでしょう。

これはITが威力を発揮した証しであり、うるわしいことです。しかし、今日はあえてHowよりWhatに着目したい。普段ぼくはWhatよりHowが大事だと強調しています。きちんとしたWhat=すべきことがあり、それをアイディアで終わらせず実現するためには、Whatの10倍、どう遂行するか=Howが大事だということです。

でも今日言いたいのはその逆で、そもそものWhatを見る目が曇っていて、ヘンテコなHowがのさばってるよ、という現状。Whatがゼロなら、いくらHowを10倍にしても、アウトプットはゼロですから。

繰り返しますが、そういう言説があふれててもじぇんじぇん構わない。でも、それがこの社会の中心をなすようになるのはどうでしょう。かつて誰かが言ってました。引きこもって無常をつぶやく吉田兼好の徒然草を教えるよりも、同時代の政治を動かしていた道元の正法眼蔵を教えるべきではないかと。まぁそういうことです。

黙れ年寄り!

今日はあえてそう言われることを覚悟しているのですが、ふだん若いのばかりと飲んでいるぼくが、そろそろ引退し始めた先輩方と飲んでいて、世代つなぎ役として言っとかんといかんと思ったからなんです。

つうのも、ぼくらの先輩、ぼくらが仰いで見ていたものは、うんと骨太だったから。ベンチャーといえばソニーやホンダでした。思い切り世界でフルスイングしていました。体制に行かずベンチャーにも行けないドロップアウトは、学生運動で火だるまになり、社会起業=革命で山荘に立て籠もったり海外で乱射したりしました。Whatのスケールや気迫が違っていました。

そのスケールやリスクを取り戻せ、つうのは無責任すぎます。おマエどうなんだ、って話ですから。ただ、少々光の当て方を変えてみたい。バランスを引き戻したいと思います。

とはいえ、ぼくができることは、論述ではありません。自分のプロジェクトを推し進め、それで社会を変えていくことで実証すること。それが役割だと思っております。

今日はエラそうに、すみませんでした。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2012年8月16日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。