将を射んとすればまず馬を - 書評に代えて - 科学との正しい付き合い方 - 小飼 弾

2010年05月07日 01:00

出版社より献本御礼。

正直、科学とのつきあい方、すなわち科学の成果物たる理論とのつきあい方を指南する本としては傑作とは言い難い。これらの点について知りたいのであれば「なぜ宇宙人は地球に来ない?」、「ニセ科学を10倍楽しむ本」、「疑似科学入門」、「頭がいいから騙される」など傑作がいくつもある。

しかし、本書はある一点において画期的であった。

「科学者を疑え」と言った点である。

本書「科学との正しい付き合い方」は、サイエンスライターというよりサイエンティストライターと呼ぶにふさわしい著者によるサイエンティスト・リテラシー。サイエンティストライターとしての著作には、「恋する天才科学者」がある。

目次

はじめに??科学の物語性
初級編 科学によくある3つの「誤解」
誤解1:「『科学離れ』が進んでいる」ってホント?
誤解2:もともと『科学アレルギー』の人は多いってホント?
誤解3:「科学技術は、身近ではない」ってホント?
☆コラム☆ あなたの回りにある科学
中級編 科学リテラシーは「疑う心」から
科学リテラシーとは?
知識よりも、思考が重要
疑う心は科学の大前提
なぜ、「疑う」ことが必要なの?
科学的な物の考え方とは?
1 答えが出ないことはペンディングする
2 「わからない」と潔く認める
3 人に聞くのを恥ずかしいと思わない
4 失敗から学ぶ
疑う心を阻害するもの
「科学教」を狂信する?
悩ましい疑似科学
☆コラム☆ 愛と恋と科学と
上級編 科学と付き合うための3つの視点
視点1 社会の中に科学技術を見る
視点2 見えない科学技術に目を向ける
視点3 理系だけにまかせない
☆ コラム☆ 私に影響を与えた科学者たち
あとがきーー科学技術の監視団に

現代の科学は、「ふつうの人」の理解の彼方にいってしまったように感じられる。ブラックホールは蒸発する?宇宙は11次元?なぜES細胞でなくてiPS細胞?それ以前にES細胞って何?「ロウソクの科学」の頃だったらついて行けたのに…

しかし、心配ご無用である。

科学者だって、ただの人々なのだから。

これに関する名言で、私が真っ先に思い浮かべるのがこれだ。

マッカンドルー航宙記のヴェーニッヒ教授曰く:

物理学は研究の一分野であって、外科手術じゃない。去勢手術を受けなくても、博士号は取得出来るんだ。

同作は Science Fiction であるが、フィクションがしばしばノンフィクション以上に物事の真実を捉える好例ではないか。

本書では、科学者たちの「去勢されていない様子」が登場する。

P. 137 – 科学への憧れとアレルギー – hiroyukikojimaの日記より孫引き失礼

科学狂信集団が集結した日

なかでも印象的だったのは、「ノーベル賞・フィールズ賞受賞者による事業仕分けに対する緊急声明と科学技術予算をめぐる緊急討論会」という豪華メンバーを集めた集会です。(中略)

そのとき、ある新聞社から以下のような質問が出ました。

「科学技術の大切さは誰しも理解していると思う。しかし、国民の素朴な疑問として、スパコンになぜ多額のお金がかかるのか?というものがある。これをどう説明しようと思うか?」

それに対し、あるノーベル賞受賞者が「まず1つは、マスコミにもっとしっかりしてもらいたい」「メディアの力は大きい。メディアがもっと科学技術を理解しないと、国民には伝わらない」と。

すると、会場で拍手が起こり、Twitterでの描き込みも「○○新聞社の記者の質問に対する良い切り返しだ」という意見をはじめとして、賛同の嵐が・・・

それだけならまだしも、「これは科学者の決起集会です!」「科学者集団、蜂起!」などという熱い投稿まで。

私は、twitterに次々と書き込まれるこの文字列を見て、背筋が寒くなるのを覚えました。

その熱狂している様子が、まるで「科学教の狂信者集団」に見えたのです。 (中略)

私は、そのノーベル賞受賞者が、「国民がスパコンの重要性をわからないのは、マスコミが悪いせいだ。勉強不足だ」というのは、まったく納得が行きません。

スパコンの予算の出所はどこでしょう?言うまでもなく税金です。科学に対する予算が削減されるからと言って、ただ「お金をよこしなさい。あなた方の理解が足りない」「勉強不足だ」と叫んだところで、国民は納得するでしょうか?

科学者もまた、「科学業界」という空気に呑まれているただの人々であることが手に取るように感じられるではないか。

科学者だって、ただの人。だからこそ論文だってねつ造するし、誰かがノーベル賞を取れば「あいつが、いや俺がもらわないのはおかしい」という異議だって唱える。「発見そのものが報酬です」と満足できる人はほとんどいないのは他の業界と全く同じ。20世紀に科学が爆発的に進んだのは、金と名誉という科学以外の報酬が加わったことが最大、いやそれどころか唯一の理由なのではないか。

だとしたら、科学者ならざる我々も、科学の監視団に入れるだろう。

科学という将ではなく、その馬たる科学者を監視すればよいのだから。

本書が甘いのは、そこまで言い切らなかったことにつきる。科学を監視すべきなのか科学者を監視すべきなのか本書ははっきりとは言っていない。言っていないのはおそらく著者もまた「科学マニア」であることに由来するのだろう。かくいう私だってそうだ。個人で日本一科学関連書籍を売っているのはおそらく私だし、そうしているのは私がそれを好きだからだ。

だからこそ、科学を「えこひいき」することが科学者のためにも社会のためにもならないこともよくわかる。「えこひいき」された業界が腐るのは科学に限った話ではないのだから。

その意味において、社会学と心理学はもっと「自然科学化」されてしかるべきだと「監視団員の一員」として願っている。この二つは現時点では「文系」に分類されてきたようだが、自然科学の道具が急速に普及しつつある分野でもある。そこで得られた発明と発見は、必ずや他の分野でも役立つだろう。いや、役立つを超えて濫用もされるだろう。「脳科学本」の乱立はその兆候の一つと言えるかもしれない。

発明も発見も、そしてその濫用も科学の専売特許ではない。

それどころか科学そのものも科学者の専売特許ではない。

Science の語源はラテン語の scientia 。「知ること」という意味である。

わからなかったことがわかる。それによろこびを感じない人などいるだろうか。

その意味で、我々は等しく”scientist”なのではないか。

ギョーカイ人だけにまかせておくのはあまりにもったいない。

本書の主張は、結局そういうことなのだ。

Dan the Scientist at Large

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