小沢グループと「やくざの掟」 - 北村隆司

北村 隆司

検察審査会が小沢氏を「起訴相当」と議決した事を受けて、鈴木宗男議員は :

「検察審査会は『絶対権力者である』と小沢幹事長を決めつけているが、事務所のしくみ、責任体制、上下関係等、これらを十分わかって判断しているのだろうか。国会議員と秘書の関係は、何よりも信頼関係である。それなりの地位にある政治家は、信頼する秘書に仕事を任せるものである。現に私も、秘書に任せている。 一般社会以上に、信頼という人間関係が政治の世界では重要視されているのであり、生かされているのである。」

と言う趣旨の意見をブログに発表されました。


この意見を読んだ私は、政治家の特殊性を強調する身勝手な発言で、暴力団的秩序を擁護する発言では?と言う疑念を持ち出した頃、「やくざの掟」に就いて書いたある識者の一文に接し、その疑問が解けました。 :

「やくざの掟は、親分の優越的な支配に対する子分の無抵抗の従属がその基本原則となっており、親分の命令であればそれが理非善悪いずれであろうとも、これに従うのが子分の使命であり、不断の心構えでなければならない事を根幹としています。

こうした「掟」は、組織の一体性を保持して行くために生まれた身分法則であり、集団と親分に都合よくできています。このような特殊な倫理観、価値観に支配されているヤクザ社会では、必然的に一般社会とは異なる独特の行動様式、ヤクザ気質が生まれ尊重されています。」

「政治と金」を巡る問題の背後に「特殊な倫理観、価値観に支配された信頼関係」即ち、「やくざの掟」が介在していると考えると、小沢グループの言動が良く判る気がします。

その典型が「司法のあり方を検証・提言する議員連盟」を作って、その事務局長に就任した辻恵衆議院議員です。

辻議員は、2004年7月、日本歯科医師連盟の不正会計問題に絡んで発覚した政治資金規正法違反事件で、橋本元首相などの大物を不起訴とした東京地検特捜部の処分を「会計責任者の起訴をもって事件の幕引きをしようとしている」と批判して、東京第二検察審査会に審査を申し立て、検察審査会が「不起訴不当」の議決を出した際には「国民の常識に沿った極めて妥当な議決で非常に重たい意味を持っている」と議決を称賛したものでした。

処が、小沢氏の「政治とカネ」を巡る事件で審査員全員が一致して「起訴相当」と言う最も厳しい判定を下すと、従来の主張を一転させ「国民感情に司法が揺さぶられている」として検察審査会制度の見直しを求めるなど「やくざの掟」を忠実に履行し出しました。

弁護士資格を持つ辻議員が、嫌疑をかけられた小沢幹事長の弁護士として行動しているのなら兎も角、自分の親分に不利な議決が出た途端手のひらを返す動きは、国民の利益を代表する代議士の行動としては許す事は出来ませんし、党内や識者から「見識を疑う」との批判が出たのも当然です。

検察審査会の役割は、事件について起訴の権限を検察官が独占している我が国の場合、検察官の不起訴判断の妥当性を審査するのが目的で、アメリカの大陪審制度を参考にして誕生した制度です。そのアメリカでは、外部からの全ての圧力を避ける為に、大陪審での検事、審査員、速記者に至るまで厳しい守秘義務が課せられています。

「審査の公平性、公正性を保つ観点からも、検察審査会の可視化をすることが必要」だと言う小沢グループの主張は、小沢幹事長に不利な決定が出てから突然出てきた主張であり,この種の政治的圧力こそ「外部からの圧力を避ける為」に設定された守秘義務の意義を否定するものです。

選挙人名簿から無作為のくじで選ばれた11人の審査員が、不起訴処分の当否を市民感覚で判断するという制度の趣旨から、法曹関係者が除外されている検察審査会には、何故かリークが殆どありません。その点、世論操作を目的に自由自在に捜査内容をリークする検察当局の調べより信頼出来ると言えましょう。検察の恣意判断が強く反映される通常の取調べは「可視化」すべきですが、検察審査会の「可視化」をしてはなりません。

辻代議士が真の法律家であるならば、検察審査会の見直しよりも、先ず「ザル法」の悪評高い「政治資金規制法」を改正し、政治家の資金の流れを民間企業同様に透明化させる工夫をすべきです。

つい最近、警察当局が山口組の中核組織である弘道会を壊滅させる課題として「まとまった資金源を遮断する事が最も打撃を与ええられる。まずはカネの流れを把握する事が重要」だと話したという記事を読みました。

金銭や不動産所有、資金の源泉を巡ってのスキャンダルや疑惑が多発している小沢幹事長の過去やその周辺を考えますと、疑惑の解明を必死に防ぐ輿石、高嶋、山岡氏等の幹部の行動が「やくざの掟」を守る山口組の若者頭の行動と重なって見えます。

政党交付金として年間300億円以上の血税を注いでいる政治資金を規正する法律の抜本改正が、喫急の課題です。「カネ」の出入りの透明化なしには「やくざの掟」に守られた政治の腐敗は消えません。

                   ニューヨークにて   北村隆司

コメント

  1. foolme より:

    「やくざの掟」を「官僚組織の掟」に書き換えてもしっくり来ますね。
    仰っている内容は日本の警察や官僚組織にもそのまま当てはまると感じました。彼らも天下りを含む「グループ」を守ることが最優先であり、何かあった場合は組織ぐるみでグループを守ろうとします。そのために一部の国民が犠牲になることを意に介しません。

    そして彼らのグループを脅かすほどの力を持った政治家に対して恐れを抱いた場合も、同じロジックで動きます。彼らはその時のために法律を用意しています。すなわち今回のテーマの場合、政治資金規正法および公職選挙法です。これらの法律は曖昧で、しかも条文を厳格に解釈すれば誰も守ることは出来ないようになっています。これを利用するわけです。

    グループ内の閉鎖的で特殊な価値観に基づいて発動される行動は、強力なガバナンスと情報統制により守られています。これら情報のバリヤーの向こう側で行われている行為を、国民は、マスコミという政府の公報でしか見ることは出来ません。

    官僚組織も政治家も金の流れを明らかにする、これは当然望ましいことです。しかしながら、政治家を批判するのであれば、官僚組織も同様に批判するべきでしょう。公僕を放置して国民の代表を批判することは、日本国民の敵がどこにいるかを見誤らせ、しいては民主主義の原則をないがしろにする危険性があります。