次なる危険 ― 民主党代表選挙に寄せて―   余野部 剛

2010年08月30日 12:11

政治と金や米軍基地移設の問題に絡んで失脚に追い込まれた鳩山・小沢政権の成り行きを傍らで見守っていた菅直人氏は、首相の座に就くや、自ら意志決定を行うのではなく官僚主導を受け入れることこそ、その座に長く留まるコツであるという古典的な知恵に目覚めたように見えた、が一方でこの用心深い政治家は、それに対する保険でもかけるかのように、大衆に媚びたり気に入った学者を手元に置いたりすることも怠ろうとはしない。そつなく欠陥もない代わりに芯もないそうした政治的態度は、波風を立てることを嫌う現在の国民心理を反映してはいるものの、一方で既得権者に都合の良い無風状態が長続きはしないことを知る者が抱く不安の念を、激しく掻き立てるものだと言わざるを得ない。


我々は今政治に何を求めるのだろうか?それは、政治主導の国家の意志決定能力を回復すること。大きな政府ではなく有能な政府、自らの力で意志決定をなし得る政府。肝心要の自己の職務において成果を上げていないのに、政治の領域に踏み込んで来たがる官僚組織に、その分際と職務をわきまえさせるべき政府。また状況に応じて自由に変化する柔軟性を得て初めて本領を発揮する現代の企業組織に、政治が果たすべき不自由な社会保障の役割を押しつけたりなどしない政府。大国に振り回されることなく国民の生命と利益を外敵から守り得る政府、しかしグローバルな秩序の形成が必要とあれば、自国の利益のいくらかを犠牲に差し出すことも厭わない政府。ひっくるめて一言でいうなら、政治のリーダーシップ・・・。

そしてここに今、菅首相の対抗馬として、小沢一郎という政治家が名乗りをあげた。国民に嫌われ誹謗されながらも、長期にわたってその政治的な力を失うことのない彼に、何か常人を超えたものを人が感じ取るのは事実であり、バブル崩壊以降の20年間に登壇した総理達は、ある意味皆彼の分身に過ぎなかったような印象すら受ける。この20年・・・それは経済ではなく政治が主役を務めた時代、経済において受けた傷を介抱する役目を政治が受け持ち、その包帯の下でジッと傷が癒えるのを待ち続けた20年だ。この間すっかり入院生活に慣らされた国民は、傷は既に癒えている可能性が高いというのにベッドから起き上がるのを怖がり、一方ですっかり医者の役割に適応した官僚や政治家たちは、今さらその職を追われるのを恐れて、いつまでも患者をベッドに寝かせて置こうとする。それが証拠に、聞こえてくるだろう、デフレや円高の状況に直面するや否や、あちらこちらから再度の金融緩和を求める叫び声が立ちのぼるのが。何か事があれば、それ見たことかとすぐさま彼らは患者をベッドに連れ戻そうと集まってくる。そして、よりによって国民が入院生活にはっきりと終止符を打つべきこの時、政治が20年間にわたって務めた医師としての役割を終え経済に自由を与えて開放すべきこの時、この時代の主役を務めた小沢氏も、役目を終えてその身を引くに最も相応しいこの時をわざわざ選んで、彼は代表選の舞台に登場して来たのだ。冗談好きな悪魔が背後で時代を操っているとしか言いようがない。

ここで最も恐れなければならないのは、彼、小沢氏が首尾よく首相の座に就き、日本の政治をほしいままにすることではない。そうではなくて、彼の持つ神秘性に期待して、上に記したような政治のリーダーシップを実現する最後の望みを彼に託した人々が、現実に総理になった小沢氏を目のあたりにして、その希望が徒な夢想に過ぎなかったことをはっきりと悟った時だ(菅氏、小沢氏いずれが勝つにせよ、せいぜい官僚政治の最後の完成者といった役割しかもはや残されていないように私には思える)。その時、人々の絶望が新たに生み出すであろうリーダー、即ち小沢氏の次なる者や次の次なる者こそが、我々にとって最も危険な存在となることだろう。

そうならないためにも、私達は、自身が最早病気ではないことをはっきりと自覚する必要がある。われわれの心が健全でなければ、健全な政府を望むことなど出来るはずもないのだ。あなたはまだ病気だからベッドに寝ていなさいと囁く者に、決して耳を貸してはならない。それは、そう囁く者自身が病気であることを暗示しているに過ぎないのだ。結局、世の中を大いなる破滅に導く真の原動力となるのは、私たちひとりひとりが抱く小さな絶望なのだから。

(余野部 剛 会社役員/twitter @tyonobe)

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