日銀は無能か

小幡 績

いまやメディアも政治家も、そして自称経済学者・エコノミストの間でも、無能という評価が定着している。

私も、現在の日銀は無能と思う。インフレを起こせるかどうか、という能力に関しては。


今回は、インフレをどうやって起こすか、起きたときにどうなるか、というシミュレーションの議論をしてみよう。私は、インフレを起こすべきではないと思っているし、日銀の金融政策は、現状でいいと思っているが、しかし、世論の圧力が高まり、今後、実際に日銀が動くことになる場面もあり得るので、そのときのためにシミュレーションをしておくのは、政策に関心のあるものとして(あるいは消防士として)重要だと思っている。

さて、日銀は、どうやってインフレを起こすのだろうか。

実は、リフレ派にとっても、ここは少し覚束ない。そもそも、今のデフレは、1%からせいぜい3%のマイルドなデフレであり、また起こそうとしているのもマイルドなインフレ、1%からせいぜい3%であるから、かなり高度なテクニックが要求される。

このような能力を日銀に期待するのなら、日銀はこの件に関しては無能だと思う。日銀批判の人の多くは、日銀をとことん批判しており、その能力を極めて低く評価している。そのような組織に、マイルドなインフレをちょっこし(鳥取弁で)起こすなどという、世界でも類を見ない、中央銀行にとって前代未聞の政策実現を期待するのは、明らかに矛盾している。

これは、日銀でなくとも、ECB(欧州)でもFRB(米国)でも無理だろう。なぜなら、マイルドからマイルドであるから、幅が狭く、微妙な力加減、ハンドル捌きが必要で、かつ、それにもかかわらず、方向性がマイナスからプラスという180度の転換だから、ダイナミックなシフトが必要で、かつ低い水準での目標だから、誤差の許容範囲もかなり狭く(20%目標で24%になってもまあ許されるが、1%目標で5%になったら大変なことだ)、誰がやっても無理だ。さらに、今のデフレは、20年(あるいは1997年以降13年)続いているのだから、超安定的な均衡(縮小均衡だとしても)であり、それを一旦不安定にしないと、脱却ができないはずで、その超安定均衡を不安定にしたうえで、その瞬間に、プラス1%のところで、すぐさま直ちに、安定均衡にして着地させる、というのは、すさまじく困難だ。経済学において、均衡の安定性のコントロールは明らかに難しく、しかも、それを実際の政策として実現することはほぼ不可能といっていいだろう。

だから、日銀は無能なのだ。

しかし、リフレ派は、デフレのコストは大きすぎるから、多少の副作用とコストは無視して、とりあえず、無理やりでもインフレを起こすべきだと主張している。コストや副作用については、インフレになってから考えればいいという考え方だ。では、副作用を棚上げした場合に、インフレを実現するためにリフレ派が主張するインフレ実現手法は、インフレターゲティングと量的緩和である。そこで、この2つの政策を考えてみよう。

インフレターゲティングについては、今回の日銀の白川総裁のいうところの包括緩和により、実現したと考えることもできる。物価上昇率が1%になるまで、金融緩和、ゼロ金利政策を続ける、と表明したので、実質的には、1%のインフレターゲットを設定したといえる。しかし、リフレ派に言わせれば、達成できなかったときの責任が不明確で、また何らかの理由により金融市場環境、経済状況が変わったとしてこの政策を変更することも可能なので、日銀法を改正して明示的にターゲットを設定させ、縛るべきだ、ということになる。また、法制度的な問題だけでなく、実質的にも1%を達成するために積極的な手段をとるわけではなく、1%になるまでは金融政策を変更しない、ということなので、受身でしかなく、積極性が足りず、目標という名に値しない、ということがある。

となると、ターゲットを設定するかどうかは、考え方(かえって明確な目標があると、縛られて、ベストの金融政策が取れなく)あるいは心意気の問題であって、インフレを実現するための直接的な手段ではない。ターゲットの設定が将来のインフレ期待を高め、それにより期待が現実の足元のインフレとして実現する、という議論もあるが、これは現実には起こらない。理論的には、もちろん期待が起きれば現実にも期待が織り込まれるのが金融市場ではあるが、日本のようにしつこいデフレでデフレが超安定的な均衡として実現している場合には、期待が即現実になることはない。あくまで補助的な要素で、現実にもインフレへ向けて動きだせば、期待が現実の動きを加速することはあるだろう。

したがって、インフレをどうやって起こすか、ということになると、インフレターゲティングだけでは駄目で、強力なメインエンジンが必要となる。それが量的緩和である。これについて、次回議論したい。