「税格差5倍の選挙区」も合憲か? - 「1票の格差」を考える

2010年11月25日 10:08

「1票の格差」が最大5倍であった今年の参院選が、法の下での平等を定めた憲法に違反するとして争われていた訴訟の東京高裁判決は、違憲判決がが1件、合憲判決が4件に割れました。

我が国憲法が第3章で「権利及び義務」と併記しているように、「権利と義務」が裏表の関係にある以上、第14条で定めた「法の下での平等」の理念は、第30条の「納税の義務」にも適用されると考えるのが合理的な帰結でしょう。


従い、「1票の格差5倍の選挙区」が合憲なら、「税の格差5倍の選挙区」も合憲だと言う理屈も成り立ちます。この理屈が唐突で、政治的に実現不可能な考えだとしても、三段論法の屁理屈だとかたずけないで、「権利と義務」の相関関係は如何あるべきかの観点から、大いに論議する価値はあると思います。

新聞報道では、東京高裁で下された今回の判決理由の合理的説明は見つかりませんでしたが、「権利と義務」の相関関係を考慮した大局的な憲法判断だったとは思えません。以前のブログにも書きましたが、最近の医学に見られる「臓器を見て全体を見ない」傾向は、法律分野でも見られ、今回の判決も「法律上の文言」と言う「臓器」だけを見た「憲法解釈」では?と懸念しています。

米国でも、大局観に欠ける知識教育の偏重が目立つプロフェッショナルスクール(法学、経営、医学の大学院)の弊害に対する反省から、教養を磨き、物の考え方を養うことに重点を置いた伝統的なリベラルアーツカレッジの重要さが見直され始めました。

日本で話題になっているハーバード大学のサンドル教授の講座は、「軽薄な知識」と「既成概念」に捉われ勝ちなエリート校の学生に、普遍的な理念や大局観の重要さを教える謂わば「リベラルアーツ」講座に当るものです。TVで放映された同教授と東大生との対話を見て、独りよがりな意見は持っていても、普遍的な論拠を示せない東大生が多いことを知り、この人達が将来の日本のリーダーになるのかと思うと、背筋が寒くなる思いでした。

「1票の格差」を巡る違憲論争も、単なる法律解釈の問題にせず、「そもそも、何の為の憲法なのか?」「基本的人権と義務の関係は如何にあるべきか?」と言う原点に立ち戻り判断して欲しいものです。憲法は法律と言うより「国家の理念と建国の目標を掲げた章典」として尊重すべきもので、「そもそも論」の無い憲法解釈の横行は、国家の品格を傷つけかねません。

狭い意味での法律至上主義に加え、我が国の統治の特徴として指摘しなければならない事は、合理的な基準による統治の考えが欠如している事です。最高裁は「1票の格差」問題について、衆議院の場合で約3倍以上、参議院の場合では約6倍以上の差が生じた場合には、違憲ないしは違憲状態になるとの判決を下した事がありますが、何を基準にこの数字が違憲、合憲を分けるかの合理的基準は未だに提示されていません。

日本が、有事に際しての危機管理に遅れ、不測の事態に直面する度に後手に廻るのも、法律を改正しないと対処できない、官僚的な法律至上主義が一因です。法律至上主義が法治国家だと誤解してはなりません。

さて「1票の格差」問題に話を戻しますが、定数や選挙区割りに関する法律を改正する際は、従来通りの考えでは人口の流動化に対応出来ません。議席配分や選挙区割りには、国勢調査による調査結果を基にした、合理的基準を導入する必要があります。

日本では、原則として5年毎に国勢調査を実施する事が統計法で決まっています。これは最も最近行われた2005年の調査でも、700億円近い税金を投入した基本的で、重要な統計調査です。巨費を投じたこの統計を「1票の格差」解消に活用しない道理はありません。現に、国連が世界の専門家と協議して纏めた国勢調査に関する勧告でも、その効用の筆頭に「議席数の配分、選挙区の区割り」を挙げています。

「1票の格差」の様な、国民の基本的人権にかかわる行政訴訟に「裁判員制度」を導入していない事も理解出来ません。裁判員制度は政府が「国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ること」を目的として導入したものです。「1票の格差」のあり方は、裁判官だけに任せずに、裁判員制度を活用する事が望まれます。

最高栽が、1962年に「1票の格差」問題に初の判決を下してから半世紀近くを経た今日でも、この問題は決着していません。「国民の基本的人権」に拘る重大問題を、半世紀も解決できない日本の統治制度の欠点は、早急に考え直すべきです。

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